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笑ってなさい、お父さんは言った。

お父さんと過ごした古い記憶たち。

家から歩いていける近所の草むら、半袖短パンのわたし。
お父さんのごつごつした指がシロツメクサの花冠をぐんぐん編んでくれてる。
ぐんぐん。すごく早い。
小さいわたしもマネするけれど、編み方がわからなくてフニャフニャと花の鎖が解けてポロポロ落ちていく。
お父さんがわたしの頭に太くてぎっしりシロツメクサが編まれた冠を被せてくれる。
シロツメクサに飾ってもらったわたしは笑ってた。嬉しかった。
花冠の編み方、教えてくれたよね。

夏の日には川で石の水切りを見せてくれたね。
キラキラ光る水面を何度も跳ねていく石。
初めて水切りを見て興奮するわたし。

ヘビースモーカーだったお父さんに、「ドーナツつくって」ってせがんだこともあった。「アレ舌が痛いからやだぁ」と渋ったあとで、お父さんが煙をすうっとたくさん吸って頬をトン、トン、と指先で叩く。
ポンッ、と煙のドーナツが口から出てくる。ポン、ポン、ポン。
大きく広がってやがてうねうねと消えていく薄青い煙草のドーナツを見るのが好きだった。

幼稚園に通い始めるとわたしに時間や曜日ってものが出来てしまって忙しいお父さんと遊べる時間は減っていったな。

夏は現場で体力仕事。
晩酌をして、ごはんを食べたら誰よりも早く寝る。
おやすみ!と元気よくひと言いって。

冬はスキー場で貸しスキーコーナーのおじさん。
ナイター営業があるから夜帰ってくるのが遅い(そして寝るまでが早い)。

どちらの仕事も土日出勤があるから、学校に通うわたしとは休みも時間も噛み合わない。
お父さんと遊びに出かけるのはかなり貴重なことだった。

それでも思い出すのはお父さんは器用で凝り性でハマり症。
夏は現場からもってきた資材で公園にあるような箱型ブランコの小さい版みたいなのを庭に作るし。(器用を越えてる)
冬は独学で得たワックス技術が評判になって、スキー場の常連選手たちから依頼されてわが家の車庫にスキーワックスの作業場が出来ていた。(どーゆー状況?)
わたしが生まれるずっと前には写真にハマって家に暗室を作っていたらしい(ほんとにどーゆー状況?)

そんな性格だからか家族には迷惑もかけていたらしい。
お母さんはよく怒っていた。
幼いわたしにはよくわからなかったけれど、年齢を重ねてその頃の話をいろいろ聞くと、あー…。と理解できる。
きっとお父さんに振り回されてたんだよね。

でも、わたしはお父さんが好きだった。
そんなに話す時間もないけど、家族揃ってお出かけの思い出なんてほぼないけれど好きだった。
それはお父さんがわたしのことが好きだってことが伝わってきてたから。

わたしが20代半ば頃、お母さんがこれからは食事の支度は引退する宣言をしてご飯の支度や食材の買物をするようになった。
もともと洗濯とか食器洗いとか中学に入った頃にはしていたから、そうか。ぐらいの感じで仕事の合間に晩ご飯の献立を考えたりしていたな。
「百恵ちゃんがマイクを置くように、お母さん今日でしゃもじをおくから」って突然言われた時は笑ったけど。

だけどそれから数年後母が亡くなった。
救急車で運ばれてそのまま入院して亡くなった。
突然すぎた。

わたしはそばにいた。
その瞬間にお母さんの意識はなかった。
集中治療室のモニターで亡くなったことを突き付けられた。
親が亡くなるのはもっとずっと先のことだと思っていた。

それからお母さんがいなくなった暮らしが始まった。
悲しい日々だった。

でもね、お母さんが亡くなる1年前だったかな、2年前だったかな。
うちの前で生まれた猫たちが家族になったよね。

お母さんもお父さんも嬉しそうだった。
わたしも早く仕事から帰りたいって思ったし、あの子たちは家族揃っての数年間を楽しく一緒に過ごさせてくれる為に来てくれた特別な猫だったんだなって今でも本気で思ってる。
あのときあの子たちが来てくれて本当によかった。

