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寿命のおすそ分け

2025年1月27日
私は、私は自分の身体の一部を妻の未来のために手放した。
腎臓移植のドナーとして、妻に腎臓を提供したのだ。

ドナーになるにあたり、これほどまで、「人生」「命」「今後の生活」について考え、自分自身を見つめなおした経験は、いままでの人生の中でなかった。
周りからは、「よく決断したね。」「奥さんへの愛だね。」なんて言われたが、いま考えてみると、妻へ腎臓を分けることのほかの選択肢を選ぶことができなかったのだと思う。
愛などと言った「きれいごと」だけでは決断できない。
「今後の自分自身の生活はどうなる。腎臓一つで生きて生けるのか」
「腎臓を一つ失うことにより、私の寿命は縮むのか」
私の今後の生活、寿命について悩んだ。
なんだかんだ言っても、まずは自分が大切なのだ。
「ここで、ドナーにならないという決断をしたら、今後の夫婦生活はどうなる。妻を見捨てて自分だけ元気でも夫婦として生活できるのか」
「透析をしはじめた妻に対し平常心でいられるのか。自分がドナーになっていればと思うのではないか」
「なにより、週に数回の透析をする妻との生活より、私の健康を害しても、妻が健康になって2人で生きたほうが楽しいのではないか」
今後の2人での生活を考えた。
「たばこも吸わない。お酒も付き合い程度で家では飲まない。暴飲暴食なんかしない。そんな妻がなんでこんなことに」
「世間では、腹の出たおじさんたちが、酒飲んで、たばこ吸って、元気に騒いでいる。不公平すぎやしないか」
妻、そして自分の運命に悲観した。
結果、
・透析をする妻を抱えての生活はしんどく、楽しくないだろう。
・自分を傷つけてでも、妻が透析をすることなく、2人で生きたほうが楽しいだろう
という生き方を選んだ。
決して、男気だとか愛だとか妻のためにといった決断ではなかった。
私の人生には、元気な妻が必要だったのだ。
自分自身の身体の一部を分け与えてでも。
私は私自身のために「腎臓移植ドナー」となる選択をした。

【妻・腎不全の悪化】

移植手術をした当時、私も妻も45歳であった。
子供はなし。結婚12年目であった。
私の趣味はキックボクシング・ゴルフ 
妻の趣味は宝塚鑑賞
ペットとしてウサギを1羽飼っている。
子供はいないが、お互いの生活を尊重するどこにでもいる普通の夫婦だった。

妻は8年前から腎不全のため通院を始めた。
きっかけは、一緒に受けた胃の内視鏡検査。
胃が痛いとのことなので、夫婦一緒に胃カメラを受診。胃には異常なかったが、血液検査でクレアチニンの数値が悪いと言われ、本人としてはピンと来たようだった。
母親も腎不全により透析をして亡くなっている。自分も腎臓が弱いのかと。
まずは地元の総合病院を受診、しばらくはその病院で定期健診、どうも数値が悪くなるスピードが速いとのことで、大学病院の紹介状をもらい、大学病院に転院。
腎生検を行うが、原因はわからず。その後も大学病院に通院。
腎臓内科に掛かるが、どんどん数値を悪くなり、腹膜透析を行うことになる。
腹膜透析を始めた当初は、1日1回。
仕事から帰ってきてから、透析液を注入、4時間後に透析液排水。
それでも数値が悪化し続けて、1年後、1日2回行うことになる。
朝、透析液を注入、職場で排水、夜仕事から帰って来てから透析液を注入、就寝前に排水という生活。
腹膜透析をやり始めて2年、腹膜透析ではカバーできなくなり、血液透析か腎臓移植か決断することになる。

