SNSで中途半端に数字を持つと、人は「世の中の真実」に気づいてしまうらしい
先日、SNSで少し考えさせられる光景を目にしました。
デモに行ってわかったことがある
— ハナブサ ノブユキ (@Hanapan8723) April 8, 2026
「高市、めっちゃ嫌われてる」
特に若い人、しかも女性に pic.twitter.com/LVJ10Rfhsa
オタクは元来、平和主義者であった。それが21世紀に入ってからネトウヨと悪魔合体し、エロの自由をわめき散らすだけの社会の害悪と見られるようになってしまった。僕はもう一度、平和を愛し、弱い者を守るオタクを取り戻したいと思っている。賛同するオタクの皆さん、力を貸してください。オタクにまと…
— 高橋裕行 (@herobridge) April 6, 2026
イラストレーターの方や、普段何を発信しているのか正直よくわからないけれどフォロワーが何万人もいる方が、突然、政治的な発言を始めるわけですね。
その姿を見て、ああ、承認欲求とエコーチェンバーが重なると、人は本人も気づかないうちにこうなっていくのだなと、妙に納得してしまいました。
おそらく、きっかけ自体は些細なものだったのだと思います。
たとえば、何かのニュースを見て「けしからん」と思う。それ自体はごく普通の感情です。誰でもあります。
また、無知であればあるほど1を見て100を知った気になります。まぁ無知は罪ではないですし、誰しもそういった事はあるでしょう。そもそも無知な方は自分自身を無知を認識できないので仕方がないと思います。
こういった本を読むといいと思います。
ただ、同じ無知であっても普通の人とSNSで数字を持っている人の違いとして、その「けしからん」を投稿したときの反応にあります。
フォロワーが数万人いれば、政治的な投稿にも100件、200件と肯定的なリプライがつきます。「その通りです」「よく言ってくれました」「応援しています」。そういう言葉がずらりと並ぶでしょう。
イラストレーターのファンだとしたらその人のイラストではなく、その人自身のファンになることもあるでしょう。
すると、どうなるか。
「やはり自分が言っていることは正しい」と確信してしまうのです。
たかが100件です。日本の有権者は約1億人います。100件の同意は、日本全体から見れば0.0001%にすぎません。
しかし、画面上に並ぶ肯定の言葉は、そんな当たり前の事実を吹き飛ばすだけの力を持っています。
元々身近な共同体としてしか生きてきていない私たちは、たかだか30~40人のクラスでいじめられたら「この世界に居場所はない」と錯覚しますし、インターネットのまったく知らない誰かからの誹謗中傷と友人からの誹謗中傷の区別もつかず同じように脳にダメージが良くみたいです。
何の本で読んだか忘れましたが、このあたりの本だったように思います。
先ほどのポストに戻ります。
「会場には若い人もたくさんいた。やはり多くの人がこの政権に怒っている」と。
しかし、デモというのは、そのテーマに反感を持っている人が集まる場所です。デモの会場で「この政権に怒っている人がいた」というのは、魚市場に行って「魚がたくさんあった」と言っているようなものです。それはそういう場所なのだから、当たり前です。
また、デモに若い女性が多く参加しているという現象についても、額面通りに受け取るのは少し早計な可能性が高いです。
American Political Science Review に掲載されたMartin Naunov氏の研究(2024年)では、女性の参加が多い抗議行動は、男性中心の抗議行動と比較して「暴力的でない」「弾圧に値しにくい」と受け止められやすいことが実験的に示されています。つまり、女性や若者がデモの前面に出ることには、運動全体の印象を穏健に見せるという戦略的な側面があり得るということです。
まぁなんとなく体感としても理解できますよえ。
年よりの男性だけの団体よりも、若い女性がいたほうがなんか雰囲気が良いですし。
デモに若い女性がいること自体は事実でしょう。しかし、そこから「若い世代も政権に怒っている」という結論に飛躍するのは、見たいものを見ているだけです。
ある程度数字を集めると政治について話し始めるのは芸能界の世界でもそうなような気がします。
有名なお笑い芸人がテレビで政治コメンテーターのような役割を果たしていることがあります。正直なところ、少し違和感があります。本業はお笑いなのに、なぜ政治を語る立場にいるのか。門外漢ではないのかと思わなくもないですが、話が旨いからですかね。
ただ、テレビに出ている芸能人はそれでもまだマシです。
長年メディアに出続けて視聴率を取り続けてきた人たちには、ある程度のバランス感覚が備わっています。
周囲にスタッフもいるし、発言がどう受け取られるかについての経験値も高いでしょう。やっぱり大衆に情報を発信するという事に対してのプロとして「線引き」が上手いなぁと思います。
テレビはオワコン・オールドメディアと呼ばれて久しいですが、そんなテレビでも視聴率が10%なら1200万人が見ている計算になります。世帯視聴率でも600万世帯が見てる計算です。やっぱりすごい数字ですよね。そういった大衆の目にさらされてある程度のバランスを取っているのはやっぱりすごいです。
問題は、そうしたバランス感覚を持たない一般人がSNSで少し数字を持っただけで、同じような立場に立ってしまう(立てると錯覚してしまう)ことです。芸能人が何十年もかけて培ってきたバランス感覚を、フォロワー数という数字だけで代替できるわけがありません。それも高々数万くらいのフォロワーです。アクティブユーザーが何人いるのかもわかりません。
それにもかかわらず、リプライ欄の100件の同意から「自分は正しい」という「確信」みたいなものを得てしまいます。
ファンがいるから反対意見は目に入らない。反対意見が目に入らないから、自分の認識が歪んでいることにも気づきません。
クラスの30~40人にいじめられて「世界からいじめられている」と錯覚するようにフォロワーの30~40人にに認められて「世界から認められている」と錯覚する、みたいなのがエコーチェンバーの怖さだと思います。
別に個人のSNSで数字を持っている人が政治的な発言をすること自体は自由だと思うのですが、ただ、傍から見ていると、少しだけ悲しい気分になりますね。
昨日まで素敵なイラストを描いていた人が、今日は政権批判のリポストで埋め尽くされている。普段は趣味の話で和やかだったタイムラインが、いつの間にか政治一色になっている。
たぶん本人は気づいていないのだと思います。フォロワーの同意を「世論」と錯覚し、デモの参加者を「国民の声」と読み違え、自分の認識の歪みを「覚醒」だと思い込んでいる、みたいな。
自分はそんな数字を集める才能は無いと思いますし、このnoteがきっかけでそんな極端なエコーチェンバーになることも少ないとは思いますが、それでもnoteにいいねがついたり、肯定的なコメントをいただくと気が大きくなったりはします。
このnoteも適度なバランスといい加減さでつづけていければと思います。
