なんでもない話。
肩肘張ったものを書いた後というのは大概どこか自分の魂が少し抜け落ちたような気分になる。これは仕事も同じで、なんとなく自分の中でやり切った感覚がある時はしばらくその余韻から抜け出せなくなる。
こういう時に本当にnoteって便利だなって思う。だって、別に何を書いたって構わないし、ペラペラのエッセイだろうが、「なんのはなし」か分からなくても、「だからどうしたのですか」と言う人もいない。まあ心のどこかで私が書いたものに「なにがいいたいのですか」と言っている人はいるかもしれないが、それは私も一緒なので文句も言えまい。
で、またお決まりの「書きたいものは特にないのに、なんか書きたい気持ちだけが先行する病」が発症した。
そんなことをぼんやりと考えていたら、買い物から妻が帰ってきた。いつも通り、ホットドックを作ってくれている。だが、妻の様子が少しおかしい。背中から何かを迷っている様子が見えた。声をかける。妻は言った。「これ、いつもと違う。それに一本多い...」
なるほど、確かにいつも同じものを買っているはずなのに、今日の袋ソーセージは全て均整が取れている。美しさすら感じる佇まいだ。また、なぜだか知らないが一本多かった。通常は六本入りなのに、今日は七本。おかげで、普段よりもなんだか気持ち贅沢なランチタイムを過ごすことができた。
満腹になったところで、妻と食後のコーヒーを飲みながら、なぜ今日のソーセージが特別だったのかを考える。思い当たるのは一つ、そう、今月が四月だからだ。
四月、それは新入社員の季節。多分どこの工場でも新卒の社員たちが一生懸命、現場研修を行っているのだろう。袋を見る。製造日をロット番号から確認すると四月十五日となっていた。
木村翔悟は大手食品メーカーに総合職として入社した。いわゆる御三家と呼ばれるエリート私大、明慶大学の経済学部を卒業し、この春から憧れの仕事ができる、そう思っていた。だが、二週間の座学期間を経て会社から命じられたのは本社のある東京丸の内からは程遠い、東北にある自社工場での実地研修だった。
不織布のマスクを耳に掛け、白い作業着に着替える。鏡を見るとそれは自分ではない別の誰かのように思えた。マニュアル通りに手を洗いエアーカーテンを抜けた先、現場に入るとたくさんの作業者が黙々と働いている。茫然と立ち尽くしている木村に一人の男が声をかけた。ネームプレートには牧田と書かれている。がっしりとした体格が作業着の上からでも分かった。牧田は木村を作業場に案内した。そこはソーセージのケーシングエリアだった。どうやらここが木村の新しい職場らしい。
「まあ、木村さんには簡単だと思うけどね」
どこか含みを感じる声。そう言い残し、牧田は去った。ひとまず現場のリーダーらしき男を捕まえて、木村は自分の仕事を聞いた。男は「そこに立って、流れてくるやつをその腸に詰めていったらいいから。分かんなければ一応マニュアルがそこの壁に貼ってあるから読んでもらったらいいけど、ここで働いてんのはほとんどがバイトだし、そんな難しくないから。オレはあっちにいるから、もし分かんなかったら聞いて」と告げて足早にラインの中に戻っていった。
まあ考えても仕方ない。一旦他の作業者を見る。作業は二人一組で行うらしい。一人が腸を洗って、もう一人が機械から出てくるひき肉を腸詰する。腸詰をする時にクルクル回しながら一本あたりの長さや重量を目視で確認して、できあがったら横にあるハンガーにかける。
木村のパートナーが無言で腸を手渡した。「やれ」ということだ。木村はそれを受け取って、腸の先端を探し金属のノズルに押し込んだ。パートナーが緑のボタンを押すと同時にブウウウウという音がして腸の中に肉が押し込まれていく。時間にしてほんの数秒の躊躇いだった。だが、その数秒であっという間に肉が腸の中に充填され、ソーセージではなく、一本の長い肉塊になってしまった。
笑い声が聞こえた気がした。それが自分の中なのか、それとも別の誰かなのかは分からない。工場ではけたたましい機械音が鳴り響いている。木村はパートナーに一声かけて、現場リーダーを呼びに行った。戻った時、パートナーが一人で腸を洗い、自分で肉詰めを行っていた。
「あーあ、木村くん、商品ダメにしちゃったね。まあいいよ、君は腸を洗う方をしてくれたらいいから」
現場リーダーの一言はかつてない屈辱だった。その辺のアルバイトにできて、自分にできないことがあることがショックだった。しかし、木村を待っている時間はない。黙々と腸を次亜塩素酸水で洗い、それをパートナーに渡す。その作業を黙々とただ繰り返す。しかしある瞬間、木村は気づいてしまった。
「なんだこれ...?」
パートナーが詰めるソーセージに木村の目は釘付けになった。あまりにも揃っている。いや、揃いすぎている。何となく、これまで自分が食べてきたものを頭の中で見比べる。やはりおかしい。腸を洗いながら、横にある他のラインをチラ見する。確かにみな、同じような形を保っている。だが、明らかにこのパートナーが作るソーセージは違う。太さも長さも全て均一だ、美しさすら感じる。
「あの、ちょっとだけ、一瞬だけあっちに行ってもいいですか?」
木村が向かった先は計量コーナーだった。ハンガーには番号が振られており、誰がそれを担当しているのかが分かっている。燻製後、切り分けられたソーセージは一本一本計量される。木村は現場の色々な人に聞きながら工場を右往左往し、ようやく自分のハンガーに辿り着いた。切り落とされるソーセージ。そして重量計の数字を見る。
10.2g、10.3g、10.0g、10.2g、9.9g、10.0g...
