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進学校から特別支援学校に異動した、ある教師の話

 「やめたほうがいい」
 何度も言われた。言われるたびに、僕は自分の選択に対して、自信を失った。僕の背中を押した僕の意志は、太刀風によって彼方へ飛んで行ってしまったのだろうか。

 2024年4月から、特別支援学校で働くことにした。その前の年までは、普通校で英語を教えていた。早慶に20名弱、100人以上の生徒がGMARCHに進学するいわゆる「進学校」だった。忙しくも充実した教師生活を送らせていただいた。3年生の担任をしていた2023年度は特にめまぐるしかった。大学入試の演習の授業準備に推薦入試の面接対策、小論文の添削……と、てんてこ舞いな日々を送っていた。正直、すごく楽しかった。「あぁ、教師をやっているな」と心の底から思えた。
 そんな僕が、「特別支援学校」の道を選んだワケは、まぁ色々ある。とても長くなるし、ある生徒の個人情報がさらけ出されてしまう恐れもあるので、ここでは割愛する。「楽そうだから」「部活で土日が潰れることがないから」という理由ではないということだけ、ここに記す。実際、いざ特別支援学校への異動内示が出た2024年の2月から、働き始める4月までの2ヶ月弱の間は、不安でたまらなかった。

 知的障害がある生徒たちと接するのはほぼ初めてだった。「(普通校にいるような)発達障害と、うちの知的障害は全然違うからね」と、勤めることになった特別支援学校の学校長に、何度も念を押された。それはまぎれもない事実だった。異動してしばらく……少なくとも1学期の間は、とてつもなく疲弊した。公立学校教員の「異動」は、一般の会社員の異動とは全く違う(僕には民間企業での勤務経験がある。だから、断言できる)。学校は、学校ごとに全く違う文化が流れている。前の学校では許されていたことが今の学校ではダメ、ということがザラにある。だから、公立の教員の異動は非常にストレスフル。普通校と特別支援学校との異動はなおさら。
 それでも、周りの先生方の助けのおかげで、なんとか慣れることができた。そして何より、生徒が可愛い。本当に可愛い。
 このエッセイでは、特別支援学校での日常と、そこから得た気持ちについて……「特別支援」にハマることになった経緯を、緩やかに記していきたいと思う。



障害がある子の純粋さ

 知的障害、と一言で言っても、その特性は様々。その症状の重さのあまり、1人では歩行さえままならない子がいる一方で、「他害」と言って、他の人に暴力を振るってしまう子もいたりする(これは、決してその子が悪いわけではない。だからこそ、「他害」は、本当に悲しいことだと僕は思う)。
 でも、少なくとも、僕が勤める学校の子たちは、とても可愛い。純粋そのものだ。
 もちろん、普通校の子たちだって純粋だ。前述の通り、普通校で生徒と共に学んだ5年間は本当に幸せだった。だが、この1年間で特別支援学校の生徒からもらった幸せの量は、普通校での5年間で積み重ねて来た幸せの量を超えてしまった(決してネガティブな話ではない)。
 でも、「純粋」って何だろう?何で僕は彼らを「純粋」だと思うんだろう?言葉の定義の話をするつもりはない。感覚的な話ではあるが、障害がある子と接していると、彼らと常に一緒に走り続けている感覚に陥るのだ。「共に走る」、言い換えれば「共に生きる」ということだ。
 能力に差はあれど、障害がある子たちはみんな、何かしらの支援を必要としている。自分の足を使って歩けない子。気持ちを言葉で伝えられない子。排泄をうまくできない子。モヤモヤを、怒りでしか表現できない子。必要とする支援は、1人1人違う。特別支援学校の先生方は、頭をひねりにひねって、その子に適切な支援を提供していく。クリーンヒットすることは少ない。打率で言うと、1割いけばいい方だと思う。10回試して1回うまくいくかどうかの世界だ。でも、それが楽しい。生徒は、こちらがどんな支援を提供したとしても、それに応えようとしてくれる。うまくいかなくても、彼らの中には何かが残る。それがとても嬉しい。そして、一緒に追い求めた「ヒット」を1本打てた時の爽快感といったら……。
 抽象的な話になってしまった。とにかく、その生徒のためになることを考えて実践して、失敗して、また考えて、の繰り返しに徹することができる特別支援学校で働けて、僕はとても幸せだ。

 もう1つ伝えたいことがある。生徒が本当に人懐っこい。この1年で、色々な生徒と色々な話をした。楽しい。本当に楽しい。生徒とハイタッチした回数は、もう数えられない。「生徒と楽しい時間を過ごすこと」が教育の本質ではないことはわかっている。でも、こういう楽しい時間がないと、教師の仕事なんてやってられない、と半分本気で思う(笑)。


