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僕の家にはフォークが1本しかない

僕の家にはフォークが1本しかない。

フォークをあまり使わないので今まで気がつかなかった。
なんとなく食器を洗うのが面倒で、更に米を炊くのも面倒で、2食つづけてパスタを茹でているときにようやく気がついた。僕の家にはフォークが1本しかなかった。

逆に言えば、僕はこれまできちんと料理をし、きちんと食器を洗う生活をしていた。献立を考え、スーパーに買い物に行き、どの食材が安くなっているのかをチェックする生活。
それが、ふとした拍子に、おそらく疲労とかストレスとか睡眠不足の積み重ねのせいで崩れてしまって、キッチンの引き出しの中にフォークやスプーンやナイフがいくつあるのかを数える羽目になってしまった。

自分が持っているフォークの数を正確に把握している人はどれくらいいるだろうか。
キッチンの引き出しの中におそらく5本くらい、普通ならば入っていてもいい。でも正確な数を知っておく必要はない。フォークの数はほとんどの人の生活に何も影響を与えないからだ。それにもかかわらず自らどうでもいいことを気にして僕は勝手に寂しくなってしまった。
本当はサンタクロースなんていないんだよ、と言われたような、別に嘘だとわかっていてあえて騙されていたのに、無理矢理現実を見せつけられるような、そんな寂しさだった。

たとえば耳のかたちがかわいい女の子が訪ねてきて、2人分のパスタでも作っていたならもっと早く気づけたのかもしれない。でもそんな日はこの家に引越してきてから一度もなかった。
なぜなら僕は村上春樹ではないからだ。

引出しの中にはフォークが1本、大きいスプーンが4本、小さいスプーンが5本、箸が5膳あった。ナイフは1本もなかった。

去年、パートナーと別れて引越すときに、カトラリーは引出しに入っているものをそのまま全部持ってきた。そのときですら気にもしていなかったし、困ることもなかった。

でもおかしい。2人で生活していたのだからフォークは最低でももう1本あったはずだ。多分5本くらいあったと思う。ナイフもいくつかあった気がする。
ただ、カトラリーの数を正確に把握していたわけではないから、本当は最初からなかったのかもしれない。

彼女がフォークを1本残して、ナイフをすべて持って、スプーンと箸はたくさん残して出ていったということだろうか。普通に考えればおそらくそうなる。
自分に必要なものだけを持って彼女は僕から離れていった。

カトラリーはいつどこで買ったのかも覚えていないほど長く使っている。

多分、KmartかIKEAで買ってきて、増えることも減ることもなく今まで生活してきた。本当に僕が買ったものかどうかもわからない。
2人で一緒に暮らしはじめるときにお互いが持っているカトラリーをミックスしたのかもしれないし、最初に2人ですべて買いそろえたのかもしれない。

覚えていないほど些末なことのはずなのに、カトラリーを1本1本数えていると不思議な気持ちになる。
なんだかこのままではいけないような、全部捨てて新しい生活をはじめなければいけないような、そんな衝動のようなもの。

もしかしたら2人で使っていたものが部屋の中にあるのが僕は気に入らないのかもしれない。僕は他人が口にしたものを使えないタイプの潔癖症ではないし、食事のたびに彼女のことを思い出すなんてこともない。
でも無意識のうちに、うまくいかない生活のストレスや孤独感や焦りをカトラリーにぶつけているのかもしれない。
それで、ある日、フォークの数に気づいてしまって、それがトリガーになってこの発想に至ったのかもしれない。

カトラリーを全部捨てたい。
捨てて、新しいものを買って、カトラリーを総入れ替えしたい。

その日のうちに僕はカトラリーを全部捨てた。

かつて2人で作り上げた生活の残骸のようなものが、ガラガラと音を立ててゴミ箱の中に落ちていく。
ゴミ袋を突き破ってしつこく僕の目の前に現れようとするのでゴミ袋をもう1枚かぶせる。

踏み出す足に合わせてゴミ袋から金属音がする。
アパートのゴミ集積場に持っていって、これでもう会うことはない。君たちに恨みはないけれど、多分ここが僕の限界なんだ。

IKEAに行ってカトラリー24本セットを$29.99で買う。
小さい箱を持ち上げると金属がぎゅっと詰まった重みを感じる。これからの生活の重さと考えたら軽いほうかもしれない。
ダイソーに寄って箸も買う。

家に帰って箱を開けて真新しいカトラリーを洗っていく。
新しいフォーク。見たことのないフォーク。でも形は似ていて使い方もよく知っている。
スプーンもナイフも箸も全部そう。

これで気分が晴れるかというと、そうでもないような気もする。
生活は何も変わらずつづく。でもフォークの数は曖昧になって、ふとしたときに、知らなくてもいいことを知る機会は少なくなるだろう。

何も知らず、もしくは知らないふりをして、騙されながら生きていける。


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