ひとよりも椿がスキなわけ。(800字)
春には春の真ん中があり、
夏には夏の真ん中があり、
秋には秋の真ん中があり、
冬には冬の真ん中がある。
真ん中を見たなら、走りぬけなさい。
二十年くらいまえであろうか。東京から二時間かけて埼玉の茶室に通っていた時節、茶道の師である吉田晋彩先生にこう言われ、「はい」と返事をした。むろん中身はわかっていない。
あくる晩、『ぶらり日本歩き旅』の著者で、福島の寿建設社長の森崎英五朗と飲んだ際、うえの話をしたら、
「そのようなことをおっしゃる方には、一度会っておかねばなるまい」
と言っていたが、呂律がまわっていない。彼はひどく酔っていた。急逝した親友の葬儀に参列したあと、彼は吉祥寺にあった我が家に泊まることになっていたのだけれども、その待ち合わせで私が彼を極寒のなか小一時間ほど待たせてしまったからであろう。こちらの合コンが長引いたのである。
とうにシャッターが閉まった当時の東急のまえで仔犬のように震える彼の喪服姿を目にしたとき、さすがの私も微かな罪悪感を憶えた。そういえば、彼が凍えているその場所は、学生時代にこちらもひどく酔った女性からキスをされそうになったところでもある。酔っ払いを惹きつける磁場がそこにはあったのかもしれない。ただ唇を奪われそうになった瞬間、けっこう大きな揺れが起き、
「あっ、地震」
と女性を引き離すことに成功したのだ。地震に感謝したのは、あとにも先にもこの一度だけだ。いずれも冬の真ん中の出来事であった。
閑話休題。あまりに不憫だから、家にあった日本酒を彼のお口直しにだしたところ、その酒が腐っており、残念ながら口は直らなかった。そして、酒も腐るのだと初めて知った。あくる朝、私は家の花器に侘助を活けながら、彼を茶室に案内すると申しでた。すると、
「行くか、バカヤロー」
と昨晩とは異なる返事がきたのだ。以来、私は人間不信に陥り、ひとよりも椿がスキになった。木に春が寄り添っているからである。
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