見出し画像

北部九州最古最大級の豊前石塚山古墳と香春の銅、モモソ姫

2024年5月7日ポスト)石塚山古墳。国史跡。九州の瀬戸内沿岸部の古墳時代前期の前方後円墳で、九州地方としては大きい墳丘長110mを誇ります。福岡県京都郡苅田町富久町(豊前国京都郡刈田郷)に所在。三角縁神獣鏡等、出土遺物は国の重要文化財に指定されています。当地が古墳時代開始期の大和朝廷にとって重要だったとも考えられますが、何が重要だったかと言えば、その先の田川地方香春の銅が重要だった気がします。香春町では万葉集に7首が詠われていますが、香春の銅は東大寺の大仏にも使われたと言い、何時から採掘していたかが問題になってきます。

私は宇佐神宮とも比べられる式内香春神社の神官の赤染氏・鶴賀氏に注目しますが、赤染氏は公孫氏後裔を称し、鶴賀氏は加羅の(後裔に大市首がいる)ツヌガアラシト後裔を想起させます(纏向遺跡豊前の地名もあります)。香春神社は忍骨命神社や豊比咩神社や辛国息長大姫大目命神社の集合体でもありますが、どちらにしても早い時期の渡来と考えられるんですね。天忍穗耳尊は天孫≒崇神天皇の父として開化天皇を想起しますが、天兒屋命・太玉命を従えた神でもあり、中臣氏は豊前国に割拠し、忌部氏は早い時期を想起させます。豊は台与/豊鍬入姫命を想起させ、豊国の由来になったとも考えられます。息長は彦坐王妃の(近江の安/三上に関わる)息長水依比売命を想起させるとも言えます。

石塚山から香春に向かう途中には景行天皇紀に長狭行宮が設けられ、景行天皇に早期に従った神夏磯媛がいたとも考えられます。一般に交易に関わる氏族は平和状態でないと商売にならないと考えられますね。

2025年9月28日追記)被葬者は(豊後国風土記に見える)豊国直氏だと思います。古事記の豊国之国前臣は分家と思われ、モモソ姫/吉備津彦命姉弟の一族(日子刺肩別命の後裔)と考えられます。銅を抑える戦略上の要地なので、モモソ姫が信頼できる弟(の一族)を送り込んだのでしょう。モモソ姫がただの巫女であるはずがない証拠とも言えます。何故、豊国と名付けられたかは、次の参考記事を参照してください。

参考記事:豊国の由来と香春神社

いいなと思ったら応援しよう!

古墳時代史解題 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!