お母さんがいなくなってしまった家の中でも、あの姉妹猫がそばにいてくれるだけでわたしたちの心を助けてくれていた。
みんなに少しずつ笑顔の時間が増えていった。

そうやって家族で助けあって、他愛もないお喋りをして笑って、日々は過ぎていった。

そんな日々の中お父さんは数年前に患った癌の検診に定期的に通っていた。
検診で転移が見つからなかったら本当に安心する。

母を亡くしたことでまだ20代でも親が亡くなる事が現実になって、何をしていても必ず後悔もするってことが身に染みた。

だからお父さんが行きたい場所ができれば、出来る限り一緒に行きたいと思った。

それから2年と少し、美術館にわたしの運転で国宝仏像展に行ったりしたよね。
お父さんがいつのまにかお友達と楽しそうに喋っていて、「コレわたしの娘です」「父がいつもお世話になっております」の挨拶をして、お友達が離れたあと、どちら様?って聞いたら「知らなーい今友達になったー」って言われて笑ったな。

お父さんが応援していたプロ野球チームのナイターを一緒に見に行ったこともあったな。
試合終わりにタクシー待ちをしていたら、チームのバスが通って中から選手が手を振ってくれてお父さん凄く喜んでくれた。
そのお父さんの子供みたいに喜ぶ顔が嬉しかった。

小さな頃からバレンタインにはチョコレートを送っていた。
大人になったこの頃も例年通りにチョコレートをあげたらホワイトデーにイオンにケーキを買いに行こうって誘われて。
わーい。と待っていたらお父さんはなかなか部屋から出てこない。
支度を終えて出てくると、
「お待たせ。」とジャケットを羽織ってきめていた。
「え、わたし近所のイオンだし普段着なんだけど!」って言ったら全然いいよと。
「だってお父さんオシャレしてんじゃんっ!」て言ったら
「そりゃーそーさ、デートだもん」
だって。
デートはショートケーキを買ってもらったよ。
1個選んだら「ダメだ!もっとよ!」ともう1個ケーキを選ばせてくれた。
さすがデート。

その頃のお父さんはあんなに飲んでいたお酒もあまり飲まなくなり、献立次第で1、2杯飲む程度になっていた。
わたしがお肉メインの献立を用意すると「お酒ちょーだーい」と甘えと嬉しさの入り交ざった声を聞かせてくれたね。

そういえば、お父さんはわたしが子どものころからお箸やその日使う調味料など全て自分の目の前に用意されるまで食べ始めない人だった。
こちらがうっかり今日の献立に使いそうな調味料を出し忘れると、催促もせずに出てくるまで何にも言わずに待ち続けていて、こちらが、あ!ごめん!って気がつく。
ほんと昭和のお父さんだったな。

お母さんが亡くなった時、遠く離れた街に住む兄が葬儀などでしばらく滞在中に家でみんなでごはんを食べているとき
「父さんこんなの作ってもらってるのになんでなにも言わないの?めっちゃ美味しいじゃん」
と兄が言うと
「美味しいよ、でもこれが毎日だからこの味が俺には普通なんだもん」と自慢気に言うお父さんがかわいかった。

そう、うちのお父さんはかわいくて手がかかる。

炊きあがったご飯の保温状態のところに、よもぎ大福(餡入り)を3個も目を盗んで入れておいて、ご飯よそおうとしたらオレ大福2個入れてね〜とドヤ顔でリクエスト。

お父さんは美味しい大福をホカホカにしたぞという自信にみちている。

「え?」と蓋を開けたらドロッドロに溶けた緑の餅と黒い餡が溶け出したごはんが…。笑っちゃうよね。

お父さんはテレビ見ててもすぐ泣くし(泣くとこじゃない)たぶん本人にはめっちゃ刺さってるのかな。

しゃくり上げて泣いているお父さんにそっとティッシュを差し出すわたし。
多分自分でもどこに泣いてるのかわかってなくて空気感に飲まれてるだけな気もする。
こういうエピソードが無限にあるんだよな。

