小料理屋の話。
私は小料理屋が好きだ。
とは言いつつ、気になる店を見つけてもそこに入るまでには長い時間がかかったりする。小料理屋は大体駅から少し外れた路地裏なんかにあって、まず中が見えない。
何となく通るたびにいい匂いがしたり、楽しそうな声が聞こえて、私もそこに入りたいなと思うが、その勇気をなかなか持てないままに月日だけが過ぎていってしまうこともザラだ。
だが、ひとたび気になる店に入るとやっぱり美味しい。メニュー表なんかあってなかったりする。女将さんにとりあえず赤星の大瓶と枝豆を注文して、店内に貼られた白くて少し煤けた紙に書かれた文字を読む。
ややあって、小鉢にどこか家庭的な味の料理が運ばれてきて、それを箸で突きながら、テレビ画面に映る野球中継などをぼんやりと眺める。
帰り道は妙に気分がいい。隣の席に座っていたサラリーマンも、カウンターで背中を寄せ合う夫婦も、みんなどこか楽しそうだった。
小料理屋の話をしておきながら、実は私のnoteもみなさんにとって、そんな感じだったらいいなと思っている。
昨日投稿したものについて、何人かの方から聞かれた。「カバーイラストとタイトルに何の意味があるのか」と。
結論、理由は何も無い。カバーイラストはたまたまオススメで何故か出てきた一番上のやつを選んだし、タイトルも何となく、適当につけた。というか、大体いつもそんな感じだ。
多分noteを読んでもらうために、タイトルとカバーイラストほど重要なものはないんじゃないかと思う。記事を読むための最初の入口がそれだからだ。
だから、恐らく私を知らない人のnoteで、たまたま私の記事がポンッとおすすめに出てきても大体の人は読もうとはしないんじゃないだろうか。
路地裏にあって、看板も無ければメニューも表に出ていない。そんな店には普通の人はなかなか入ろうとはしない。だが、ひとたび玄関を開けてもらえればそこには何かが詰まっている。
私はタイトルとか、カバーイラストはホントにフィーリングで選んでいるが、中身だけはいつも真面目に書いている。
とはいえ私が書いているものは料理で言えば基本、ごった煮だ。エッセイもあれば短編もあるし、詩もあれば音楽もある。
つまり、クリエイターとして特定の軸を持っていない。
だから、何かの有益な情報を目的に私のnoteを見に来てくれてもがっかりしてしまうこともあるかもしれない。
だが、そんな路地裏の変な店にわざわざ足を運んでくれているみなさんには、せめて心のこもった小さな料理を出せたらいいなと、そんな気持ちで日々何かしらかを書いている。
また、私のnoteは自分の記事は置いておいて、コメントを書いてくれる人が非常に多い。常連さん、一見さん、様々な人が私と会話をしてくれる。
本当にありがたいと思っている。
いつもご贔屓いただき、ありがとうございます。
投稿ボタンを押して、玄関を出る。
店先の暖簾を上げると、どこからともなく少しずつお客さんが入ってくる。ちょっとずつ席が埋まって行っても、ここは不思議な世界。
決して満席になることはない。
少し疲れた人もいる。やたら元気な人もいる。
私は料理を出しながらお客さんが話しかけてくれると、嬉しくなってつい一緒に席に座ってしまう。時々長話にもなったりすることもある。
そして気づけば深夜、閉店時間を迎える。
店内には有線で演歌が流れている。
最後のお客さんを見送った後、暖簾を下ろして、一人椅子に腰を下ろす。
冷蔵庫から冷えた赤星を取り出して、小さなコップを傾ける。
また会えるといいなと、心のどこかで願いながら。
さて、明日の料理はなんだろう。
それは私にも分からない。
