預言者の話。
最初に言っておく。私は必ずハゲる。
父方の祖父、母方の祖父、そして父、もれなく全員ハゲである。
ゆえに、遺伝的にも帰納法的にも私は生まれながらにしてハゲることを運命づけられている。
そんな私だが、髪に対する憧れが無かったわけではない。いや、人一倍強いはずだった。だが小さな田舎町出身の私は、同級生のお父さんがやっている理髪店に通わざるを得ず、18歳になるまでスポーツ刈り以外の髪型がこの世界に存在することを知らなかった。
上京して初めて訪れた渋谷駅。本来の用事は東横線への乗り換えだったのだが、まず駅から出られない。田舎者の自分にとって、別のホームを経由しないと出られない出口がこの世界に存在することを知らなかった。
結局命からがら、どこかの出口から出ることに成功した。私は当初の目的を忘れ、目の前の道に導かれるままにひたすらまっすぐ歩いていた。
高架橋を下りた時、一人の青年が声をかけてきた。
「あのー、今ヘアモデル探してて、カット、縮毛、カラー全部合わせて4000円なんですけど、どうすか?」と。
ただ髪を切るだけのことを「カット」と呼ぶその青年。そして縮毛、カラー、全くよく分からないが、その彼は私にとって間違いなく「都会の象徴」そのものだった。
明らかに異常な値段設定、今であれば当然スルー確定だが、この時の私は「田舎から出てきた人間をキャッチして、案内すること」で日銭を稼ぐ人間がこの世界に存在することを知らなかった。
知らないことが多すぎる私が結局通されたのは、よく分からない路地裏にある美容室だった。
辺りの席を見渡すと自分と同じような人間が沢山いて安心した。
その青年は私を席に案内するなりどこかに消え、代わりに現れた別の青年が「じゃあ早速始めていきますね」と私に声を掛けた。
こういう時、なんて答えたらいいのか分からない。
私は言われるがままに、「あ、はい、よろしくお願いします…」と短く答え、美容師と思われる彼はおもむろに私の髪にハサミを入れていった。
途中で、「あー」とか「うーん」とか言っていた気がするが、私は私で素人感を出さないように必死に目の前の髪の毛だらけの雑誌を読んだり、「今日はどうしてたんですかー?」という質問に、ボソボソと「あ、まあ仕事がたまたま休みっすね」と答えたりしていた。
で、いよいよ縮毛矯正だ。ちなみにその時の私の髪の毛は5-10センチ程度。本来なら縮毛なぞする必要もないレベル。だが、私の髪にペトペトと薬品を塗りたくる彼の手に一切の迷いはなかった。
猛烈な頭の痒さを耐え抜いて、確かその後シャンプーをした気がする。もうこの時にはとにかく早く解放して欲しい、その一心だった。
だが、次に美容師はカラー剤を持ってきた。「じゃあちょっと明るくしていきますねー」と言いながら、また鼻がひん曲がりそうな液体を髪に塗ってくる。そのままここで待っといてくださいねーと数十分放置され、やっと全ての工程が完了した。
私は眼鏡をかけて鏡を見た。そして、全てを理解した。
そこにいたのは、私じゃない何かだった。
参考までに過去の記憶を忠実に再現したものをこちらに載せる。

カッパである。
茶色いカッパがそこにいた。
矯正のおかげでしっかりと真横に伸びたサイドヘアー。
後ろで美容師がゆっくりと鏡を左右にずらす。前後左右、あらゆる方向から見ても寸分の狂いの無い、完璧なカッパである。
会計をする時、既に私には何の気力も残っていなかった。
親から「何か美味しい物を食べな」と渡された一万円札を、マジックテープのサイフからベリベリ出してトレーに載せた。
ガチャガチャとレジを打ちながら、その美容師は言った。
「お兄さん、だいぶテッペン来てるから、多分あと5年くらいでイクと思いますよ。だから、今のうちにケアしといた方がいいッス」
それが彼の本心だったのかは分からない。
今考えれば、明らかに異常な値段、客の要望も聞かずにソッコーで始まる施術、そしてキャッチ。
店を出て、再び高架橋を通った。
キャッチの彼とすれ違う。彼は一瞬こちらに視線を送ったが、またすぐに別の若者に声をかけた。その若者は迷惑そうな顔であしらって、道端に唾をペッと吐いた。キャッチの彼はそんなことを気にせずに、また別の若者に声を掛ける。
「あのー、今ヘアモデル探してて、カット、縮毛、カラー全部合わせて4000円なんですけど、どうすか?」と、朝と変わらぬ声色で。
私はゴムのようにブヨブヨの髪の毛を触りながら、その彼をしばらくの間遠くから見ていた。
ふいに、雨が降ってきた。傘は無い。
ふたり、雨に濡れていた。
私はなぜかその時、自分と彼とを重ねずにはいられなかった。
彼を通して、これが「都会で生きること」なのだと身をもって知ったのだ。
なお、その2日後に学生証の写真を撮影した。
財布の中のカッパと過ごした数年間は今でも私の人生に大きな影響を残している。
あれからもう20年近くが経つ。
カッパの経験と、あの美容師の預言に従い、その後私は二度とカラーと縮毛をしていない。
そのおかげかどうかは知らないが、幸いなことにまだハゲてはいない。
だが、私の妻はいつも言う。
「もし、あなたがハゲたら私がこのバリカンで全部剃るから安心して」
その目はどこまでも純真で、透き通り、一切の慈悲を持っていない。だから、私は安心して妻に背中を預けられる。
髪のことを考えるたびに妻と結婚して本当に良かったと、見えない頭のテッペンを触りながら、心からそう思う。