【透析か腎臓移植か】

「いま病院だけど。移植の話、本当に考えてくれるの?そうなら、先生と話をして欲しいから、次の予約入れるけど」
病院の定期検査を受けに行った妻から仕事中にLINEが届く。
病院で定期検査を受けていて、いよいよ移植の話をしなければならないってことらしい。
私もそれまで妻の通院には何度も付き添った。
その際、このまま状況が悪化し続ければ、透析の可能性があること。透析を避けるには、腎臓移植をする必要があることなど、説明を受けていた。
「いざとなったら、自分の腎臓を提供しますよ」
などと、そのときは、まだ現実味を帯びていない話であったため、覚悟は決まっていないが、実際はそうなるのだろうな、くらいの気持ちでドクターには答えていた。

「早い、思っていたより全然早い」
そのLINEを見たとき正直そう思った。
もう、透析に入る段階なのか・・・
思ったより早いというより、移植について、考えない、想像したくないという気持ちが心のどこかにあったのだろう。
妻の数値が悪化し続けている状況、近いうちにドナーになるかどうか選択を迫られることから目を背けていたのだ。
定期検査に行った日に「数値どうだった?」と聞くことも怖くて躊躇した。
検査結果に一喜一憂の「喜」がなかった。
ずっと憂、憂、憂の繰り返し。
「また数値が悪くなってた・・・」
と言われたが、そのたびに何と声をかければよかったのか分からなかった。
「そうか・・・」
としか言えなかった。
これに関しては、移植が終わったいまでも、あのときどう声をかければよかったのか、いまだに分からない。

妻の両親は他界していて、血のつながった親族は姉のみ。
妻、妻の姉、私の3人で受診、移植について先生の話を聞きに行くことにした。
この歳から透析をするのはかわいそう。なんとか移植をできれば。
私も妻の姉も同じ考えだ。
先生の話をきいたら
・たくさんの検査をして、本当に健康な人しかドナーになれない。
・この病院ではドナーになろうと検査をした人のうち6割しかドナーになれていない。
・検査をして最終的にドナーになれなかったら、その検査費用はすべて実費となる
・検査をすべて実施するのに、半年から1年かかる。
・ドナーになった人は支障なく生活できるが、腎臓が1つになるとそれだけ残った腎臓に負担がかかるので健康的な生活を心がけなければならない。
ドナーになるのにもハードルが高いのだ。
一緒に話を聞いていた姉も検査を受けるつもりではいたが、問診の段階で元々持っていた持病がひっかかり、早々にドナー候補から外れる。
残るドナー候補は私一人となった。

検査をすべて実施するのに半年以上かかるということなので、とりあえず私がドナーになれるかどうか、検査を開始することとした。

検査を受けるにあたり、ドクターからこんなことを言われた。
「奥さんは透析をすれば生きていけるのですよ。心臓や肝臓は無ければ生きていけない。腎臓は透析という手段がある。それでも移植を選択しますか?」
思っていたのと違う。このドクターは移植に反対なのか??
「移植手術することに否定的みたいに感じるのだけど?」
するとドクターは
「健康な人を切って、不健康にすることは、医師としては、なるべくならしたくないことなのですよ。あなたの身体にとっては何一ついいことがないのですよ。腎臓を提供したら、一生腎臓は一つですよ。その一つの腎臓がダメになったら、あなたが透析になりますよ。奥さんは透析をすれば生きる手段がある。透析をして生きるのもまた選択肢の一つですよ」
そんなこと言われたら、決意が鈍る。
ただその場は、「検査をしてください」と答えた
「もしドナーになれたとしても、手術台に乗る前までなら、やめることはできますからよく考えて決断して」
そんな会話から、検査が始まった。

【葛藤そして決断】

ドナーになるため検査のための病院通いが始まった。
妻が検査に行くたび、日に日に数値が悪化していくのを見ていて、この腎臓はいつまでもつのか、いつかは自分の腎臓を提供するときがくる。
想像はできていた。
想像はしていたが覚悟はできていなかった。
妻の腎臓が機能しなくなること、自分の腎臓を提供することが現実味を帯びてくると、いろいろな感情が芽生えてくる。
最初にメンタルがおかしいなと感じたのは、趣味のゴルフ練習場の打ちっぱなしでのことだった。
もくもくと自分の世界に入り練習をしていると、
「なぜ妻がこんな大変な目に、あわなければならないのか」
「妻はタバコを吸わない、酒も付き合い程度しか飲まない、暴飲暴食なんかしない。全く不健康な生活なんてしないのに、なんでこんなことに」
「世の中にはいつも飲み歩いて、タバコ吸って、腹の出ているオジサンがいっぱいいるのに、その人は普通に生活している、なんでだ」
そんな感情が湧き始めた。
帰りの車の中、一人涙を流しながら家路についた。
以降、夜、一人で車を運転していると、自然と涙が出てくる状態が続いた。

