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わたしには書く才能がない #チャレがや

ライターとは、直訳すると「書く人」。
沖縄風に言うと「かくんちゅ」にでもなるのだろうか。

わたしからすれば、憧れの君である。

わたしは、まあ、驚くほどに文章が書けない。
いや、実際に今書いているじゃないかと言われると、そうなんだけど。
この三か月くらいは毎日書いてるよねと言われると、そうなんだけど。

それでもわたしにとってわたしは、「書く人」ではない、
そもそも「書ける人」ではないのだ。

わたしにとって「書ける人」というのは、物心がついた頃から周囲にいた、
誰に強制されずとも、気づけば自然と書いていた人たち。
書きたい物が頭の中にあふれていて、書かずにはいられない人たち。

書かなければ息ができない、生きていけないと彼らは当然のように言う。
気づけば書いてしまっていて、誰にどう思われようと、
自分自身には書くことしかないのだと思い詰めている、美しく孤独な魂。

私はそんな彼らを心の奥で尊敬し、崇拝し、嫉妬し、憎悪し、愛している。

だって私は、書くことからそんな強烈な寵愛を受けた記憶はない。
十年以上書かなくとも、私は恥ずかしげもなく息ができた。
普通に生活している中で、これを書きたいと思うことは特にない。
友人らが創作活動にいそしんでいる間も、一方的に読むばかりだった。
いざノートを開いてみても、何を書けば良いのか思いつかない。

そんな認識を後生大事に握りしめているものだから、
わたしはわたしが「書く人」として認められることが、認められない。

それなのに最近、わたしはパソコンに向かい合って
連日なにやらカタカタと文字を打ち込み続けている。

元から日本語は好きな方だった。
読むことを覚えたのも、多分早かったのだろうと思う。
小学生の頃は、つっかえないで教科書を音読することが得意で
音読大会では常にクラスの代表に選ばれていた。

かといって現在、というか社会人になって以降、
読む側としてもからっきしなのだけれど。
読書をしようとすると、なんだか集中できなくて、
視界にも意識にもチカチカと瞬きみたいなノイズが入る。
お医者さんに相談しても、聞かない症状ですねと言われた。

つまり今の私は、読むことがそんなにできている訳じゃないし、
書くことがそんなにできる訳でもない、ただの人間だ。

ただの人間は、ずっと「書ける人」に憧れている。
だからふと己に時間があることに気付いて、
せめて「書ける人」の真似をしてみようと、こうしてnoteを始めた。
なかば意地で毎日更新をしている。

三カ月ほど毎日更新してみても、
書くことが当たり前にはなっていない。
これが書きたいと胸の内からほとばしる物は見つけられない。

これが半年、一年たったら、何か変わるのだろうか。
答えは誰も知らないのだけれど。

わたしには書く才能がない。
それでも書こうとしてしまう。
ただそれだけのことなのに、世界はひどく残酷だ。



こちらはみくまゆ会のコッシーさん企画「お題にチャレンジするがや!」
(通称「チャレがや」)に参加させていただきました。

みくまゆ会なるものを初めて知ったのですが、
確認したらまさかの東海noterの集い!
え、わたし、参加できるじゃん( ´艸`)
と思って意気揚々と参加してきました

るんるんな気分に反して
いきなりこんな湿っぽいくらい記事で大丈夫か!?


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