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箸墓を造ったのは渡来人か?

箸墓を造った技術は中国の技術だと信じている方々が多いようですが、全く首肯できません。箸墓は曹操高陵に比べても大き過ぎますし(中国人が驚いて径100歩と魏志倭人伝に正確な大きさを記録したと見られますが、自分達が造ったと書いていません)、墓の構造が全然違います。中国人が指揮するなら、(こんな中国皇帝に不敬な)前方後円墳等造らないでしょうし、日本の史料にも痕跡が残るはずです。

それではこの段築は何なのか?(よく言われますが、版築ではないと思われます)私が思うに東アジアに類例がありませんから、前例のない巨大墓を築く為に賢い誰かが(扇状地とかの)水田の段状構造を応用することを思いついたのでしょう。

整形の墓を築く技術は出雲の四隅突出型墳丘墓で見られます。古墳は(出雲系の)土師氏が築いたと言われていますね(纏向遺跡から山陰系土器も出ています)。勿論箸墓(土師墓)からでしょう(纏向型前方後円墳は不整形で崩れていた)。正円の設計に関して言えば、杭を打って紐で円を描くだけなので、崩れない土盛りさえ出来れば、難しくありません。

西出雲は楽浪土器の出土で大陸と交流があったことが分かっています。そして独自の四隅突出型墳丘墓を築いて、北陸まで広げた。大和はそれを形とスケールを変えてマネした(土師氏に造らせた)のでしょう。吉備の特殊器台なんかも四隅突出型墳丘墓に類例があり、土師氏の発想とも考えられます。箸墓の主のモモソ姫の弟が吉備を征服したことにも因んだとは思いますが。

何処の土師氏かも日本の文献で大体分かります。この時代は塩冶の神門氏でしょう(大国主神の出雲王国の墳墓群|古墳時代史解題)。三輪周辺には出雲系の地名も見られ、箸墓の被葬者のモモソ姫の夫とされる神の大物主神(大国主神)が出雲系です。モモソ姫が薨去して、娘の豊鍬入姫命(台与13歳)に祭祀を継がせた崇神天皇が、後継者として前任の偉大な「王」の特別な墓を造らせたのでしょう。崇神天皇の父の開化天皇が出雲を攻め落とした将軍だったと想定できます(出雲在来勢力を倒したモモソ姫の大和朝廷の将軍とは|古墳時代史解題)。

見出し画像はウィキペディア「箸墓古墳」全景(Saigen Jiro)。

卑弥呼の墓?「箸墓古墳」をヘリで3D測量(日経新聞 2012年6月5日)航空3次元測量で作製した箸墓古墳の立体地図=アジア航測・奈良県立橿原考古学研究所提供

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