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「減税」という言葉の魔力について

「食料品の消費税をゼロに」。
最近、選挙の公約やSNSで頻繁に目にするフレーズです。

物価が上がっている実感は誰しもあるでしょうし、食料品が安くなるのは素直にありがたいとは思います。私だって、スーパーで買い物をするたびに「あれ、前はもう少し安かったよな」と思うことが増えました。

なので「減税」と聞くと、反射的に「いいね」と思ってしまう気持ちはよくわかります。

ただ、少し短絡的すぎやしませんでしょうか、と言う話です。

「減税」という言葉には不思議な魔力があります。
それを聞いた瞬間、「税金が減る=良いこと」という等式が自動的に成立して、その先を考えなくなっているようにも思います。

でも、税金というのは別に国が趣味で集めているわけではないですよね。

例えば、食料品の消費税をゼロにすると、年間でおよそ5兆円の税収が減ると言われています。5兆円。数字が大きすぎてピンとこないかもしれませんが、これは飲料の規模とほぼ同じ規模です。

その5兆円は当然どこかから補填しなければなりません。他の税金を上げるのか、国債を発行するのか、あるいは何かの公共サービスを削るのか。選択肢はそのどれかしかないわけです。

身もふたもないのですが、「減税」というのは「お金が降ってくる」ことではなく、「負担の付け替え」に過ぎないことが多いのです。

これは家計に例えるとわかりやすいかもしれません。

国の税収=給料とすると、「今月から勤務時間が減る代わりに給料が3万円減りました!」と宣言したとして、減った分はどうするのでしょう?
同じ暮らしをするためには3万円どこかで、例えばタイミーとかで稼ぐ必要が出てくるかもしれませんし、単純に貯金を切り崩す必要が出てくるかもしれません。3万円出費を減らすという選択肢も出てくるでしょう。減った3万円はぽんと湧き出てくるわけではないですよね。

ところが、国の財政の話になると途端に「減税=正義」「増税=悪」という単純な構図で語られがちです。

「いや、無駄遣いを減らせばいいだろう」という声も聞こえてきそうです。確かにその通りで、無駄な支出を見直すことは大切です。ただ、何が「無駄」かという議論もまた一筋縄ではいかないのが現実です。自分には関係ない予算は「無駄」に見えても、それによって生活が支えられている人がいたりもします。
そして、こういった事を言う人に限って、国がどういった事にお金を使っているか、そういったデータを見たこともなかったりもするわけですね。
これも「国」=「無駄遣い」というよくわからない思考停止をしているか、例えばODA(政府開発援助)をしたときに自国の金を海外にバラまいて何を考えているんだ!といった思考しかできない無知な人なのでしょう。
こんなnoteなんて見ていないで中学の公民の教科書を読んだ方が良いと思います。

「減税しろ」と「福祉を充実させろ」と「国の借金を減らせ」を同時に言っている人を見かけることがありますが、この3つを同時に実現する方法は、残念ながら存在しません。レストランで「安くて、量が多くて、めちゃくちゃ美味しい料理」を求めるようなもので、どこかにトレードオフが発生します。そりゃそれができれば苦労はないけど、まぁこれも脳内がお花畑の人の意見でしょう。小学生が言っていればかわいいですが、大人がこういった事を言っているのは見ていて醜悪です。

まぁ、別に減税そのものを否定したいわけではありません。
経済の状況に応じて税率を調整することは政策として当然あり得る話ですし、実際に食料品の税負担が家計を圧迫しているのは事実でしょう。
ただ、「減税」という言葉だけに飛びつくのではなく、「その代わりに何が起こるのか」をセットで考える習慣があってもいいのかなと思うのです。

政治家が「減税します」と言ったときに、「おお、ありがたい」で終わるのではなく、「で、財源は?」と少し考えるだけで、見える景色はだいぶ変わってくるのではないでしょうか。
その結果あなたの街の道路の補修費がなくなってボロボロの道路になったり、市営の動物園や公園が寂れていったり、街路樹がボロボロになっていく、そういった覚悟があるのか、と思ったりします。
それに消費税が減って所得税が増えたらあんまり意味ない、どころか累進課税もねじ曲がったりしませんかね?と思ったりします。

選挙のたびに「減税」や「無償化」といった甘い言葉が飛び交いますが、それに対して「本当に?どうやって?」と問いかけることが、結局は自分たちの生活を守ることにつながるのかなぁと思う今日この頃です。

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