いま置かれている状況を信頼できる私生活で何か困ったことがあると必ず相談してきた信頼できる先輩に話をしてみることにした。
もちろん、背中を押してもらうために。
先輩の回答は意外なものだった
「奥さんのことも心配だけど、自分が生活できなくなったら元も子もないよ。奥さんは透析すれば生きていけるのだから、まずは、自分の人生を優先して考えなさい。
お前は優しいから検査の結果、ドナーになれることになったら、もうドナーになること断れないよ。もう一度よく考えて。
最悪、離婚したってしょうがないじゃん。もしそんな選択をしても、誰もお前を責めないよ。」
ドナーに対して否定的なことを言われるとは思っていなかったので驚いた。
一見、なんでこんな冷酷なことを言うのだと思うかもしれないが、ドナーになった今だから、この言葉は納得できる。妻を救う前に、まずは自分の人生を守らなくては。
この人は過去に重い病気をしたことがあり、健康な体がいかに貴重なものだとわかったうえで、私の体を心配しての仲間であるがゆえの発言だったのだ。

そんなこと言われても、
「そうか、じゃ妻は透析で・・・」
なんて、簡単に考えられるものではない。
ここで、私がドナーにはなれないと決断をして、妻が透析を始める。
週3日、透析をして苦しんでいる妻、その横にドナーを拒否した夫。
生活を続けられるか???
そうなったら離婚だな・・・

ドナーになるのがイヤじゃない、まったくイヤじゃない。
ドナーになるんだって自分の中で結論は出ている。
でも、心がモヤモヤする・・・・

そんな中、別の先輩からメールが届く。
「話を聞いて、あれから、自分だったらどうするか考えてみたんだけど。
なんで自分たち夫婦がこんな目に。とか、
見捨てたりしたら奥さんがかわいそうだ。とか、
そんな難しいこと考えずに、ただ目の前の奥さんを助けたいから助けるかな。
だって、これからも一緒に旅行とか行きたいじゃん。」
それを言われたときに心が晴れた。

そうなんだよ。奥さんを助けたいんだよ。
自分の今後の人生には元気な奥さんが必要なんだ。

シンプルにそう思った。
この決断には正解はない。
妻の一番そばにいた私が、今後の妻との生活について出した結論なのだから、それが答えなのだ。

【検査・ドナー合格】

検査を無事通過して、はたしてドナーになれるのか。

検査はいろいろな科にまたがって様々な検査が行われた。
検査を受けるたびに結果を待つ間、気が気でならなかった。
結果を聞きに行く日は、妻と二人、病院に向かう車の中では空気が重い。
もしドナー失格になったら、妻に本当に申し訳ない。
帰りの車、どんなトーンで二人帰ってくればいいのだろう。
そんな苦痛を検査ごとに何度も味わった。

「私の生活に支障が出ても構わないからどうにかドナーにして欲しい・・・」
本当に心の底からそう思った。

「手術しますか」
11月中旬、主治医の先生との問診でさらっと言われた。
「たくさん検査受けてくれてお疲れ様でした。ドナーとしては大丈夫ですね。手術できます」
「もう検査終わり?もっと1年くらいかかるのかと思ってた。ドナー合格ってこと?」
検査始めて、5か月。最初の話だと半年から1年は検査に時間がかかるって聞いていた。
「そうです。あなた健康だから順調にいきましたよ。
もう一度お聞きしますが、奥さんは透析をすれば生きられます。透析という生きる手段がある。あなたの身体を痛めて、健康を害してまで、それでも腎臓移植ドナーになりますか?」
こんなの答えはとっくに決まっている。
「ドナーになります。これは生き方の問題です。生きられればいいのではない。お医者さんは妻は生きられるからいいのだと考えるかもしれないですが、私たち夫婦はどう生きるか、生き方を考えて出した結論です」
これが、私の結論だ!