そんな日々が続くと思っていたのに。
ある夜お父さんの片方の肘あたりから腕が大きく痙攣した。

わたしの運転で翌日お父さんの希望で評判のいい近くの整体に行った。

これは…うちではどうにもできないです…。先生の顔がくもっていた。
その足でこの数年癌の転移がしていないか定期検診で利用していた総合病院に行った。

診察をして画像を撮って待合室で待つ。
昨日の夜からずっと不安だった。
頭をよぎる嫌な予感を無理矢理にかき消す。

先生にわたしだけが呼ばれた。

肺がんだった。
肺がんが脳に転移して、それで激しい痙攣が起こっているらしい。

余命半年だって。


半年?

診察室を出て動揺した顔や悲しい顔をお父さんに見せてはだめだ。
お父さんはそういうことか、と理解してしまう。

「わたし喉かわいたから、ちょっと飲み物買ってくる。お父さんもだいぶ疲れたでしょなに飲む?」

自分にできる精一杯の自然な態度で自動販売機に向かう。

離れた自動販売機でお父さんに背を向けた瞬間涙が溢れてくる。だめだ。
泣いたあとの顔みたくなるのはいやだ。
涙をぬぐう。どんどん溢れてくる。とまらない。でもぬぐう。深呼吸する。

なんでわたし1人でここにいるんだろ。誰かお父さんに話かけに行ってよ。
ジュース買うのに時間かかっていたら不自然だよ。

呼吸を整えてお父さんのところに戻る。声を出すと涙も出そうになる。出てる?
お父さんは普通、でも気がついてたのかもな。

わたしが頑張って自然にしようとしてるな、ってお父さんも普通にしてたのかな。

そうしていたら今度はお父さんと一緒に呼ばれた。
今後の治療の話を聞く。
入院して抗がん剤の治療。
お父さんは治療に意欲的だった。

やっとお家に帰れた。

お父さんの入院が始まるにあたってわたしは生活スタイルを変えた。

お父さんとの残された日々を出来るだけ長く過ごしたい。

お父さんに会いに行く毎日。
お喋りをする。具合を聞く。
「大丈夫だよ」とお父さんは答える。

日々はすぎていく。

お父さんの誕生日、毎年お祝いしてたけど今年は病室で迎えてしまった。
ショートケーキを買ってきて、1個ずつ一緒に食べたね。

途中で問診しにきたお医者さんが勢いよくカーテンを開けて、「あ!ケーキ食べてる!」って驚いてたね。
「お誕生日なんで!」って一緒に笑ったよね。

脳に癌が転移していることで、お父さんにはわたしの見えない世界も見えるようになっているようだった。

わたしと一緒にいて、お喋りしてるときも知らない見えない大勢とのパーティーが始まったり。
でもパーティーだから。お父さんが楽しそうにしてるから、よかったよ。
嫌なものが見えるよりずっといい。

見えない誰かとお喋りしてるときもお父さんは楽しそうだった。
わたしには見えないけど、お父さんはやっぱり誰とでもすぐ友達になっている。 
怖い幻覚じゃなくて、お父さんが笑ってることがまだよかったって思えた。

そして、お父さんはずっとわたしをわかっていてくれた。
最後の時まで娘だった、それは本当に嬉しかった。

お父さんの大好きなプロ野球チームが今年もわたしたちの街に試合に来てくれた。
お父さんは治る病気ではないから、好きなことを全部させてあげたい。

先生に思い切って相談したら、心よく外出の許可が出た。

たくさん人のいる球場、お父さんは完全車椅子、トイレの介助、いろいろ緊張はあったけど、野球の試合見に行けるよ!と伝えると楽しみに過ごしているお父さんを見て、とにかくよかったって思えた。

