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「応援しているからこそ厳しいことを言う」という言葉について

「応援しているからこそ厳しいことを言う」「本当のファンなら苦言を呈するべきだ」。
最近こういった言葉をSNSで見かけました。

何かに挑戦している人に対して、批判や罵詈雑言を浴びせながら、「これは応援だ」「相手のためを思って言っている」と主張する人たちがいるようです。

正直価値観が合わないなぁと思います。

批判されてテンションが上がる人って、いるのでしょうか。そういった人は全くの他人から罵詈雑言を浴びせられてうれしいのでしょうか?

もちろん、的確なフィードバックや建設的な指摘が成長につながることはあると思います。ただ、それは信頼関係のある間柄であることが前提でしょう。また、素人の思い付き以下の中身の何もない思い付きではなく、具体的な改善案とともに伝えられるものであって、SNSで一方的に投げつける言葉とは本質的に違うものかなと思います。

例えば、料理を始めたばかりの友人が手料理を振る舞ってくれたとします。
少し味付けが濃かったとして、「まずい。料理のセンスがない。向いてないからもう料理をするのはやめたほうがいい。お前の料理よりも店で食った方がおいしい」と言うのは応援でしょうか。
それとも「少し塩を控えめにしたらもっと美味しくなりそうだね」と言うのが応援でしょうか。前者を「相手のため」と本気で思っているのであれば、それはなかなか独特な感性だと思います。

そして、もうひとつ気になることがあります。
「厳しいことを言える自分」に酔っている人が、思った以上に多いのではないかということです。

身もふたもないのですが、もしあなたの意見が本当に価値のあるものであれば、相手のほうからあなたに意見を求めてくるはずです。
プロのアスリートにはコーチがいますし、企業にはコンサルタントや相談役がいます。彼らは自分で選んだ信頼できる相手から助言を受けています。
頼まれてもいないのに一方的に「批判」を投げつけるのは、「相手のため」ではなく、「自分はこれだけわかっている」「自分のほうが正しい」という自己顕示欲を満たすための行為に過ぎないのではないでしょうか。

心理学では「下方比較」という概念があります。自分より劣っていると感じる対象と自分を比較することで、自尊心を保とうとする心理的メカニズムです。挑戦している人を批判することで、自分は挑戦していないにもかかわらず、なんとなく上の立場にいるような錯覚を得られる。。。そういう構造が働いているのかもしれません。

本当に「良かれと思って」言っている人もいるのでしょう。ただ、良かれと思っていることと、実際に相手のためになっていることは別の話です。頼まれてもいないのに「良かれと思って」と言う単語に隠れているのは「あなたにとって」という事です。
こういった人は無視されると勝手に怒り始めます。他人のために思っての事であれば、「必要ない」と言われたら取り下げるべきでしょう。
それでも起こり始めるのは、やっぱり他人のためではなく自慰行為に過ぎないことだと思っています。

何かを自分の名前で発信したり、挑戦したりした経験のある人は、他者への批判の仕方が違います。
自分が矢面に立ったことがある人は、的外れな批判がどれだけ消耗するかを知っています。だから、言葉を選ぶし、伝え方を考えるでしょう。

逆に言うと、気軽に「応援のつもりで」厳しい言葉を投げられる人は、自分が同じ立場に立ったことがないのかなと思ったりします。

「相手のため」という言葉は便利です。その言葉で包めば、どんな辛辣な言葉も正当化できてしまいます。
ただ、本当に相手のことを思うのであれば、まず相手がその言葉を受け取ってどう感じるかを想像することが先ではないでしょうか。

応援って、もう少しシンプルなものだと思っています。
「頑張ってるね」「見てるよ」。それだけで十分救われる人がいるということを、もう少しだけ想像できる世の中になるといいなぁと思う今日この頃です。

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