古墳時代・飛鳥時代に日本に決定的な影響を与えた書物は春秋(孔子を産んだ魯国の年代記)
古墳時代(後期)・飛鳥時代に日本に決定的な影響を与えた書物を一つ挙げるなら、春秋(孔子を産んだ魯国の年代記)ではないかと思います。
まず、一つに天皇号ですが、春秋で多用される天王号を参考にしたと思います。最初からか途中で変更したかは分かりませんが、皇帝に倣って、天皇としたのでしょう。呉音では皇はオウのようです。
次に日本書紀が正史っぽい題名ながら、編年体であるのも、春秋の影響があると思います。中国の歴史を参考にするなら、まず正史であるはずですが、どうもそうしたように思えません。
春秋は注釈書が色々ありますが、春秋経伝集解が西晋の杜預の左伝の代表的な注釈書で、これが日本に大きな影響を与えた可能性があります。
というのも、日本の黎明期の学問は百済から派遣された五経博士に拠ったと思われ、この五経博士がテキストにしていたのが春秋だと思われます(五経=易経・書経・詩経・礼記・春秋)。呉音とは(百済)扶余音の可能性があり、いずれにせよ、推古朝には既に確立していたことは疑いありません。天皇号は天武朝時に唐の高宗の天皇号を参考にした説が有力視されているようですが、(西魏が周礼の官制を導入する等)周の文化への憧憬は南北朝時代に既にあったのであって、突発的な称号を参考にするのは、論拠薄弱ですし、何より、呉音で天皇を読む時点で、全くの的外れとせざるを得ません。結局、推古天皇紀に見える(聖徳太子や蘇我馬子が編纂した)天皇記の存在は信用して良いはずです。
五経はそれぞれ古墳時代(後期)・飛鳥時代の日本に大きく影響を与えたでしょうが、その中での歴史が春秋という訳です。だから中国正史を(書名は借りながらも)参考にしなかった。
なお、記紀神話に関して言えば、古墳時代中期の成立だと考えており、淮南子や漢書は、この時に影響を与えたと思います。
追記)Q)王朝交代を前提としないなら、断代史に囚われた紀伝体は不要です。編年体の採用の理由はその辺では?
A)まず、列伝等の不在は断代史と直接的に関係が無いような気がします。寧ろ最初の紀伝体の史記は王朝並立の春秋戦国時代を著述するためのスタイルではないでしょうか?国を跨いで活躍する人を列伝に載せたみたいな。後は史記の評価が高かったがゆえの惰性なのかと。いずれにせよ、日本書紀は紀伝体を意識した書名であるにも関わらず、中身は編年体です。編年体があっているだけなら、書名も書とか紀を使わなくて良かったのでは?
もう一つ大きな疑問があって、新羅のように王朝が存続している間は史書を編纂しない道もあったということです。これが寧ろ東アジアの常道です。これも日本は編年体を採用したように、王朝が存続している間の編纂を選びました。恐らく純粋な思い付きではなく、モデルがあったでしょう。そう、春秋です。春秋は哀公14年(紀元前481年)で終わっていますが、魯国は紀元前256年まで存続しています。如何に五経博士の教授が当時の日本の基礎教養になっていたかです。
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