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“死にかけて”気づいた人生の後半戦

事故というのは日常のフリをして、突然やってくるものでして。

7月27日フットサルの帰りに無性にアイスコーヒーが飲みたくなって、ランチも兼ねてカフェへ入り小さなサンドイッチを食べた。
ここまでは誰にでもある日常だと思う。
重めの糖尿病を患っている私はここからのシナリオはかなり違う。その後、低血糖症に陥り、突然意識を失って倒れた。倒れる時はすでに記憶が全くない。目が覚めた時は警察官に囲まれていた。その次の記憶は救急車。その次は病棟のベッドの上だった。かなり記憶は断片的だ。自分が生きている、ということだけは分かっていた。自分が重症だということがわかったのは、身動きが取れないその日の夜だった。
「ランチの量が少なかった」という些細なことが原因で大変なことになってしまった。

40代半ばでの入院生活

47歳の男性、職業はデザイナー。177cmで60kgくらいの長身細身の体型ではあるが、ランニングやロードバイク、アシュタンガヨガをしているため体力には自信がある。しかし、ここ数年は付き合っている持病がある。糖尿病だ。診断された時の血糖値は「596mg/dL」とかなり酷い数値だったが、今年に入り朝食をちゃんと摂るようになってからは「100mg/dL以下」になるなど、だんだんと数字は良くなって安定してきていた。そのため低血糖症で倒れるとは思わず完全に油断していた。事故当時、ブドウ糖は所持していたが効くには時間が足りず、場所は表参道だったこともあり、もっと糖分を取ろうとコンビニを探したが場所は遠く、頭からアスファルトに叩きつけられた(この時の記憶はないけど)。周りの人が警察に通報してくれたのだろう。顔、服やカバンは血まみれだった。顔の骨は折れているため大量の内出血で顔面は真っ黒だった。髪にも血糊がついていたので相当な量の出血(のはず)。手術前の食事は主にペースト状のもの。顎がろくに動かないので仕方がないと思ったが意外と慣れるもんだったし、美味しく思えた(そもそも鼻が損傷しているので匂いがない)。
CTスキャンで脳に異常がないことがわかったが、上顎が真っ二つに亀裂が入っておりそれを治す(チタンを埋めるなど)ために1ヶ月近くも入院することになってしまった。ICU(集中治療室)とHCU(高度治療室)の間はスマホは触れずだったので、お見舞いに来てくれた友人からもらったホワイトボードに色々なことを書き綴る日々だった。47歳という年齢、転職して半年が経ったタイミングだったので、今までの人生と振り返った上で、これからの人生をどうするかを前向きに考える時間とした。全ての未来は過去から産まれる。だからこそ今現在を逃げてはいけない。

自分が自分の過去を肯定する

まず、(情けない話だけど)今までの実績をちゃんとポートフォリオとして残そうと思った。過去はグラフィック、ブランドデザイン、UIデザイン、UX設計、デザイン思考のワークショップなど多岐に活動してきたのもあり、一般病棟に移ったらMBPを持ってきてもらいサイトを作り始めた。実績はある方なんじゃないかな、とは自覚していたのでもったいない気がした。なんとなくCMSよりも大学から馴染んでいるので自分でガリガリとコードから書こうと思った。暇だったからかもだけど、まぁなんでも自由に作るのはとても楽しいのよ。

出会ってきた人たち

会社経営をしていた時期も10年近くあるので出会った人を思い出していた。誰と出会い何を得たか。出会った人が多かったことで学びは多かったが、ここ数年はコミュニティを狭めていたと思い反省した。フッ軽な人よりも人生を圧倒的に損をしている。新たな人やコミュニティと出会うことで人間は誰しも成長する。今後の人生が何年続くのか分からないけど、リハビリが終わったらお世話になった人たちに会いに行こう、多様なコミュニティに顔を出そうと思った。今まで何かしら応援してくれた友人達や先輩方には心の底から感謝していこうと。

自分が本当にやりたかったこと、やりたくなかったこと

若い頃はなんでも経験だと思い、本業の傍らでいろんなアルバイトをしていた。クラブのバーテンダー、(未経験可の)占い師、割烹料亭の厨房、霊柩車のドライバーなど、デザイナーも昔はレアな職業だったため慢性的な人不足だったが元々タフな方だったため割と楽しんでやっていた。いろんな仕事をすることで多角的にいろんな人と出会えた。何年経ってもモノを作るのは楽しいので気持ちとしてはデザイナーでありつづけたいが、40代半ば〜後半でそれだけやっているのも勿体無い気もしていたので、何か続けられるものをはじめようと思った(新しくやることは決まってはいる)。むしろ余計な情報が氾濫してしまう今の時代はやりたくないことの定義の方が重要。なんでもAIに任せる時代なのでなんでもやれそうだけど、心理的なハードルが少しでもあるものはやらない、話さないと決めた。時間が勿体ない。もっとソリッドで無骨な人生が自分には合っているなーと。自分の不器用な点を肯定しよう、というか、もう否定する時間はもったいない(笑)。

