善と悪 第4話 なぜ人は自分を「善人だ」と思いたがるのか ―自分を守るための、精巧な物語―
善悪シリーズ 第4話 なぜ人は「自分は善人だ」と思いたがるのか
―自分を守るための、精巧な物語―
1. 私は悪人ではない
私は自分を「悪人」ではないと思っている。
犯罪を犯したことはないし、免許はピカピカのゴールド。
うちの猫たちにも、安定した安心座標だと認めてもらっている。
かといって、「善人」にもなりきれない。
嘘をついたことがあるし、約束を破ったこともある。
ズルしたこともあるし、親を泣かせてしまったこともある。
幼い頃に喧嘩で兄を殴っていたかもしれないし、言葉の暴力を投げつけたことはある。確実に。
しかし、そんなことは「誰にでも」経験があるはずだ。
つい口にする言い訳は、だいたい嘘だろう。
約束をドタキャンしたことがある人もいるだろう。
頭にきてひっぱたいたことがある人もいるだろうし、
誰かに痛烈な批判を浴びせたことがある人もいるだろう。
みんなやってることだ。
犯罪じゃない。
だから、私は「普通の人間」だ。

※第4話の続きにつきまして
この先では、人間の「正義感」についてかなり踏み込んだ話をします。
内容の性質上、歴史上の悲劇や、人間が集団の中でどのように正義を作り出してきたのかという問題にも触れていきます。
ここで行うのは、虐殺や暴力を肯定する議論では決してありません。
人間がどのようにしてそれらを「正しいこと」だと信じて実行してしまうのか。
その構造を考える試みです。
この話題は非常に誤解されやすいテーマです。
もし
「善悪はどちらかしかない」
「歴史上は完全に善と悪に別れる」
という前提で読む場合、この文章は危険な思想に見えるかもしれません。
私はこれらを「人間の構造上、起こりうること」と仮定します。
この視点を受け入れがたい場合は、ここで読むのをやめるか、第5話へお進みください。
この回は、人間の正義や残酷さを、いったん疑う視点から書かれています。
その視点を受け入れられる人だけ、先に進んでください。
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