インプレッションが収益になる世界で、「行動する」は「炎上する」と同義になった
SNSのインプレッションが収益に直結する仕組みが定着して、しばらくが経ちました。
X(旧Twitter)の収益化プログラム、YouTubeの広告収入、TikTokのクリエイターファンド。閲覧数が多ければ多いほど、お金が入る。この構造自体は、クリエイターに収益の道を開くものとして歓迎されていました。
しかし、この仕組みが定着した結果、SNSの景色は明確に変わったと思います。
「行動する」ことが、「炎上する」ことと同義になりつつあると思います。
何かをする。何かを作る。何かを発表する。何かに挑戦するなどなど、こうした「行動」は、本来であれば肯定的に受け止められるべきものです(違法行為をしないという前提のもとということは言うまでもありません)。
少なくとも、何もしない人よりは一歩前に進んでいるわけです。
しかし、今のSNSでは、行動した瞬間に「燃料」になります。
新しいサービスを始めれば「ここがダメ」と粗探しされますし、作品を発表すれば「リアリティがない」と批評されます。意見を表明すれば「こいつは間違っている」と叩かれますし、チャリティに参加すれば「偽善だ」と言われます。
行動した人間が燃やされ、その炎を眺める人間がインプレッションを稼ぐ。これが今のSNSの基本構造です。
なぜ「燃やす」ことが最も効率的な収益手段になるのか。理由は人間の脳の仕組みにあります。
人間は、「いいニュース」よりも「悪いニュース」に注目してしまう生き物です。これはネガティビティバイアスと呼ばれる、進化の過程で獲得された認知傾向です。
サバンナで暮らしていた時代、「あそこに美味しい果物がある」という情報よりも「あそこにライオンがいる」という情報の方が、生存にとって重要でした。
脅威を見逃す個体は生き残れません。だから、人間の脳はネガティブな情報に対して、ポジティブな情報よりも強く反応するようにできているのです。
この脳の仕組みを、インプレッション経済はそのまま利用しています。
良いニュースは「へー」で通り過ぎますが、悪いニュースは立ち止まって読んでしまうわけですね。
そして、怒りを感じたらリプライを書きます。反論があれば引用して投稿します。こうした反応のすべてが「インプレッション」として加算され、収益を生み出す形になります。
つまり、人を怒らせれば怒らせるほど儲かる仕組みになっているのです。
この構造の中で、「燃やす側」の行動は合理的に過激化していきます。
最初は事実を少し誇張するだけで注目を集められましたが、誇張が当たり前になると、もう少し過激にしないと目立たなくなります。
さらに過激になると、周りも過激になります。
結果として全体のボルテージが上がって、以前なら炎上していたレベルの発言が、今では「普通」になってしまうわけです。
そしてさらに過激になります。
「問題がある」では弱いので「終わっている」と書きますし、すぐに「終わっている」でも弱くなり、「犯罪的だ」と書きます。
「犯罪的」でも弱いくなり、実名を出し、個人情報を晒したり、家族に言及するようになります。マスコミもこういった形になってますよね。
犯罪者じゃない容疑者段階でも実名報道をし、自宅へ押しかけたりも日常茶飯時です。
以前のブログで「情報が発見されづらくなったことで、人は表現を"盛る"ようになる」という話を書きましたが、インプレッション経済はこの傾向をさらに加速させています。「盛る」どころではなく、「焚きつける」のです。
盛るだけなら自分のコンテンツの話ですが、焚きつけるとなると他人が燃料にされる。誰かが行動するたびに、それを燃料にして焚きつける人が群がり、焚きつけた投稿にインプレッションがつき、収益が発生します。
以前のブログで、メディアによる「炎上」は「放火」と呼ぶべきだと書きました。あのときはマスコミやネットメディアについて書きましたが、インプレッション収益の仕組みが普及した今、一般のSNSユーザー全員が「放火魔」になり得る状態です。
しかも、マスコミにはまだ「報道倫理」「編集方針」「社内審査」というブレーキがあります。不十分かもしれませんが、ゼロではたりませんでした。
個人のSNSアカウントには、そのブレーキがありません。
過激なことを書いても、誰にも止められませんし、むしろ、過激なことを書けば書くほどインプレッションが増え、収益が増え、「もっとやろう」というインセンティブが強化されます。
ブレーキどころかアクセルしかない車に乗っているようなものです。
そして、このインプレッション経済の中で最も悪質なのは、「対象に何の思い入れもない人間が、ビジネスとして炎上させている」ケースです。
たとえば、あるアニメ作品を叩く投稿をする人がいます。この人は、そのアニメを見てもいないことが多いと思います。
好きでも嫌いでもなく、ただ、叩けばファンが反応することを知っているわけですね。
「あの作品はゴミ」「あんなものを好きな奴の気が知れない」。こうした投稿を意図的に放り込むと何が起きるか。
その作品に思い入れのあるファンが、怒って反論するのです。
「何を言っているんだ」「ここが素晴らしいのに理解できないのか」「ファンを馬鹿にするな」などなど感情のこもったリプライ、引用ポスト、反論が巻き起こります。
だれだって好きなものをバカにされたらイラッとしますもんね。
ファンにとっては大切な作品を守るための正当な行為です。
しかし、放火魔にとっては、この反論こそが本当の燃料なのです。
反論が来れば来るほど、元の投稿のインプレッションは伸びます。議論が白熱すればするほど、そのスレッド全体の閲覧数が増えます。放火魔は最初から、この反論を織り込み済みで投稿しているのです。
こういった形でファンの怒りそのものが、放火魔の収益源として設計されているわけです。
思い入れのある人間の感情が、思い入れのない人間の財布を潤し、ファンが必死に反論すればするほど、放火魔は儲かります。
反論しなければ燃え広がり、反論すればさらに燃える。どちらに転んでも放火魔の勝ちです。
これが本当に卑劣なのは、放火魔にとってその対象が何であるかはどうでもいいということです。アニメでも、スポーツチームでも、アイドルでも、ゲームでも、なんでもいい。熱心なファンがいるコンテンツであれば、何でも燃料になります。今日はアニメを燃やし、明日はスポーツを燃やし、来週はアイドルを燃やす。
対象への興味はゼロで、あるのはインプレッションへの興味だけです。
思い入れのある人間の感情を、思い入れのない人間が換金している。この構造は、控えめに言って醜悪です。
この構造の犠牲者は誰か。
行動した人です。
何かを作った人、何かに挑戦した人、何かを発表した人。こうした人たちが、燃料として消費される。そしてその炎を見物する人々のインプレッションが、放火魔の収益になる。
行動した人は傷つき、次に行動することを躊躇するようになります。「あんなに叩かれるなら、何もしない方がいい」。こうして、行動する人がどんどん減っていく。
一方で、何もせず他人を燃やすだけの人は、リスクゼロで収益を得続ける。以前のブログで書いた「何もやらない俺が一番偉い」の構造が、インプレッション経済によって文字通り「何もやらない俺が一番儲かる」に進化してしまったのです。
結果として、SNS上には何が残るか。
行動する人が減り、批評する人が増え、批評がさらに過激化し、わずかに残った行動する人はさらに激しく燃やされます。
行動する人がいなくなれば燃やす燃料もなくなるはずですが、その頃には「批評を批評する」という燃料のリサイクルが始まっているでしょう。
本当にくだらないなと思います。
