銀嶺の人』映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」を受けて再読。こちらはマッターホルン北壁を女性として初めて登頂した二人の登山家の物語。
刊行/1975年
新田次郎にどっぷりハマったのはいつのことだったろう・・・? 山は好きだったけれど自分で登ったのはせいぜい西穂くらいまでで、あとの知識はすべて新田次郎の山岳小説からでした。覚えている最初は、確か中学の教科書に載っていた『芙蓉の人』でしたね。
今回、映画「てっぺんの ⎯⎯ 」を受けて、『銀嶺の人』を再読してみました。と言うか、こちらも辻邦生さんの『夏の砦』と同じくらい何度も読み返したもので、ストーリーはほぼほぼ覚えているのだけれど、読み返してみると臨場感とか、主人公への思い入れとかがまた新たに浮かんできました。
1.田部井淳子さんと今井通子さん、そして ⎯⎯
田部井淳子さんと今井通子さんは、お二人とも世界に冠たる女性登山家で、今井通子さんは東京女子医大を出られた医師として活躍されながら数々の山を制覇された方ですが、田部井淳子さんは世界的登山家として生涯を山に捧げた人でした。今回映画になったのは田部井淳子さんのほうです。僕は長いことお二人を混同していて、映画になってやっと、間違ってたんだ、ということに気づいた次第。お二人は年齢も3歳違いと近く、一方はマッターホルン北壁を、一方はエベレストを初めて女性のみで登頂されていて、そんなことから混同してしまっていたのでした。
『銀嶺の人』のモデルは今井通子さんともうお一人、ご存命なら鎌倉彫りの大家になっておられたであろう、若山美子さんです。本作は新田次郎が問い続けた、<なぜ山に登るのか>の答えとも言うべき人シリーズ三部作『孤高の人』『栄光の岩壁』『銀嶺の人』の最後を飾る名作です。
2.僕が本作に惹かれる理由①
本作の前半は、東京女子医大の学生だった駒井淑子(モデル今井通子さん)と趣味で登山をしていた若林美佐子(若山美子さん)、この二人の出会いから、二人が女性パーティとしてマッターホルン北壁登攀に挑む過程を描いています。本作の魅力は以下の点だとおもいます。
・マッターホルン北壁登攀の臨場感と、そこに至るまでの経過のリアリズム
・女子医大生としての駒井淑子、これも趣味程度だった鎌倉彫りに次第にのめり込んでゆく若林美佐子、二人の生き様と登山との関わり方
新田次郎は本職が気象学者で、富士山気象レーダー建設に関わった人でした。とにかく仕事が緻密で、自らの気象学者としての経験知識と徹底した取材に基づくリアルな描写は、本作でも随所に活かされています。中でもオープニングの八ヶ岳横岳で淑子が吹雪に襲われる場面は、状況と淑子の性格、登山以外に今彼女が何をしているのかを具体的に想像させて、先を読みたいという期待に繋がる一節だとおもいます。
これが本当の冬山の顔だというならば、その顔をじっくりと見たいと思った。声を聞きたかった。体温も測ってやりたかったし、脈搏も知りたかった。
また、「人を描く」という点でも、本作は二人の女性の違いを具体的にくっきりと浮き彫りにしてゆきます。二人の能力を見込んでマッターホルン北壁登攀への道を開いたのは山岳会のリーダー、佐久間博だったけれど、おとなしくて涙もろい美佐子のほうがどちらかと言えば北壁登攀に積極的になっていったのに比べ、気が強く男まさりな淑子はずっと佐久間に反発しながらも、マッターホルンの魅力に次第に取り憑かれてゆきます。山はそんな、まるで正反対な性格の二人の女性をして、もちろん佐久間博の指導のもと、女性のみのパーティに仕上げてゆくのです。ただ、1967年という時代、まだまだ女性には寛容ではなかったと思われます。いろんな横槍が入りながらも二人はどうやってマッターホルンに辿り着くことができたのか? 特に駒井淑子は登攀チームの隊長として、営業的なことはまるでダメな佐久間の代わりに、スポンサーを募ったり挨拶回りをしたり、更には対面を気にする大学側との折衝にと、登山以外のいろんなものを一人で背負ってゆくのです。新田次郎は、その辺りも余すところなく丁寧に描いてゆきます。そこに、<なぜ山に登るのか>という問いに対する、新田次郎なりの答えがあるのかもしれません。
3.僕が本作に惹かれる理由②
