コスパ、タイパ、その次は何パですか。
「コスパがいい」「タイパがいい」。
ここ数年、本当によく聞く言葉になりました。コストパフォーマンス、タイムパフォーマンス。お金に対する満足度、時間に対する満足度。どちらも大切なことですし、限りある資源を有効に使いたいという気持ちは至極まっとうなものだと思います。
最近では「メンパ」なんて言葉も出てきているそうです。メンタルパフォーマンス。買い物をするときに精神的な負荷がかからないことを重視する、という考え方らしいです。
コスパ、タイパ、メンパ。
なんというか、人間の活動のあらゆる側面に「パフォーマンス」という物差しが当てられるようになってきたなぁと感じます。
ただ、この不毛な「○○パ」の追求はどこまで続くんですかね?
例えば、映画を倍速で観る。
タイパを考えれば合理的です。2時間の映画を1時間で観られるわけですから、浮いた1時間で別のことができます。
では、その浮いた1時間で何をするのでしょうか?結局だらだらとSNSを眺めていたりしませんか?
本当にトータルでのパフォーマンスは出ていますか?
また、映画も監督さんが「間」とか「タイミング」とかの演出を含めたうえで、何百時間、下手したらもっと撮影した様々な角度から撮影した映像をカットして2時間に凝縮したものだったりするわけです。
その作品として「無駄」な場所なんて一つもないと思うんです。それを倍速で見て、そもそも「ちゃんとその映画を楽しめていますか?」という疑問が生まれます。そもそも映画を楽しめていないのであればパフォーマンスは0です。
効率化そのものを否定したいわけではありません。無駄な会議を減らすとか、面倒な手続きをデジタル化するとか、そういったことは素直にいいことだと思います。
気になるのは「効率化が目的化している」ケースがじわじわと増えているように見えることです。
本来、コスパやタイパを追求するのは、その先にある「何か」のためのはずです。お金を節約するのは、本当に使いたいことに使うため。時間を短縮するのは、大切なことに時間を割くため、などなど。
最近SNSで「その趣味、タイパ悪くない?」みたいな文字列を見たこともあります。
趣味にまでタイパを求め始めたら何もできなくないですかね?
ソシャゲーとかも現環境の最強キャラを集めても1年後には陳腐化していますし、2年後にはもっと強いキャラクターが出ていたりします。
じゃあ、今やる意味が無いかと言うとそんなことないですよね。やっぱりいつやっても楽しいですし、その時の例えばSNSのライブ感みたいなものは「その時」しか楽しめないものがあります。
そこまで行くと経験に価値を見出せないさみしい人と言う気もしますし、身もふたもないのですが、「それはもう趣味じゃなくてタスクでは」という気がします。
人間の活動すべてに効率性を求めていくと、最終的に「生きること自体のパフォーマンス」みたいな話になってしまうのではないでしょうか。
ではその「パフォーマンス」は何で図るのでしょう?「パフォーマンス」と言うからには何か基準があってそれに対して良い、悪いがあるはずです。
我々は資本主義社会に生きているので「年収」でしょうか?
ただ、そんなことを言い出すと、居酒屋やSNSで偉そうに「タイパ」を騙る人たちも、私も、このnoteを呼んでいる人(勝手に想定します)も、結局イーロン・マスクに比較すると塵以下です。
私たちが「年収500万円!」とか「年収1000万円!」とかではしゃいでいる横で、彼は一日で約1200億円以上資産を増やしています。
そのくせ彼と同じだけのカロリーを摂取する必要があるので、我々は等しく「パフォーマンスが著しく悪い(ほぼ0)」と言う話になりません?そんな我々が「コスパ」とか「タイパ」とか語るのも結構空しくないですかね。
コスパ、タイパ、メンパ。次は何パが来るのでしょうか。
「何パでもないもの」を大切に生きていきたいなぁと思う次第です。