幻覚と現実を見る日々

そうこうしていて手術になった。歯茎にスクリューを埋め込み、輪ゴムのようなもので無理やり止めて口の中から切開して、全壊した上顎などを治していくというもの。10時間の長丁場だったが全身麻酔で2日は寝たきり。顔が包帯に巻きつけられてミイラの様だった。HCUに戻り目が覚めた。身動きは取れず、ベッドの上で色々考えるがモルヒネが効いていて幻覚ばかり見える。人によっては可愛らしい子猫や子犬が見えるらしいが、自分の場合は150cmくらいのハエ男が数匹廊下を徘徊していた。自分の体が蛾になる悪夢も見た。なぜか虫に関係する幻覚や悪夢ばかりだった。ハエ男の幻覚は見慣れるしかなかった。こっちに気がついて寄ってきた時は悲鳴をあげたいが、手術での気道確保のために喉に穴が空けていたために声が出せないので仕方がない。さらに辛かったのは寝る時に目を閉じると瞼の裏にネオンがジェットコースターのようなアニメーションでバンバン出てくる長い悪夢。当然、この時期はあまり寝れなかった。HCUは辛い症状、怪我の話が周りから聞こえてくるからかネガティブな言葉が付き纏っているために悪夢を見ることが増えたようにも思う。この頃は食事もすぐ吐いてしまい全く食べることができなかったが、急いで体力を戻したいので嘔吐も飲み込むようにして根性で食事をしていた。弱っている時に生きるって言うのはとても大変だと思ったが、自分自身は諦めが悪い(=思いこみが早い)ので良かった。ランニングを2日おきにしていたせいか、呼吸が深く回復も早かったのも幸いだった。何においてもスタミナは大事。

入院中は部屋が6回も変わった。一日中小言を大声で怒鳴るお爺さんがいた部屋もあれば、奇妙なお婆さんが夜な夜な徘徊するフロアもあった。救急で運ばれる人が多い病院なので相当な事故な人もいるので周りの方が大変なんだろうと大人しくしていた。車椅子で日本旅行をしていたアメリカ人や三宅島からヘリで運ばれてきた人、電車で倒れた人、精神を患って入院している人など様々だった。80歳、90歳も超えてる人が多いので別に我儘なことを言うくらいはいいようなとは思っていたが、同時に自分もそういう世代に少しだけ足を踏み入れた気がした。人生は短いと思うと(当然かもだけど)途端に焦る。「俺は今まで何をしていたんだ、目を覚ませ」と鈍器で殴られた気分だった。まぁ、すでに頭蓋骨は怪我をしてるんだけど。

喉を手術し、喋れるようにもなり、退院の日取りも決まった。日常生活でのリハビリは・・・
・歩行
・発声
・顎の開閉
・嗅覚

歩行と発声はすぐ戻ったが、顎は今もリハビリ中。倒れた時に歯がボロボロになったため歯科に行かないといけないのだけど、顎の開きが2cmしかないため、4cm開けるようになるまで顎を動かす練習を毎食後にしている。
退院直後は硬いものを全く食べれなかった。顎を取り替えたようなものなので当たり前と言えばそうかもしれないけど、食事という日々の娯楽に影響するのはまぁ落ち込むもんでして。

人生の後半戦に入ったことを自覚する

入院中は人生を振り返る良い時間と捉えて色々なことを考え抜いた。よく「ミッドライフ・クライシス」とはいうが、40代〜50代は「老化の始まり」ではなく「人生の後半戦の始まり」と捉えると小さな改善でも長期的には大きな差になる年代。有酸素運動+軽度の筋トレ、意識をした休息、食習慣の見直し、読書や音楽、姿勢改善、社外での交流活動などやることだらけで実は若手の頃よりも意識しないといけないことは多い。「第二の思春期」とも呼ばれ、自己のアイデンティティや生き方を問い直す時期でもあるが「老衰」ではなく「変革」と捉えるようにしたい。そのために…
1. 自分を知る行動
2. 新しい挑戦
3. 心と体のケア
4. ポジティブな人間関係の再設計
5. 仕事と人生の再設計
6. 心理的・精神的習慣
上記6点のマイルストーンは作りつつ、これらの1歩1歩を積み重ねて焦らず楽しもうと思い直した。ジャーナリングからはじめ、自分のブランドを積み重ねていく。興味・好奇心を意識的に広げ、ネガティブな影響を与える人間関係を排除していく。年々と変化は怖くなるが、学びと楽しさに変える。「ミッドライフ・クライシス」は意識次第で乗り超えられる。「もう歳だから」じゃなくて、中年だからこそできることは実はとても多い。低血糖 〜 事故 〜 入院したことで人生を振り返り、前を向くことでもう一度乗り越えていける。無駄を減らし、過去の後悔や未来の不安に囚われない。すべてを頑張らない、重要なものに集中する。自分が試し撃ちをできる時期はもうとっくに終わっている。自分というブランドで勝負する後半戦でありたい。葛飾北斎は70歳を過ぎて不朽の名作「富嶽三十六景」や「百物語」を描いたので、年齢を意識することなく学び続ける習慣を得て北斎のように常にフロントラインで頑張りたい。ポジティブな人間関係とインプット・アウトプットのバランスは身体がくたばるまで大事にしたい。
まずはリハビリを(ゆる〜く)頑張るぞ〜!

最後に

入院中に47歳の誕生日を迎えた。
その際に病院からバースデーカードと(糖質の低い)デザートをもらった。寂しさと嬉しさからか、ほろっとしてしまった。自暴自棄になってはいけないなと思ったり、病院からの敬意に対して自分も敬意を持って早く回復をしようと思った。病院の看護師や医師の方々、8月の暑い中でもお見舞いに来てくれた皆さま、ありがとうございます!おかげさまで順調に回復しております!😭

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