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「自分らしく生きたい人」が、なぜコスパを気にするのか

ここのところしばらく「自分らしく生きていく」「自分の人生を生きる」という言葉を聞くようになりました。
それ自体はとても健全で、尊重されるべき姿勢だと思います。

ただ、そう言っている人が、「YouTuberになる!」と言いながら、いろいろな人の「チャンネル登録者を効率的に稼ぐ方法!」見たいなことを必死に情報収集していたりすると少し疑問です。

こうした「コスパ」「タイパ」的な事も「自分らしく生きていく」「自分の人生を生きる」と同じくらいよく登場する決まり文句です。

自分らしく生きることと、コスパよく生きることは、本来まったく別の概念なのに、いろいろおかしくなっているような気がします。きっと情報過多からきているのかと思います。

そもそも「コスパが良い」とは、最小限のコストで最大限の結果を得る、つまり他人がすでに成功している方法を真似し、再現性の高い最適解へ寄っていくということです。

効率化とは、他人の学習曲線にただ乗りするという発想で成り立っています。
当然生存戦略の1つではありますし、凡人がとるべき方法の1つでもあると思います。

ただ、そこには個性など必要ありません。
コスパを重視するほど人は似通っていきます。
スマホのゲームだと「最強パーティ」「最強Tire表」みたいなものが作成され、100人以上のキャラクターがいても、結局みな同じパーティでクリアする、みたいなことが起きます。

何もスマホのゲームに限った話ではありません。
ファッションも、趣味も、キャリアも、恋愛も、人生の選択ですらテンプレが成立し、そこに「らしさ」は溶けていきます。

一方で、「自分らしく生きる」とは、本来非効率の連続です。
無駄に見えることに時間を使ったり、意味のないこだわりを抱えたり、損だと分かっていても選んでしまったりします。

それらは客観的に見ればコスパが悪いですし、奇妙に映ることもあるでしょう。
ファッション誌に載っている「個性のない」衣装ではなく、「見たこともない」衣装だった場合、単に「見慣れていない」という意味で奇抜に映ります。

でも、その「余白」こそがその人を形作るのかなぁと思います。
効率化して削ぎ落とされた人生に、自分らしさなんて残りません。

だから、「自分らしく生きたい」と言いながら「コスパよく生きたい」と願う姿には矛盾があるように思っています。

自分らしさを求めるのに、基準は常に他人を参照しているというわけです。

SNSでバズっている考え方、成功者が語るルール、周囲が褒めてくれる選択。
結局のところ、「自分らしさ」と言いながら、他人のテンプレートに自分を当てはめようとしているだけではないのかと思うのです。

そして少し残念なのが、その矛盾に本人が気づいていないことが多いことです。

「自分の人生は自分で選んでいるんだ」と言いながら、実際の判断軸は「みんながやっているから」。そんな人生が本当に「自分らしい」と言えるのでしょうか。自分軸を掲げながら、他人の答え合わせをしているだけなら、それはただの追従であって、自分の人生ではありません。

ファッション誌に「自分らしさ」は載っているのでしょうか?
それは「自分らしさ」でしょうか。

そもそも、自分らしく生きることはコスパが悪いことです。
時間もお金も手間もかかるし、理解されないし、遠回りもするでしょう。
それでもやりたい、選んでしまう、離れられない。

そういう非効率な衝動こそが、その人の本音であり、自分らしさの正体だと思います。
効率化してテンプレ化した時点で、それは「最適化された誰かの人生」でしかありません。

ただ、もちろん「全部」に対して「自分らしさ」を求めているときりがありませんし、全部自分で判断するのは大変です。「自分らしさ」を求めない部分については「コスパ」を重視して「最適化された誰かの人生」をなぞるのも良いでしょう。

でも、「自分らしく生きたい」部分については、やっぱり、コスパなんて最初から捨てておいたほうがいいと思いますし、そしてコスパを求めるなら、自分らしさなんて口にしないほうがいい。

そのほうが、いろいろ楽に生きれるんじゃないかなぁと思います。

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