今でもカメラが趣味のお父さん。
でっかい立派な一眼レフを用意する。

当日車椅子席で三脚を立てて構える。
でもやっぱり体力や筋力が足りなくて思うようには撮れなくて…。

急遽わたしたちへのカメラ指導が始まった。
わたしたちの下手なカメラで選手たちの写真をたくさん撮ったよね。

カメラの指導をするのも、選手たちのプレーを応援するのもすごく楽しそう。
お父さんは笑ってる。
やっぱり来てよかった。

病院に帰って、中庭でお父さんとチームのグッズの帽子を被ってメガホンを持って一緒に写真を撮った。
わたしもお父さんもいい笑顔。

わたしは今は結婚していて夫と暮らすリビングにその写真は飾っているよ。
わたしもお父さんも今も笑ってるよ。

その日の写真は全部プリントアウトして、ミニアルバムに入れてお父さんにプレゼントした。

嬉しそうに、ブレブレな写真や奇跡的に綺麗に撮れてる写真を眺めるお父さんを見るのはわたしも嬉しかった。

それからしばらくしていつものように今日も病室に会いに来た。
お父さんはいなかった。お手洗いかな?検査かな?
とりあえずベッドサイドに座る。

あのミニアルバムが開かれてベッドに橋のようにセットされてるテーブルに立てかけてある。

わたしが写真を見ていると通りかかった看護師さんが、「その写真、寝ててもいつも見てて、寝ながら見やすいいい角度に立ててってわたしたちにお願いしてくるんですよ」って教えてくれた。
涙がこぼれた。
一緒に行けてよかった。

それからも日々は続いた。

お父さんの大好物のぶどうを数粒だけでも食べさせてあげたくて、誤嚥性肺炎にならないように全神経を使って口に運んだこと。
「美味しい」って言ってくれて嬉しかったこと、今も浮かぶ。

入院していた病院では受けられない抗がん剤治療の為に一次的に転院をして、また主治医のいる病院に帰って来る車内。
運転席のわたしと助手席に座るお父さん。
病院に着く前に車の中で煙草を一口だけ吸った。
幼い日に見た煙草のドーナツと同じ薄青い煙。

書ききれないたくさんの日々があの数ヶ月にはあったよね。

お父さんの最後をわたしは看取ることができた。
お父さんの最後の瞬間、一緒にいることができた。

お父さんがわたしに最後に言った言葉は「おまえは笑顔が一番いいから、一番だから、ずっと笑ってなさい」だった。

え?って思った。

この間際の瞬間にそんなことが言えるの?お父さんすごいよ。

涙が溢れてくる。だけど笑顔を頑張って作る。「お父さんの笑顔も一番だよ。すごくいいよ。ありがとう」わたしも答える。

お父さんとわたしの最後のお喋りだった。
直後お父さんの瞳孔が開いた。
大きな声で泣いた。
お父さん、いかないで。

それからのわたしの喪失感と泣き暮らす日々は酷いものだったけど、数ヶ月後、会うはずのないところで偶然お世話になったわたしの親世代の知り合いとばったり会って、お父さんどう?と聞かれて亡くなったことを伝えて。
寂しい。というようなことをわたしは多分言ったと思う。
たくさん後悔がある。とか。

そしたらその方が「お父さんはずっと見てるから、死んだって絶対に見てるから、ずっと見ててくれてるから。親ってそういうものだから」って真剣に言ってくれた。

その言葉は、お父さんが言ってくれたんじゃないかと、なぜだかそう思えてしまった。

あれからもう十数年あと何年か過ぎれば20年、それでもあのときお父さんと過ごした日々や交わした言葉を思い出すと涙がこぼれる。

お父さんが最後に言ってくれたことずっと覚えてるよ。

わたし、ずっと笑ってるね。

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