街中の障害者の方へ

 日々の暮らしにも変化があった。特別支援学校に勤務する以前は、障害を持つ方を「怖い」「気持ち悪い」と思ってしまう時もあった。
 例えば、電車。知的障害を背負っている方に遭遇することが多々あった。ブツブツ独り言を言う方、奇声を発する方、車内をウロウロする方……そういった方々を目にするたびに、僕は顔を背けていた。あえて車両を変えたこともある。自分に危害を加える方々ではないことをわかってはいたが、その場にいるのが嫌だった。前述の通り、その方々への嫌悪感があったのも事実だ。それに、障害がある方の周りだけ触れてはいけない膜が出来上がり、その外側でとぼけ顔でスマホに目を落とすその他大勢の「健常な」方々との対比を見るのが、とても辛かったという理由も大きかった。
 だが、障害がある子どもたちと毎日一緒に過ごすようになって、考えがガラリと変わった。街中で、障害がある方に出くわしても、僕の心に波は立たなかった。奇声をあげていたら「なんでそんなに大きい声を出しているんだろう?体調が悪いのかな?欲しいものを買えなかったのかな?お腹が空いたのかな?」と考えを巡らせられるようになった。
 先日、友人と温泉に出かけた。入浴後、食事処でビール片手に談笑をしていた時。カレーライスが載ったトレーを持った男性が目に入った。彼はダウン症だった。トレーを持ちながら、同じところをウロウロする様子は異様と言えば異様だった。周りの客も、彼のことを気にし始めた。蚊を追い払うような目つきで見る客もいた。でも、私はなんとなく察した。きっと、彼には行きたい場所がある。そこを目指して、努力している最中なんだ。見守っていると、彼の顔に花が咲いた。トレーを置いたテーブルには、彼より一回り年上に見える男性が座っていた。男性は言った。「よくできたね」
 ダウン症の彼は、練習をしていたのだ。1人でトレーを持って、移動する練習を。男性は、父親か、もしくはヘルパーさんか。僕は、ダウン症の彼に透明の拍手を静かに送った。
 障害を抱えながら街を歩く方々は、戦っている。宿命として背負わされたものと。世間からの偏見の目と。その戦いは、長く厳しい。特別支援学校で働いて、障害者の方々の就労事情を初めて知った。厳しく、そして尊い戦い。だからこそ、特別支援学校では、礼儀などを徹底的に教え込む。僕も、生徒に対して、厳しい言葉を使うことが多くなった。それもこれも、熾烈な争いに彼らが打ち勝つため。
 だから、僕らは、障害のある方と日々を共にすることに対し、違和感を抱いてはいけないんだ。「いけない」と言うと強烈かもしれないが…彼らは、長く苦しい戦いに向き合う、戦士たちなのだ。もちろん、僕ら健常者も、戦士であることに変わりはない。戦士同士、手を取り合わなくてどうする。


残された時間

 障害がある子たちと、忙しくも幸せな時間を過ごせている。だが、それも長くは続かない。
 僕は、いわゆる「期間限定の人事交流」で特別支援学校に異動してきている。僕の場合の期間は、3年間。3年間勤務したら、普通校に戻る約束になっている。それは、教育委員会との取り決めだ。例外は認められないと、前任校と現任校、両方の学校長から強く言われた。 
 だから、僕に残された時間は、たった2年。2年が過ぎたら、障害を持つ子たちと接する生活と、お別れになる。

 おそらく、よほどのことがない限り、2025年3月現在僕が担任している高校1年生を、持ち上がりで今後2年間受け持っていくのだと思う。つまり、彼らが卒業するときに、僕も特別支援学校を「卒業」するわけだ。
 でも、彼らの戦いは続いていく。社会には、まだまだ障害への偏見が根付いている。また、運よく企業に就職できた子はまだしも、作業所に入所する道を選んだ子は、フルタイムで働いたとしても月に3万円ほどの賃金しかもらえない生活に入っていく。障害者年金等も合わせればそれなりの金額にはなるが、それでも苦しい道であることに変わりはない。その、社会の荒波を乗り越えていくための力を身につけるサポートをするのが、僕たち特別支援学校の教師たちの使命だ。
 だから、僕たちが校内で行うこと1つ1つ…授業、ホームルームでの話、行事での指導…様々なことが、彼らの将来に結びつく。僕たちの指導を、厳しい社会で生き抜くための力に昇華していかなければならない。教師と生徒が肩を組んで、獣道を歩いていくのだ。そして、生徒が卒業する頃には、教師はその手を肩から離さなければならない。
 なんと、美しい世界なのだろうか。やりがいに満ち溢れた世界なのだろうか。勤務中に、僕は何度も感動の涙を流した。

 だからこそ、あと2年しかないというのが、無性に寂しい。1年があっという間だったから、残りもきっと瞬く間に過ぎるんだろうな。瞬く間のその後、僕は何を思うんだろう?何を思って普通校に戻っていくんだろう?

 そんな気持ちにさせてくれる「特別支援」。僕はすっかりハマっている。異動する前は不安でたまらなかった。他の教師から「もったいない」「なんでそんな道を選んだんだ」「あんなとこ学校じゃないぞ」と散々言われた。下の世話やよだれの処理をうまくできるか、心配でたまらなかった。

 全部杞憂だった。だって、共に戦う仲間がいるんだから。同僚、生徒。素晴らしい仲間に恵まれて、本当に良かった。

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