言葉を失った。このソーセージの重量は1本あたり標準規格が10.0g、許容誤差は8.0g~13.0gで重量が決められている。腸詰をして燻製をすると当然水が出て重量が落ちる。このパートナーはそれすらも計算に入れていたというのか。
木村はヌルヌルと滑る床を転ばないように、だがそれでもできるだけの速度で現場に戻った。ラインに戻ると牧田とパートナーが話していた。
木村は少しだけ歩幅を緩めた。二人との距離は五十センチほど。だが、二人は木村の存在に気づいていない。
「...さん、いつまでこんなことしてんのよ」
「俺はよ、ここが一番あってんだよ」
「そういや、どう、新人の子?」
「んー、まあ悪くねえんじゃないんかな。少なくとも目は曇ってなさそうだ」
「...さんがそこまで言うなんて、何年ぶりだ?」
「さあな、覚えてねえよそんなことはよ。それより、お前こんなとこで油売ってないで、早く戻んなくていいのか?忙しいんだろ、そっちが」
「そんな言い方ないだろう、俺もな、たまには現場に来てえのよ」
「嘘つけ、ホントは俺に会いに来たんだろ」
「まあ...そう、かもな」
「ところで...さん、あんたのイスくらい別にこっちでいくらでも用意できるんだぜ。...さんさえよければだけどよ」
「お前、それ答え知ってて言ってんだろ」
「まあ、そうだなぁ、...さんはほんと変わんねえもんな」
「いいんだよ、お前はお前の仕事をする。俺は俺の仕事をする。それでいいじゃねえか、お互いよ」
「ま、そうだな。それじゃ、邪魔したな」
「おう、もう戻ってくんなよ」
牧田が振り返ると、そこに木村がいた。
「ああ、木村さん、どう?仕事、順調?」
「すみません、牧田さん。それより、少しお話、いいですか?」
牧田はふぅっと一息ついて、「じゃあ、ちょっとだけ、上に行って話をしようか」と言った。
工場の屋上は遮るものがない。春とはいえ、白い床面から反射する光が目に痛い。牧田は見るからに上質なスーツの内ポケットから高そうなタバコを取り出した。
「一本吸うか?」
「いえ、あの、そうじゃなくて...」
「——海藤さんのことだろ?」
その瞬間、屋上に強い風が吹いた。
「海藤さんはな、俺と同期だ。だからこの会社でもう三十年以上一緒に働いてるってことになる。すごい人だよ。俺なんかより全然な。この会社はな、あの人の技術が作ったって言ってもいい」
牧田が口元からこぼれ落ちかけた灰を転がっていた空き缶の中に落とす。
「だけどな、あの人はずっと現場の人なんだ。木村くん、でいいよな?俺の名前は聞き覚えないか?」
そう言われて木村はしばし考える。牧田...牧田...まさか。
そういえば、最終面接の奥の方でこの人の顔を見た気がする...。
「あの、牧田、専務ですか...?」
「お、さすがエリートだな!よく知ってる。ていうか一度会ったしな」
やっぱりそうだった。恥ずかしさで顔が紅潮する。
「いや、いいんだよ、別にそんなことはさ。ただ、この会社もずいぶん大きくなった。俺と海藤さんが入社した時にはまだ田舎の中小企業でな、いろんなことをやらされたよ。いつの間にかこんなに大きくなっちまってな」
そう言う牧田の目はどこかずっと遠くの方を向いていた。
「研修、一か月だよな。俺のときは三年だったけど。ずいぶん短くなったもんだわ。まあ、よく見ておきな、海藤さんの仕事をな。きっと一生の財産になる。俺は一足先に戻るけど、研修レポート待ってるからな」
牧田は空き缶に吸い殻をグリグリと押し付けて、そのまま非常階段の奥へ消えていった。時刻は午後一時を回っていた。
また風が吹いた。
どこか柔らかく、そして温かい風が。
手を洗い再び白衣を着て、ゲートをくぐる。
その目の先には、誰かの人生が待っていた。
ドラマ主題歌 Drop
〜♪
時計の針が抜け落ちて
花びらすらも枯れ落ちた
残った枝先に揺れていた
葉の青さだけが眩しくて
進むことが罪なのか
戻ることもできぬまま
それでもただ前を向いて歩く
希望の色すら眩しくて
愛を叫ぶことすら
できない僕だった
何も守れなかった
だけど胸の奥にまだ
消えない火がある
それだけは嘘じゃなくて
この身に宿ったこの願いが
たとえ幻だと知っていても
それでも抗えないこの思いを
僕は叫ばずにはいられないんだ
指先で揺れる蜃気楼
時計の音も聞こえずに
いつかの色も見えなくて
葉の青さだけが眩しくて
進むこともできなくて
戻る道も見失い
それでもただ前を向いて歩く
希望の色が僕を焼く
愛を叫び散らして
枯れ果てた僕は
何者にもなれずに
それでもこの胸にまだ
沈まぬ火がある
それだけは捨てられなくて
この身を焦がしたこの願いが
たとえ幻だと知っていても
それでも拭えないこの思いを
僕は叫ばずにはいられないんだ
もう二度と戻れない
あの日々が消えなくて
何度でも傷ついて
それでもなお 明日を選ぶ
愛を叫ぶことすら
できない僕だった
何も守れなかった
だけど胸の奥にまだ
消えない火がある
それだけは嘘じゃなくて
この身に宿ったこの願いが
たとえ幻だと知っていても
それでも抗えないこの思いを
僕は叫ばずにはいられないんだ
#なんのはなしですか
#だからどうしたのですか
#なにがいいたいのですか
#ペラペラエッセイ
