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「らしい」…?

私がなんらかの文を書くとき、私は私に対して謎の「私らしさ」を要求して、そのガイドライン的な不文律に沿って書いているのかもしれないと、子どもの送迎をしながら好きな音楽を聴いていてふと思った。

私がとても好きな女性ミュージシャンの音楽を聴いていたんだけど、その歌詞に心の底から深く共感・共鳴して、「私も本当にそう思う…!!わかる…すごくわかる…!!この人は私なのでは…!?!?」と思った。(たぶん今までに百万回くらい思ってきている笑)

でもじゃあ、私自身が同じような言葉遣いで同じような内容を発信するかな?と考えたら、こんなエロいことはちょっと言えない……とか(笑)、こんなストレートに堂々と気持ちを表明するとか無理……などと思う。それと同時に、なんで私はそういう言い方をしない、したくないのか?と考えてたどり着いた現時点での私の答えは、「だって私はそういうこと言いそうにないでしょ…?」ということだった。

じゃあ、私がそういうこと言いそうにないかどうかって誰が決めてるの?誰がそう判断してるの??と考えたら、結局は私で。。。

「(周りからそうであることを求められている)私のイメージ」というものはこうである、と、私が勝手に思って勝手に決めているんだよね。で、そう振る舞っているから、周りの人が持つ私のイメージは実際にそれに近づいて行く。(たぶん)

私は内心は我が強い方だと思うし、自分の頭でいろいろと考えて行動しているつもりでいるけれど、表出している言葉や行動は、自分でも気づかぬうちに結構な割合で周りを意識したものになっているのではないか。

私が自分の考えや思いや行動を表出しているSNSは主に五箇所あって、ここと、創作用と、旧青い鳥と、顔本と、画像投稿のところ(最後の二つはあまり使ってない)で……それぞれで繋がっている人はそれぞれに結構違っていたりして、そこで繋がっている相手を無意識に想定しながらその人たちとの関係性の中における「自分らしさ」的なものを表出させようと、これまた無意識にしているのではないか。自分の中ではどこでもそのまんまの自分のつもりなんだけど、たぶん切り取り方、表出の仕方が違う。

カッコつけるような元気も意識の高さもないし、自分を取り繕うのとか無理だし、どこでも自分そのまんま……と自分では思ってきているけれど、それでも、その媒体の向こう側にいるであろう相手の目をある程度想定した上で、求められているだろうと私が勝手に思っている「自分らしさ」的なものを私は演出しているのではないか……と思ったら、そもそも自分は何を考えているどんな人間なんだろう??自分らしいって何??というのがよく分からなくなってきて、朝からそんなことを延々考えてぐるぐるしているので、それをそのまま垂れ流してみた。(笑)

リラックスムードで砕けた文を書いている風な感じですが、仕事に追われすぎているところに家族もいろいろ大変で私も奔走、さらに各方面の人間関係等に悩みすぎて、ちょっと壊れ気味です。息抜きしたい。何でもなさそうな顔でついついヘラヘラしちゃうのもやめたい。何でもなくない!!本当はだいじょばない!!

……って書いてたら、ちょっと落ち着いてきたような気もするけど、またまたそんなことを書く私も、「そんなことを書きそうな私」を演出しているのだろうか。(ぐるぐるは永久につづく……)




見出し画像は、一日中PCの前に張り付いて過ごしている疲れた自分をもっと甘やかしてあげなきゃ!自分にやさしく!と思って昨日のお昼に食べた大好物。どんどん値上がりするからなんとなく気軽に食べられなくなってたけど、そんなの関係ねぇ!(by小島よしお)

絶妙なバランスで出来上がった世界一完璧なお弁当。シウマイ弁当LOVE。だいすき。


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