「わかりました。気持ちが変わったらいつでも言ってください。そういう方はいらっしゃいますから。手術の日程なんですが、来月12月末ではどうでしょうか」
えっ・・・もう、来月の話?
早い!自分の中では、春ごろ手術なのかなくらいに思ってた・・・
カッコつけて夫婦としての生き方だなんて言っておいて、手術の日程を言われたら尻込み・・・
話を聞くと、その病院では腎臓移植手術は月1回、第4月曜日だけだそう。
「ちょうど、12月23日はまだ空いていますよ」
「12月は無理。年が明けないとダメ」
思わず拒否る。
「ん?仕事の関係ですか?」
「いや、今年は運気が悪いから。1か月先にすれば、年越してるので、1月で」
急に来月手術って言われてビビったのもあるけど、実際にその年は運気が悪かった。
方位除け?でも最悪な運気でもあったし、3月に人生で初めて骨折したし、仕事もうまくいかないし、何やってもうまくいかない年。これで手術したら、何かうまくいかない気がする・・・
「運気が悪いからって、そんなことで、手術延ばす人いないけどな~」
するとコーディネーターさんがすかさず
「患者さんの意向が最優先ですから!」
しぶしぶ、ドクターも1月手術で了承。
「医学的には、そういう運気とかは何も意味ないですけどね。
では、1月27日にしましょう」
医学的には運気なんか関係ないだろうけど、手術する側はいろんなことをデリケートに気にするのだ。
こうして、無事ドナーとして合格となり、手術日は1月27日に決定した。

【運命】

腎臓移植というものが現実的となり、ふと、1年前に亡くなった、妻のお父さんの言葉を思い出す。
妻が腹膜透析をすることになったとき、
「こんな娘で本当に申し訳ない。きみももっと健康な人と結婚していれば、違う人生もあったのに。ごめんなさい」
父親として、私に対し、申し訳ない気持ちだったのだろう。
いまになってみると、そうなのか。私には違う人生があったのか。
確かに、違う人と結婚すれば、腎臓を失わなくてよかったかもしれない。
では、妻はどうなんだ。
血のつながった身内にドナーになれる人がいない。配偶者にしか頼れることができない。
私と結婚しなければ、他の誰かと結婚したとして、その人は腎臓を提供してくれたのか。
提供する意思があったとしても、その人が健康でドナーになれるのかもわからない。
そう、妻には私でなければダメなのだ。
そう考えに至るのだから、私の人生はいまのこの人生しかないのだ。
そういうマインドになり、ドナーになる意志がさらに固くなった。

趣味で行っていた、キックボクシングの試合が中止となった。
11月24日の大会に出ると決定していたが、試合1週間前、相手のケガにより急遽中止となった。
自分にとって人生最後の試合にしようと決めいていた試合。減量の調整もバッチリだった。
打たれていない、怪我をしていない、コンデション万全な身体だけが残る。
これも運命か・・・
いま思えば、キックボクシングを始める前は、野菜嫌い、好きな食べ物は唐揚げ的な食生活をしていたが、キックボクシングを始め、体を作るために、揚げ物を極力食べない、タンパク質、食物繊維中心の生活を行い、健康体となった。
この健康な身体になる流れも、ドナーになるためのもの。始めからそう決まっていたのかな。
なんて、勝手に運命めいたものを感じた。
「ドナーになって妻を救う。これが私の人生の使命。生まれてきたのは、妻に腎臓を提供するためなのだ」
とさえ思った。

