結局は「人の好さ」なのかなと思う
スピリチュアルな話をしたいわけではありません。「良い行いをしていれば神様が見ている」とか、「徳を積めば運が巡ってくる」とか、そういう話ではないです。
もっと即物的で、もっと人間くさい話です。
結局のところ、人生がうまくいくかどうかは「人の好さ」にかなりの部分がかかっているのではないか、と最近思うようになりました。
理由はシンプルで、人間は必ずミスをします(少なくとも観測範囲では。このnoteではこれが前提とします)。
どんなに優秀な人でも、どんなに慎重な人でも、長い人生の中でミスをゼロにすることはできません。
仕事で失敗する。判断を間違える。うっかり誰かに迷惑をかける。大事な場面で期待に応えられないなど、そういうことは誰にでも起きます。
問題は、そのミスが起きたとき、周囲がどう反応するかです。
普段から「良い人」だと思われている人がミスをしたとき、周りの反応はこうなります。
「まぁ、そういうこともあるよね」。
「〇〇さんなら仕方ないよ、次がんばろう」。
「普段あれだけやってくれてるんだから、一回くらい大丈夫だよ」。
ミスそのものは同じでも、普段の人柄が緩衝材になると思います。
周りの人は、その人の「普段」を知っているから、一度の失敗で評価を変えませんし、むしろフォローしようとしてくれる場合も多いでしょう。
一方、普段から「嫌な人」だと思われている人が同じミスをしたときは反応はまるで違います。
「ほら、やっぱり」。
「前から思ってたけど、あの人って結局こうだよね」。
「これを機に、ちょっと考え直した方がいいんじゃないですか」。
これを贔屓と言う人もいるかもしれないですが、まぁありますよね。
同じミスなのに許されないどころか、このミスを口実に排斥されることすらあり得ます。
普段から積み上げてきた「嫌な人」という印象が、一度のミスで一気に噴き出して、今まで我慢していた周囲の不満がここぞとばかりに表に出てくるのでしょう。
「いや、結果を出し続ければ人柄なんて関係ないでしょう」という反論もあるかもしれません。
確かに、そういう生き方もあります。
性格が悪くても、圧倒的な結果を出していれば、組織は手放せないですし、周りの人間も文句を言えない。
「嫌なやつだけど、あいつがいないと回らない」。そういうポジションを維持し続けるという戦略です。
しかし、この戦略には致命的な弱点があります。
多くの人間は、結果を出し続けることができませんし、そんな替えがいないくらい圧倒的な結果を出すことはできないでしょう。
好調な時期もあれば、不調な時期もあります。
体調を崩すこともあれば、環境が変わることもあります。
市場が変わることもあれば、技術が変わることもあります。
どんなに優秀な人でも、結果が出ない時期は必ず訪れると思います。
結果を出している間は、嫌な人間でも許されるかもしれないですが、結果が出なくなった瞬間「嫌な人間」という評価だけが残ります。そのとき、周りに味方は一人もいません。
結果で人柄をカバーするというのは、綱渡りのような生き方です。
一度でもバランスを崩したら、下にネットはありません。凡人の私には怖い生き方ですね。
逆に、「良い人」は結果が出ない時期をしのげます。
「最近ちょっと調子悪そうだけど、大丈夫? 何か手伝えることある?」。良い人の周りには、こういう声をかけてくれる人がいます。不調の時期にフォローしてもらえたり、チャンスをもう一度もらえることもあるでしょう。復活するまでの時間を稼いでもらえるわけですね。
これは「優しい世界」の話ではなく、人間心理の話です。
誰だって、やっぱり良い人と一緒に働きたいのかなと思います。
私はAさんとBさんCさんを選べる立場にあるとして
Aさん:能力(実績)100 性格50
Bさん:能力(実績)80 性格70
Cさん:能力(実績)50 性格100
の3人がいた場合、Bさんを選びます。能力はAさんに劣るかもしれないですが、一緒に仕事をしていて楽しい、やりやすい方が良いですよね。
これが、
Dさん:能力(実績)300 性格10
みたいな人がもしいたらDさんと組みたいと思いますが、大体多くの人はそんなに差なんかつかないですしね。
やっぱり良い人と一緒にいたいのですし、良い人を助けたい・力になりたいのかなと思います。これは善悪の問題ではなく、人間の自然な感情です。
嫌な人を助けたいとは、普通、思いません。嫌な人が困っているのを見て「よし、助けよう」と思える人は、相当に人間ができている人です。大多数の人間はそこまで聖人ではありません。
つまり、「良い人である」ということは、人生において最も汎用性の高い保険なのではないかと思うわけです。
良い人であることの利点はほかにもたくさんあります。
例えば、情報が集まりやすいということ。
良い人の周りには、自然と人が集まります。
人が集まれば、情報も集まります。
仕事の機会、業界の動向、思わぬ助け船。こうしたものは、人づてにやってくることが多かったりします。そして人は、情報を渡す相手を選びます。嫌な人間にわざわざ良い話を持っていこうとは思いません。
「あの人、良い人だから紹介してあげよう」「あの人なら信頼できるから、この話を持ちかけてみよう」。こうした小さな積み重ねが、長い時間をかけて、人生の質を左右していくのだと思います。
こう書くと、「じゃあ打算で良い人を演じればいいのか」という話になりそうですが、それはたぶん無理です。
打算で演じている「良い人」は、長い付き合いの中で必ずボロが出ます。人間は、相手が本心から親切にしているのか、計算で親切にしているのか、意外と敏感に感じ取ります。メッキは必ず剥がれます。
人間ってこういったところは敏感ですよね。
では「良い人」とは何かと言う話です。
もちろん場所にいるだけで周りを明るくさせるすごい人もいますし、見たことも一緒にいたこともありますが、ああいった人にはまずなれません。
ただ、性格は変えられないですが、少なくとも仕事上の「良い人」になるコツみたいなものはあります。
大げさなことではありません。
約束を守る。
嘘をつかない。
人の悪口を言わない。
困っている人がいたら手を貸す。
感謝を言葉にする。
そういう、ごく当たり前のことの積み重ねをしていると少なくとも仕事上は「良い人」と認定されると思います。
能力や実績や戦略などはもちろん大事です。
ただ、能力は衰えることがあるし、実績は途切れることがあるし、戦略は外れることがあります。それらが全部うまくいかなくなったとき、最後に自分を支えてくれるのは、自分の周りにいる人たちです。
そして、自分の周りに人がいるかどうかは、結局のところ、自分が「良い人」であるかどうかにかかっているのではないか、という話でした。
