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都塚古墳は「和製階段ピラミッド(頭塔・土塔・熊山遺跡)」の起源か?

5月1日ポスト)都塚古墳。国の史跡。石舞台古墳の南南東400m程の山の尾根(奈良県高市郡明日香村大字阪田字ミヤコ)にある方墳(41m×42m)で、6世紀後半の築造とされ、蘇我稲目の墓ではないかと言われます。仏像や経典の安置記事から、蘇我稲目の本拠は小墾田や向原だったようです。

小旅行記)都塚古墳(奈良県高市郡明日香村阪田)。一帯の古墳で一番古いと見られており、蘇我稲目の古墳説で知られます。私も妥当だと考えています。というのも、この古墳は階段状の方墳で、こんな目立つ(重要な)古墳が蘇我氏以外の古墳で、馬子が近くに自分の墓と別荘を構えるだろうかという疑問があるからです。なお、未整備で階段状の姿は確認できないことに注意は必要です。

もう一つ重要な論点があって、この階段状の古墳は頭塔(奈良県奈良市高畑町)や土塔(大阪府堺市中区土塔町)や熊山遺跡(岡山県赤磐市奥吉原)のモデルとも考えられ、いずれも仏教関連の遺跡なんですね。つまり蘇我稲目は仏教公伝の時の仏教を受容した伝説の人でもあります。

ウィキペディア「頭塔」(ja:User:Uxptr)奈良県奈良市高畑町の国の史跡。東大寺と関係が深い。
ウィキペディア「土塔」(Naokijp)大阪府堺市中区土塔町の国の史跡。行基と関係が深い。
ウィキペディア「熊山遺跡」(Reggaeman)岡山県赤磐市の国の史跡。藤原郡時代の築造。

無論欽明天皇の宮は磯城嶋で距離はありますが、蘇我稲目は檜隈宮の宣化朝で大臣になったとされ、欽明天皇の墓所も檜隈です。欽明朝は朝鮮半島への介入で忙しかった時代で、檜隈は任那日本府があった安羅の東漢氏の本拠と目されており、軽の応神天皇の時代に渡来してきたと言われます。

追記)仏塔はストゥーパとも言い、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築を言うようです。これは日本ではお墓によく立てられている卒塔婆の語源です。一種の供養塔ですが、五重の塔もストゥーパの一種です。頭塔や土塔も仏塔とされ、熊山遺跡は謎とされますが、かつて霊山寺という寺院があったようです。方形の階段状の基壇は東南アジアの仏塔に珍しくないようですが、「基壇」のみというのは日本独特ではないかと思います。いずれも奈良時代の建築で、藤原氏と関係が深いようであり、また持統天皇や元明天皇が蘇我氏の血を引くこととも関係があるのではないかと思います。モデルが都塚古墳(仏教公伝の蘇我稲目の墓か)であっても不思議は無いと思う訳です。以下、有料部分で頭塔・土塔・熊山遺跡に関わり、藤原氏と仏教の謎に迫ります(都塚古墳が中臣氏の古墳の可能性も考えましたが、その可能性は低そうです)。

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私こと「古墳時代史解題」が主催する古代史クラブです。古墳時代史を中心に歴史を探究します。普段はXで活…

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