【手術】

手術前日、当時の思ったことを残しておこうと書いた日記にはこう記されている。
「どこかすっきりした気持ち。やっとここまで来れたか。
検査をさんざん受けて、インフルエンザが流行りまくりの中、トラブルもなく、よくここまで来れたな。もう怖くはない。とっとやって、早く終わってほしい。
俺の左の腎臓、45年間ありがとう。奥さんのことお願いします。」
と書いている。
まったく、すっかり自分に酔っている・・・

手術当日の朝。
さすがに眠りは浅かった。
予定よりも早くに目が覚める。
ちょうど夜が明けるところだった。
7階にある病棟からは富士山が観られる。
富士山がきれいだ。
縁起がいいや。きっとうまくいく。
妻にLINE
「いよいよだね。」
妻も起きていたようで返信
「本当にありがとう。腎臓大事にします。」
そして手術室にむかった。

目が覚めるとそこは病室だった。
うっすらとした意識の中で、移植手術が終わったのだなと状況を理解した。
コーディネーターさんから
「奥様はもう目覚めていますよ。手術も無事終了しました。」
と伝えられる。
なんと、私より、倍の手術時間がかかったであろう、妻の方が先に麻酔から目覚めたのだ。
私は麻酔が効きやすい体質なのかな・・・
とはいえ、手術が無事終了して一安心であった。

【今思うこと】

手術は無事成功した。
妻の体内で私の腎臓が順調に働きだした。
透析をすることなく、ごくごく普通の日常を過ごせている。
腎臓移植から約1年半。いま純粋に感じていることは、
手術したこと、手術にむけ思い悩んでいたことが、まだ1年半前のこととは思えない、もっと何年も前のことのような感じがする。
当時はなんであんなにしんどい気持ちだったのか、いまとなっては「なんだったのかな」と思うまでになった。
嫌な記憶っていつの間にか薄らいでいくものなのだ。
だから嫌なことがあっても人って生きていけるのかもしれない。
ただ、ちょっとしたタイミングで
「あー、腎臓が一つしかないんだよなー。これが一生続くのだなー。」と、ふと思うことがある。

ただ生活スタイルは、ガラリと変わった。
まず食生活にはかなり気を使っている。
病院からは、1日塩分6グラムまでと言われている。
実際やってみると、6グラムだと食べるものがかなり制限される。
私独自の調査ではラーメン1杯で少なく見積もっても塩分5グラム。1日にとって良い塩分量の大半を摂取してしまう。唐揚げ定食にみそ汁を付けると塩分3~4グラム。1日の摂取可能塩分の半分を1食で使ってしまう。
そう考えると、なるべく自炊。塩分を使わずに出汁を使って味付け。
やはり、塩分がないと味気ない。
スーパー、コンビニ等でお弁当、お惣菜を買って食べることはまず無くなった。
売っているものには塩分が入っているからだ。
外食は付き合い程度、お誘いのあった飲み会、食事会で行くくらい、自分の意志で行くことはない。
美味しいものには塩分が含まれている!美味しいものは体に悪い!!
という感覚になった。
滅多にしないが、コンビニでおにぎりを買うことになったときには、必ず裏面の塩分表示をチェックする。
最近老眼が始まったからか、その表示の数字もぼやけて全然読めず、しかめっ面で、おにぎりとにらめっこしている。
周りからは、そこまで、やらなくてはならないものなのか?
と聞かれるが、妻は私から移植された腎臓を守るため、もっと徹底的に食事を制限しているため、自分だけが普通の食生活をするわけにはいかない。
また、私自身の一つになったこの腎臓をなんとか守りきらなくてはならないといった、義務感のようなものが芽生えている。もし、私の残りの腎臓がダメになり、透析などになれば妻も私から移植を受けたがためにと責任を感じるだろう。
食生活を徹底していることで、人付き合いも変わった。
人付き合いには必ず、食事が付きものだ。
飲み会や食事会などは、いままでは、どうしても行きたくないもの以外は行くようにしていた。
最近は、行かなければならないもの、自分が行きたいと思うものだけに行くようになった。
そのような場でしか得ることのできない情報や、人とのつながりもあるが、無駄に塩分を摂取して身体を害することになると考えると、腰が重くなってしまう。
自分の中での優先順位が変わってきたのだ。

