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創作における「参入障壁を上げろ」という声に反対する理由

生成AIが普及してから、創作の世界でしばしば聞こえてくる意見があります。

「AIで作品の質が下がるから認めるべきじゃない」
「誰でも作れるようになったら文化が崩壊する」といった声です。

その裏にあるのは、雑な作品が増え、本当に価値のある作品が埋もれてしまうのではないかという不安なのでしょう。

もしかしたら創作に対しての特権階級意識を守りたい人たちの意見なのかもしれないですが、それはまぁ当然の感情なので除外。
今まで頑張ってきた時間が無駄になるかも!(実際にはそんなことないとも思っています。絵を描ける人が使うAIと、そうでない人のAIでは全く違うと思っています)、という感情はとてもよく理解できますが、それに変な言語化、この「参入障壁を上げよう」という主張にまったく賛同できません。

むしろ私は、創作において参入者が増えることは、圧倒的なプラスでしかないと考えています。
名作は突然生まれるのではなく、膨大な数の作品=「母集団」があって初めて生まれるものだからです。

これは各賞でも、連載を勝ち取った漫画でもいたるところで言える事でしょう。

直木賞のノミネート作品が1作品でいいか、そんなことはないですよね?

創作文化の歴史を見れば、名作はいつも「駄作の山の中」から生まれてきました。
上澄み部分だけを残しても、その下にある膨大な失敗作・未熟作・雑な試行錯誤がなければ、名作は育ちません。駄作は必要だと思っています。名作を生むための肥料です。

そもそもイラストだって、参入障壁が下がったからここまで技術が上がったのだと思います。
昔Pixivなどが今ほどメジャーではなかったころ、イラストを学ぶとしたら季刊エスなどを見るしかありませんでした。イラストソフトも高価で、きちんとした環境を整えようとしたら何十万円も消し飛ぶような世界でした。
それが、いまではタブレット、iPadに5万円程度出せば十分なイラストを描く環境を整えることができ、無料でXやPixivアカウントを作成し、イラストを世の中に発信することができます。

YouTuberもそうです。
個人がスマホを手にして、誰でも簡単に投稿できるようになったからこうして文化になっています。
VTuberも参入障壁が下がり、さまざまな人が参画できるようになったからこうして文化になっています。

また、いろいろな人が参画するから文化になることもあります。
代表例でスト初音ミク文化ですかね。ミクのデザインが世界的IPになったのは、数万の投稿者が同時並行で音楽作品をつくり、絵を描き続けたからです。

だから、「駄作が増えるから参入障壁を上げろ」は創作文化の仕組みを取り違えています。生成AIに対してのアレルギー、拒否反応に過ぎないと思っています。創作文化を支えてきたのは「雑な試行の自由」であり、「偶然性の母数」です。

ただ、ここまで読んで「じゃあ情報商材的に量産された粗悪コンテンツや、毎秒自動投稿される意味不明な文章も肯定するのか?」という誤解が生まれやすいので、ここははっきり明確化しておきます。

私は、「文化に寄与しないノイズ」まで肯定したいわけではありません。
当然、以下のようなものは話が別です。

  • 「AIを使って大量に出品して荒稼ぎしましょう!」という情報商材的ビジネス

  • 毎秒投稿されるだけの、文章とも呼べないスパム生成物

  • 読者も作者も存在しない、自動生成アルゴリズムの産廃

これらは創作の「参入」とは別次元の問題です。
文化への貢献どころか、ただの騒音であり、プラットフォームの資源を食い荒らすだけの害です。ここは参入云々ではなく、「スパム対策」の領域で語るべきものです。

私が肯定しているのは、「創作しようとしている人間の参入」であって、人間不在の量産ビジネスや、無意味なゴミ投稿の氾濫を肯定しているわけではありません。


創作を目指すすべての人間が入りやすい環境を肯定する一方で、創作を食い物にするスパム行為は明確に否定すべきです。

この二つは同じ「大量性」でも、中身がまったく違います。

参入者が増えれば駄作は確かに増えます。
でも、そこから生まれる新しい才能、思わぬ発想、偶然の名作は、参入者が多いほど発生しやすくなります。
これが創作文化における母集団の強さです。

参入障壁を上げれば「平均」は保たれるかもしれません。しかし、突出した人間、異質な才能、誰も見たことのない作品は減ります。
文化は均質化し、発展の速度は鈍ります。

絵を描きたかったけど、社会人や家庭をもってそれができなかった人が生成AIを用いて作品を作るきっかけになるのは素晴らしいことだと思っています。
絵を練習してもうまくならなかった人もいると思います。こういった人に対して「絵が上手くならないのは努力が足りないからだ」というのは特権階級の傲慢でしょう。ではそういうあなたは東大に入れるんですか?東証プライム企業で働けますか?できないことを「努力が足りない」と言うのはただの思考停止です。うまれもって才能がない人、筋肉の関係で腕を思い通りに動かせない人、色がわからない人、空間把握能力がない人、絵を努力する時間の確保ができない人、さまざまな要因でやりたかったけどできなかった人はいるでしょう。

創作の世界はもっと雑で、もっと自由で、もっと開かれていていい。そのほうが健全で、豊かな文化の未来が見える気がします。

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