「SNS疲れ」の次は「AI疲れ」らしいですが、その次はなんでしょうね
「SNSに疲れた」。
最近はこういった話をよく聞くようになりました。
Xもだいぶ闘争を求めるSNSになっていますし、毎日喧嘩している人ばかりで、もう怒りの再放送ばかりで飽きてきますよね。
大人はもちろん、特にZ世代と呼ばれる若い世代を中心に、SNSの利用率や接触時間が伸びなくなったという調査結果も出ているようです。
前のnoteで触れた未成年のSNS規制とかわざわざしなくてもコンテンツとしてつまらなくなって離れていくのであればコスパも良くていいですね。
さておき、まぁSNSは「人に見られる場所」です。
投稿すれば評価され、数字で可視化され、少し目立てば時には見知らぬ人から心無い言葉を投げられます。
しかも見られないと世界に取り残された感じになりますし、目立てば見当違いな批判、疲れるのは当然かなと思います。
それで人々がどこに向かったかというと、AIだったりします。
ChatGPTやGeminiといった生成AIは、評価しません。
気を遣わなくていいですし、「いいね」の数を気にしなくていいんですね。
何を聞いても否定されませんし、ある意味で、現在のSNSの対極にある存在のポジションに収まっているように思います。
ただ、ここからが面白いなぁと思うのですが、最近では「AI疲れ」という言葉も出てきています。
AIが生成したコンテンツが溢れすぎて、「どれが本物かわからない」「完璧すぎて逆に気持ち悪い」という感覚も広がっているようです。
不気味の谷とかチューリングテストとかを持ち上げるまでもなく、まぁまぁ実感としてもそんな感じを持っていたりします。
SNSのタイムラインを開けば、人間が書いたのかAIが書いたのかわからない文章や画像が並んでいて、「これはSNSなのだろうか?」みたいな毎回判定していたら疲れますよね。
それで今度はどこに向かうかというと、「リアル回帰」だそうです。
クローズドなコミュニティ、少人数の信頼できる関係性、直接会って話す体験。2026年のトレンドキーワードは「コミュニティ・ファースト」だという記事も見かけました。
こんな記事も見たりしました。
でも、少し不思議ですよね。
そもそも私たちがSNSに行ったのは、リアルの人間関係に何らかの限界を感じたからではなかったのかなぁと思うわけです。
学校や職場の狭いコミュニティでは出会えない人と繋がりたい。
現実のコミュニティにつかれて、少し距離感のある場所に行きたい。
自分の考えを発信したい。
趣味の合う仲間を見つけたい。
そういった動機でSNSを始めた人は多いかと思います。
つまり、現実に疲れてSNSに行き、SNSに疲れてAIに行き、AIに疲れて現実に戻るという現象が起きているわけです。
たぶん、きっとまたSNSみたいな場所に戻るのではないでしょうか。というのも、人間がこういった感じだからなのかなぁ?と思ったりします。
SNSが悪いわけでも、AIが悪いわけでも、現実世界が悪いわけでもないでしょう。
どこにいても、結局は人間関係の煩わしさや、情報の多さや、自分と他者の比較から完全には逃れられません。
場所を変えても、自分や人間としての在り方は変わらないからです。
「次の場所に行けば今度こそ理想の環境がある」と期待しすぎると、また同じことの繰り返しになるわけですね。
「次の場所に行けない」、例えば、結婚して子供を作ったりすると「次の場所」には行けず、基本的には現実世界に縛られるのでいい意味でユートピア探しが終わったりするのかなぁ?とかも最近思うように思いました。