ただ、趣味のキックボクシングは辞められなかった。
手術をする前は、もうこんな激しい運動はできなくなるだろうな。手術をして数か月間、体を動かさず安静にしていたら、運動する気も無くなるだろうな。と覚悟をしていた。
そのときは、それでよかった。妻に腎臓を提供することが大優先だったから。趣味が出来なくなるくらいなんとも思わなかった。
ただ、手術が終わり、普通の生活が始まったときに、禁断症状のようなものが湧いてきた。
格闘技には中毒性があるといわれるが、あのアドレナリンが湧いてくる感覚が忘れられずにまた復帰した。ただ、もう試合に出るといったことはせず、あくまでもフィットネス感覚で。
好きなことは腎臓に影響がない範囲ならどんどんやらないと!
生きてるんだから。生きてるうちにしかできないのだから。

妻との関係はいたってフラット。
手術前は、先輩たちから
「奥さんに腎臓を提供したら、もう夫婦の関係は左団扇で生活できちゃうよ。もう、お前に逆らえないから楽でいいな。」
なんて冗談を言われていたが、そんなことない。
服を脱ぎっぱなしにしていると嫌味を言われるし、ウサギの世話をしないと怒られる。
それでいいのだ。
「最近、肩こりが痛いな。腎臓一つないからかな~」との私の軽いボケに
「肩こりに腎臓は関係ないよ!」とツッコむ妻。
変に腎臓を提供したことをありがたがられ過ぎず。
そのような関係が心地よいのだ。
2025年1月27日に手術をしたので、毎月27日を移植記念日とし、スイーツをお取り寄せしてちょっと贅沢なカフェタイムを過ごすこととしていた。
ところが2026年4月27日の15か月記念日をお互いすっかり忘れていた。お取り寄せもしなかったし、そんな話題もでなかった。
忘れていることに気が付いたのは、5月の半ばになったころだった。
それもそれでいいのだ。
腎臓移植をしたということがそれだけ日常的なものになり、特別感もなく、人生の一部に浄化したということだろう。
46歳になり、老後に備えて個人年金をした方がよいのか、それとの資産運用を始めた方がよいのか。将来仕事を辞めたあと、いくら貯金があれば生活できるのか。妻が心配し始めた。
それでいいのだ。
いままでは、自分には老後なんて来ない。年を取る前に亡くなると思って生きていた。
「個人年金をやった方がいいよ」と勧めても、
「どうせ長生きしないのだから備えてもしょうがない」と言っていた。
老後の生活の心配をすることも許されなかった妻が、今は老後をどう生活できるだろうかと悩んでいる。
通常の人と同じ悩みを抱けるようになったのだ。

すっかり日常生活に戻ったいま、同じようにドナーになるべきか悩んでいる人がいたらどうするか。
このようなエッセイを書いているのだから、もちろん背中を押すのか・・・
この答えはまだ出ていない。出るものではないと思う。
人それぞれ事情あり、立場が違う。
もし、私に子供がいたら答えは違っていたかもしれない。
子供を成人まで、学校を出るまで、育てなければならない義務がある。
そのためには健康で働かなくてはならない。
子どものいない私には誰かのために生きる義務がなかったのだ。

もし、経験者としてドナーになるべきか悩んでいる人に相談されたら私はこう言うだろう。

「自分の人生が大事だよ。逃げられるなら逃げちゃえよ」

なによりもまずは自分の身体、自分の人生を第一に考えるべきだ。
この考えは変わらない。
そのうえで、自分の人生の中で、ドナーになることがどのような意味をもつかよく考え、自分に取って最良の選択をするべきだ。

私は自分自身の寿命を分けてでも、健常者になった妻と生きるという選択を取ったまでなのだ。
自分のために、自分の人生をよいものにするために。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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