空海ゆかりの益田岩船

益田岩船。奈良県橿原市白橿町の石造物(奈良県指定史跡)。丘陵頂上付近にあって、行くのは結構大変です。現在では横口式石槨説が有力視されています。皇極天皇/斉明天皇陵は、本来ここに造るつもりだったのかもしれません。小谷古墳(舒明天皇の初葬地か)から遠くはないのも引っ掛かります。(7月17日ポスト)
デカイです。そして(夏だと特に)道中がわりと地獄です。ですけど、地獄の先にこんなものがあるのかと驚けます。築造途中の石室(古墳)なんでしょうが、上級者向けとしては悪くない気がします(しんどい、危ないのが嫌な人は回避一択で)。飛鳥・藤原の七不思議があったら、酒船石と双璧で選ばれるでしょうね。(8月17日、18日ポスト)
平安時代初期に今の久米町から白橿町にかけて築造された益田池が、益田岩船の名前の由来のようです。益田池は空海が改修した満濃池の技術を参考に弟子が関り築造されたようです。空海は久米寺で真言宗の根本経典の1つである大日経を発見したと言い、真言宗発祥の地とされたようです。考古学的には久米寺の境内からは藤原宮と興福寺と同型の瓦が出土しており、興福寺の前身の(山階寺から移した)厩坂寺と見られているようです。藤原不比等との関係もあったようで、空海は佐伯氏(大伴氏)の出でしょうから、藤原氏と関係を持つ意図があったのかもしれません。益田岩船は、益田池築造の際に再発見され、何だこれは!?となって、古事記(例えば、矢田部公望によれば、普通に読まれていたはずです)に見える国譲りの交渉役の(副が藤原氏が祀る建御雷神で)鳥之石楠船神(天鳥船)だと名付けられたのでしょうね。空海は意外と藤原氏に強く出られたのかもしれず、中々面白い命名です。(追記1:8月30日書き下ろし)
未完成石槨であることは短期間で普通に忘れられていたんでしょうけど、空海絡みの命名が平安時代から長く伝わったらしいことは驚かされますね。


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