卑弥呼の時代の神門古墳群と江戸
神門(ごうど)古墳群。千葉県市原市惣社(市原郡に上総国府)の纒向型前方後円墳3基含む古墳群で、築造年代は3世紀前半から3世紀後葉まで諸説あるようですが、千葉県教育委員会によると、3基は連続(5号墳→4号墳→3号墳)して築造され、3世紀中葉前後だということです。神門3号墳からは手焙形土器(卑弥呼の土器)が出土しており、素直に考えると墳形と併せて、卑弥呼の時代の古墳です(見出し画像はウィキペディア「神門古墳群」3号墳 出土品 市原歴史博物館展示(Saigen Jiro))。そう考えると、狗奴国=東東海(静岡県)説においては、被葬者は狗奴国に味方して、断絶或いは衰退した可能性が高いような気がします。高尾山古墳も古いらしく、どうも狗奴国は大和朝廷の分派で独立したような印象が拭えません。

ところで神門は「ごうど」とは訓めません。これは当て字で本来江戸をごうどと訓んだのであり、江戸幕府の成立で江戸との混同を避けて、総社があったことで神門を宛てたのではないか?神門表記は江戸時代の文献が初出のようです。つまり関東には二つの江戸があったことになりますが(読みを変えて区別していた?)、有名な武蔵国の江戸は豊島郡江戸郷(和名類聚抄には見えない郷)で、江首氏=茨田氏=尾張部氏だと思われます(記:日子八井命者、茨田連、手嶋連之祖)。つまり、神門古墳群の被葬者も江首氏ではないか?ただ、茨田氏は崇神天皇に味方して、大きな古墳(禁野車塚古墳、牧野車塚古墳)を築いたと見られます。この傍証として、市原郡に江田郷が見えることも挙げていいでしょう(神門古墳群とは距離がありますが)。また、近隣に出雲国造族の上菟上国造があったと考えられ、出雲国造族に神門氏(かんどうじ)がありましたから、それを意識して神門の宛て字の可能性もあります。しかしゴウドとは本来読めないはずであり、音の意味も不明です。
この地は後に王賜銘鉄剣の地で、穂積氏や日本武尊、ひいては雄略天皇との関係も深いようです。江首氏(尾張部氏)を頼ってきたとも考えられます。
そもそも江首氏は多氏の一族で河内国に割拠しており、モモソ姫の尖兵になったとして、不思議ではありません。だからこそ、武埴安彦ではなく、崇神天皇についたのが値千金で評価されたのでは?
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