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データリテラシーと「真実」の間で

情報の曖昧さとシンプルさ

「正しさだけでは人は動かない」というのが、最近の私自身のテーマの一つです。
 
正確なデータや事実を積み重ねても、それだけで人が行動に移してくれるとは限りません。むしろ世の中では、単純でわかりやすいメッセージの方が強い影響力を持つ場面が多いように思います。
 
真実というものは曖昧で複雑です。数字や研究結果も解釈の仕方によって見え方が変わりますし、背景を理解しようとすると時間も労力もかかります。

一方でフェイクや誇張は、シンプルで耳に残りやすいかたちに整えられています。そのため、人々の心に刺さりやすく、拡散もされやすいのです。
 
これは不動産広告にも当てはまります。かつて、“あまりにもひどい”広告があふれていたこと等から、今は厳しく規制されていますが、情報の「正しさ」と「伝わりやすさ」のギャップは、どの業界にも存在しています。

「盛る」ことの功罪と選ばれるためのわかりやすさ

もちろん、マーケティングや選挙などの場面では、必ずしも「フェイク」を流布するわけではありません。しかしながら「自分を選んでもらう」という文脈では、多少のわかりやすさや盛りは必要とされます。小さな成果を大げさに言ったり、夢のある表現に置き換えたりするのは、珍しいことではないでしょう。
 
真実ばかりを追い求めると、かえって退屈で味気ない世の中になる、という考え方もあります。けれども同時に「どこまでなら許容されるのか」という境界線を、私たちは常に意識せざるを得ません。

正しさとわかりやすさの間で

真実を突き詰めて考えるのは、確かに面倒です。けれども、その面倒をほんの少しだけ引き受けて「これは本当だろうか」と立ち止まる習慣を持つことが、データリテラシーの基本だと感じます。
 
情報の洪水の中で、便利さや単純さに流されるのは簡単です。しかしながら、あえて疑いの目を持つことで、自分や周囲を守る力が育っていきます。
 
正しさとわかりやすさ、そのバランスをどう取るか。これはこれからの時代を生きる私たちにとって避けられないテーマであり、だからこそ「正しさだけでは人は動かない」という言葉を、自分の中で繰り返し問い直していきたいのです。

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