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子どもは「手段を目的化」する天才

※お久しぶりです。今日はエッセイ風に書いてみます。
では…!

ある平日の朝、保育園へ向かう道すがらのことです。
いつものように最短ルートで保育園に辿り着こうとする私の左手を握る息子が突然立ち止まりました。
「パパ、見て!大っちいアリ!何か持ってる!」
私の頭の中は登園時間とその後朝イチで入っているミーティングのことでいっぱい。
さてどうしたものかと頭をかきながら、しゃがみ込む息子の背中を見つめていました…。

他の記事もご覧いただいた方はお察しかと思いますが、私は元の性格に現在の職種も相まって、基本的に「目的思考」とそのための「効率」を何より重んじるタイプの人間。目的を見失わず、いかに無駄を省き、最短でゴールに到達するかを計画、設計しながら日々を過ごしています。
ルート、徒歩か自転車か、何時にどう息子に声をかけて出発の準備を始めるか…、この登園プロセスも設計し尽くした「最適解」のはずでした。

そんなことが走馬灯のように頭を巡る中で、
大きなアリが何かを運ぶ様子を食い入るように見つめる息子。
その横顔を見ていて「ハッ」としました。
私が無意識に定義していた「最適」とは、あくまで「目的地(保育園)に早くスムーズに着くこと」でしかなく、息子にとっては、この道中そのものが目的地であり、大きなアリとの遭遇それ自体に意味があった。
今日という日の「成果」なのだと。

効率化とは、本来「削る」ことではなく、本当に大切にしたいものに「没入する時間」を生み出すための手段だったはずでした。
最短ルートを急ぐあまり、道端に落ちている発見まで削ぎ落としてしまっては本末転倒。
もっといえば、私が目的に辿り着くための「手段」「プロセス」でしかないと考えていた道中そのものを楽しみ、意味を見出し、目的と捉えられるのなら、日常のすべてを充実した幸せな瞬間に変えることができる。

私は登園時間、朝イチのミーティングのことを一瞬忘れて、
「本当だ!こんなに大きいアリ珍しいね!何を運んでるんだろうね?」と一緒にしゃがみ込みました。
結局アリを眺める時間は5分にも満たなかったのですが、あの数分は何か大事なことを思い出させてくれた気がします。

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