桜井茶臼山古墳の石室の水銀朱

2024年4月24日ポスト)天皇陵(大王陵)クラスの墳丘長200mの桜井茶臼山古墳(外山(とび)茶臼山古墳)の石室。使用されているのは宇陀の大和水銀鉱山の水銀だとか(参考:三元素同位体比分析法を組み合わせた遺跡出土朱の産地同定の試み)。桜井茶臼山古墳に後続するメスリ山古墳はなお阿倍の地に近く、このあたりから引田~宇陀~伊賀を管轄したと見られる大彦命(や武渟川別→出雲振根を討伐した将軍の一人)の古墳として相応しいと思います。崇神天皇(ミマキイリヒコ)の皇后(垂仁天皇母)(ミマキ姫)の父が大彦命(魏志倭人伝の邪馬台国のNO.2の彌馬升/ミマキか)ですが、箸墓を倭迹々日百襲姫命の墓、纏向の天皇の陵を西殿塚古墳を含む山辺の古墳、桜井茶臼山古墳、メスリ山古墳を大彦命系の古墳とすると、年代的にはピタリと当て嵌まると考えています。
2025年6月9日ポスト)桜井茶臼山古墳では水銀朱が大量に使われており、宇陀の水銀朱だと考えられています。私が被葬者に想定する大彦命と宇陀の繋がりですが、宇陀の旧名が猛田県だと考えられること(神武天皇紀)及び大彦命の後裔に竹田臣があること(新撰姓氏録)、新撰姓氏録の難波忌寸(大彦命之後也)記事に(養子ですが)兎田墨坂との関係が書かれていること、近隣の伊賀と城上郡辟田郷が共に大彦命系の根拠地で宇陀は間に挟まれることが挙げられます。なお桜井茶臼山古墳の近くに粟殿の地名があり、(同じく宇陀と関係が深いと見られる大伴氏との関係が考えられる)阿波が水銀朱の一大産地です(国史跡 若杉山辰砂採掘遺跡)。
2025年10月15日追記)なお、大伴氏が経営していた竹田庄が万葉集に見えます。橿原市東竹田町の可能性もありますが、宇陀の可能性も十分です。ならば、大彦命か大伴かですが、桜井茶臼山古墳の被葬者としては、圧倒的に皇族で外戚の大彦命です。崇神天皇紀に大伴の名前はありません(武埴安彦の乱で活躍できなかった可能性が高い)。だから桜井茶臼山古墳の時は大彦命が水銀朱を押さえて、後で(阿波忌部と関係が深そうな)大伴が復権した可能性もあると思います。大彦命と阿波忌部の関係に関して言えば、大彦命の弟で(武埴安彦の乱で落命した?)開化天皇が関係深そうな気配はあります。
参考記事
記紀のトビを読み解く(モモソ姫と長髄彦の共通点)|古墳時代史解題
武渟川別が出雲を支配し、吉備氏(モモソ姫一族)と関係の深い三輪氏が大国主神後裔となったことを示すメスリ山古墳|古墳時代史解題
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