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鏡のなかのAI。(500字)

 去年、佐賀の老舗旅館「あけぼの」の本棚でくつろいでいると、梧竹の書があった。没後百年記念展ということで、慥かな先生がまとめられていた一冊である。本の真ん中あたりにある「いろはにほへと」の書なんて、そのまま子どもたちの教科書に載せるだけで、だいぶ歴史はよくなったのではないか。

自分の書が理解されるのは、百年さきのことだ。

『中林梧竹 没後百年記念展』

 こう話していた梧竹であったが、その百年後には字は靈力を失い、AIの台頭で枯れ果てている。AIの特徴は完成された文章が一氣に現れるといったところにあろう。当たり前の話だが、執筆する過程の身体性が完全に欠落しているのだ。こうして、文章はますゝゝ大量生産され、残骸となっていく。人と同様のことである。これを近代人が生命力を失った由縁と視ても、決して過言ではあるまい。

 AIの随筆は鏡のなかの私を觀ている感覺に近い。鏡像の自分は、外見がそっくりなだけの偽物である。彼らからは生命を感じない。ただ今朝ふとおもったのだが、鏡のなかのAIは逆にどうなるのであろうか。無機×無機で有機体になったりしないのかしら。

 AIはそろそろ鏡に映る自分にうっとりしたほうがよい。


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