「面白い自分」を演じてしまう|心のコップに水が満ちるまでの話。
無意識で出る自分が怖い、っていう話。
無意識って、昔の経験に基づいたスキーマから構築されたものだから。 その無意識を変えようとするのは、自分の嫌なところを再認識する作業でもあって。 まあそれはいいんだけど、自分の嫌なところに気づく、あるいは気づかされるのって、単純に傷つくから嫌だなあと思う。
最近気づいたのは、私は親から愛のある言葉を受け取った記憶があまりないこと。
いや、愛されて育ってはいるんだと思う、たぶん。他から見ればすごく過保護だし、私自身もその過保護さに依存しているところもあるけれど。 けれど、「かわいい」と言われたこともなければ、褒められることもあまりなく。 どちらかというと、出来損ないとか、出来が悪いのが生まれてしまったとか。あんぽんたん、とんちんかん。そんな言葉をかけられて育ってきたなぁ〜と。
自分の心のコップはしっかり用意されているのに、水はそこに注がれることなく、いつも違う場所に流れていってしまう感じ?
だから、友達からもらういい評価も。「かわいいね」とか「ここが素敵だね」とか。 そういうのが、全部嘘に聞こえてしまう。 その言葉を、本当に私のために言ってくれているんだって実感できるまでに、だいたい3年以上はかかる。 そこで初めて、ちゃんと「仲のいい友達」って呼べるようになる。
昨日スノボにいった大学の友達も、最近やっと、他の人との話題で仲がいい友達として名前を出せるようになった。 さすがに、仲がいいと思っていいんだろうなって、少しだけ思えるようになってきた。🏂

「仲がいい」という関係性はすごく難しい。
だって、私は仲がいい、好き、と思っていても、相手はそう思っていないかもしれないから。 それはなんだか、人間関係の押し付けになる気がしてしまう。 あ、これ解散したらめっちゃ悪口言われてるんだろうな、なんて思ったりもするし。
だからバイト先とか院生同期とかの肩書きがない、普通の友達の関係構築がすご〜く難しい。
まあ、難しくしているのは自分なんだけどね。^^;
複雑化させた感情を知性化で抑え込まないと、処理が追いつかないんだと思う。無意識で何を言い出すかわからないのが怖いから。
大学の友達を、少しずつ「仲がいい」と思えるようになったからこそ、多分、本心が強く出てしまう瞬間がある。 もうそれが、すご〜く嫌。 眠い時とか、切羽詰まってる時。心のコントロールが効かなくなる時こそ、意識したいところではあるのに。
普段の自分は、ただ黙ってふふって笑って、たまに突っ込むくらいで十分なのに。 大学の友達の前だと、どこか無理をして当たり強く出ないといけないと思っている自分がいる。 面白くないって思われたらダメなんじゃないか、って。
そんな風に、勝手に自分に役割を課して接している今の自分は、果たして仲が良いカウントに含まれるんだろうか。 それでも、そんな風に無理をしてでも一緒にいたいと思うくらいには、大学の友達のことは好きなんだけど。
あとは素の自分とか、もっと私のこと聞かせてよって言ってくれる子もいる。 聞かせられるような内容ではないから、高校の友達にすら言ってないのに、そんな簡単に言えるわけあるかぁ!ってなる。 秘密主義とはまた違うんだけどな。なんなんだろう。
M2の先輩に、所属コミュニティでの自我同一性とかを調べている人が確かいた気がする。今度聞いてみようかな。
無意識ってずっと面白いし、力動的。興味は尽きないけれど、どっぷり調べる時間がないから、春休みに入ったらゆっくりしようかな。
ロールシャッハのスコアリングと、構造一覧表からのアセスメント。 まずはこの試験を乗り越えてから。
さあ、あと少しのM1生活。 頑張るぞ〜ん。✌️😊