僕が本作に惹かれるもう一つの理由は、(むしろこちらのほうが大きいとも言えるけれど)鎌倉彫りの彫刻家として次第に成長してゆく若林美佐子の姿です。美佐子は社会人になってからごく趣味程度のハイキングに毛が生えたような山岳会に入り、次第に山に憑かれてゆくようになります。と同時に、最初は単なるお稽古事に過ぎなかった鎌倉彫りにも、山と合わせるようにハマってゆくのです。そして、マッターホルンという目標が生まれたとき、ついにその彫りの技は本物になります。
鎌倉彫りは本来分業制で、彫師と塗師は別物です。けれど美佐子は、谷川岳で見た雲の渦を題材に彫り上げた手鏡を、どうしても自分で塗りまで行いたいと思います。だけれども、そこはやっぱり塗りは塗師に委せて欲しいという若き塗師の頭主、村岡又兵衛に説得され、彼を信頼して委せることにするのですが、そのあまりの出来栄えに又兵衛自身も最初は尻込みしてしまいます。 それでも受けた以上は美佐子の思いに叶うものにしようと、又兵衛は鎌倉彫りを代表する近藤新太郎にその手鏡を見せ、教示を仰ぎます。
近藤新太郎は手鏡の持ち手の端に開けられた穴に着目し、その意味を又兵衛に問うと、美佐子はそこに紐を通し、マッターホルン登頂の際、首から下げてゆくのだと答えたそうでした。
「君はこの穴は単なる緒を通す穴と見ているのかね」
厳しい目で云った。
「若林さんがそうだと云いました」
「彼女は用途を云ったのだろう。用途だけを云えば、これは手鏡だ。そんじょそこらの小物屋に並んでいる手鏡と違ったところはない。だが、ひとたび、目のある人が見ればこれは芸術品になる。鎌倉彫とはそういうものだ」
はいと答えて村岡は頭を下げた。
近藤に叱られていることは分っていても、なぜ叱られたのか不明だった。
「この鏡の柄の末端の穴は緒を通す穴である。しかし、彫りの上から解釈すると、これは渓流を受け止める淵である。雲の滝を受け止め、更に渓流の渦をがっちりと受け止めた永遠の淵なのだ。この淵がある限り水は永遠に流れる。そして雲もその流れを止めることがないのだ。この構図の要に当るのがこの淵になっている」
そうして近藤新太郎は又兵衛に、受けた以上は自分で最後まで責任を持つようにと諭すのでした。
僕はここを読むたびに、芸術を生活の中に活かすことの意味を考えずにはいられません。
さらに、これは下巻になるのですが、美佐子がマッターホルンから戻って今度は飾り皿にマッターホルンを彫り上げ、塗りまで本格的に学びたいと師に伝えた際の場面では、幾度読んでも思わず落涙しそうになってしまいます。
(自分のところの仕事の手伝いや弟子を教える立場になっていた美佐子に)
「こっちの仕事のほうは心配しないでもいいから、納得ゆくまでやって見ることですね」
(師の)松磬は力のない声で云った。大きく羽撃く弟子の前で、その飛んで行く方向さえも指すことができずに呆然と眺めている自分がなさけなかった。
4.マッターホルン以前と以後
下巻では、マッターホルン以後の二人が描かれます。二人はその後どうなってゆくのか? それはぜひご自分で本作を手に取っていただければとおもいます。ただ、事実はどうあれ、僕は本作は上巻だけでもよかったのではないか、そんなふうにもおもっています。もちろんこの先も二人の人生は続いてゆくけれど、<なぜ山に登るのか>という問いに対する答えは、上巻で既に極められているのでは、と、そう感じてしまうからです。それはでも、人によって受け方が異なるかもしれません。
それともう一つ、確か、新田次郎が亡くなって随分経って、夢枕獏さんだったかがこんなことをおっしゃっていました。
「日本文学界において、新田次郎亡き後、山岳小説の分野に空きができている」
それは誰かの山をテーマにした作品の解説か何かだったとおもうけれど、新田次郎を基準にするなら、それは今でも僕は埋まっていないとおもっています。他にもたくさんの方々が山をテーマに小説を書いていらっしゃるけれど、何よりまず山がある、そしてそこに対等に人がいる、という書き方をされたのは、新田次郎をおいて他にはいないのではないでしょうか? 新たにそんな小説が書かれたなら、ぜひ読んでみたいと期待しているのですけれども。
今回もお読みいただきありがとうございます。
他にもこんな記事。
◾️辻邦生さんの作品レビューはこちらからぜひ。
◾️これまでの詩作品はこちら。
散文詩・物語詩のマガジンは有料になります。新しい作品は公開から2週間は無料でお読みいただけます。以下の2つは無料でお楽しみいただけます。
