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城殿町の薬師寺と紀臣氏の壬申の乱での助力

5月14日ポスト)本薬師寺跡。奈良県橿原市城殿町(きどのちょう)の世界遺産構成資産候補。国の特別史跡。天武天皇9年に皇后の病気からの快癒を願って創建されました。11世紀初頭まで存続していたことが分かっており、平城京に移築した訳ではないと見られます(薬師寺と言えば、平城京の薬師寺(世界遺産)なんですが)。桜井市の粟殿もそうなんですが、紀殿で紀氏(紀臣)の邸宅があった可能性を考えています。小山廃寺と川を挟んで並ぶ配置。和田廃寺は紀国造か。

追記)左京を守る国家鎮護の寺だったのかもしれません。右京が高市大寺だったとすれば、対になるのは小山廃寺(紀寺跡)(=(御野王と紀臣訶多麻呂が創建した)高市大寺か)で、手狭だったから、紀竈門娘を嬪とした文武朝に大官大寺が創建されたのでしょう。

それにしても天武朝以降に紀臣氏の活躍が目立つ気がします(断トツは藤原氏ですが、石川氏等と並んで皇室に「妃」を入れています)。特に藤原京(新益京)の地名で言えば、紀氏は要所を抑えています。壬申の乱で紀大人は大友皇子側だったはずですが、乱後に処罰もされていません。紀阿閉麻呂が大海人皇子側についていますが、大海人皇子軍が大和盆地南部に拠って、大海人皇子が吉野に逃げ込めたのは紀氏の助力があってのことだと思えます。遠い近江に首都移転したことに反発があったのではないでしょうか?代わりに天武天皇や持統天皇は大和盆地南部に拠って離れようとはしていませんでした。結局、平城京に移転したのは、藤原氏の勢力が強まったからなのでしょうが。

薬師寺の本尊は薬師如来。平城京移転後も瓜二つに建築されたようです。大官大寺は大安寺に名前も変えていますから、高市大寺/大官大寺/大安寺の方が政治的だったのかもしれません。

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