【エピソード】 0日目 しんもんbeyond 順風満帆と苦悩
「noteを書こう」と決めてから〇日目。毎日書くつもりで始めましたが、実際に記事を書き続けるのは意外と大変ですね。日々の出来事を洗い出し、まとめて文章にするのですが、内容がざっくりしたままの記事も多くなってしまいます。
書くときは、画像や写真を探して挿入したり、内容が膨らみすぎたら削ったり、前後のつながりを確認したりしています。そして最後にもう一度見直して整えています。「これは、ある程度の書き方パターンを作っておいた方が良いかもしれない…!」と感じることも多いですね。そういった書き方について発信している方もいるので、検索して参考にしています。
文章の「しんもん」は、読者の方が読みやすい範囲に留めようと心がけています💦
今回の記事内容は以下のとおりです。
「これまでの人生、順風満帆に歩んできたように見られがちなしんもんですが、実はこんな過去がありました」。10分ほどで読める内容ですので、気軽にご覧いただけると嬉しいです。
以前の自己紹介を👇に書いています。よろしければ、記事を読む前に軽く目を通してみてくださいね。
ご相談はこちらの記事参照👇
実は
多くの方から「順風満帆な人生を歩んでいるように見える」と言われることがありますが、実際にはさまざまな困難や決断の連続でした。この記事では、18歳で社会に飛び出してから現在に至るまでの道のりを振り返り、その中で得た気づきや学びを共有したいと思います。

そう!常に順風満帆というわけではなく、多くの困難な時期を経験してきました。そこで気づいたことや学びを、ここにまとめてみたいと思います。
グラフを見た際にさっと浮かんだ点は以下のようなものです。
気づいたポイント💡
孤立を避けるため、常に人の中心にいようとする傾向
家族や仲間を大切にし、常に自分の周りに人を集めてきました。お金と自由を結びつけがちな価値観
幼少期からお金に対する意識が強く、「お金があれば自由も手に入る」と思い込んでいました。家族や仲間を重要視する気持ち
家族の問題に直面しても、お互いを支え合い、困難を乗り越えようとしてきました。選ばれることにより、自然に出世している状況
様々な場面で選出され、ステップアップしてきましたが、「果たしてこれは自分の意思によるものか?」と感じることもあります。
追加で気づいた点💡
感情の波を乗り越える力
困難に直面しても感情を整理し、前向きに進む力が身についていると感じています。自己改善と学びに対する意欲
未経験から営業をスタートし、試行錯誤を経て成長してきました。リーダーシップとチームビルディングへの貢献
自身の経験をチームで共有し、チーム全体の成長を促しています。時間の大切さに対する意識
家族の問題や自身の失恋などから、時間の重要性について深く考えるようになりました。
他の方が見ると、また新たな発見や気づきがあるかもしれません💡 ぜひ、何か気づいたことがあれば教えていただけると嬉しいです。
幼少期の体験についてもお話しするのは良いかもしれませんが、今回の内容は18歳、高校卒業後あたりをメインに書いていくつもりです。リクエストがあれば、幼少期についてもお話ししますね。
※なお、ラジオでとある方と対談する際には、幼少期についても少し触れるかもしれません。
工場勤務からの出発
しんもんの最終学歴は高校卒業です。特に有名な学校でもなく、母校には少し申し訳ないのですが、あまり誇れるようなものではありません🙇
高校時代はアルバイトに明け暮れていました。当時のしんもんは、「お金があれば何でもできる」と信じていて、お金と自由が強く結びついていると感じていたのです(幼少期にいろいろとお金にまつわる話が多かった影響もあるかと思います💦)。
不良ではなかったのですが、高校にはあまり通っていませんでした。何かに対して強い違和感を覚えていて、学校に行くことに意味を見出せなかったのです。三者面談でも、「学校の学びに意味が感じられず、行く気持ちが湧かない」と伝えていました。これは決してネガティブな意図ではなく、当時の純粋な気持ちからの発言でした。幼少期から、親や先生の言うことをただ鵜呑みにすることができない性格でしたが、この部分だけ切り取ると少し変わった人物に見えるかもしれません💦
親も当時は悩んでいたと思いますが、「自分の人生は自分で決めて、その責任を取るのも自分なんだから、親としてはできることをするだけ」とよく口にしていたので、しんもんの将来をそこまで心配していなかったのかもしれません。それでも、たまに帰りが遅いときはショートメッセージで「生きてるか?」と連絡が来ることもあり、案外心配をかけていたのかもと今になって感じます。

高校卒業後すぐに工場に就職しました。
中学の頃から「高校を卒業したらすぐに働きたい、お金がほしい」という漠然とした思いがあったためです。両親もお金に対して少し敏感なところがあり、特に祖父が事業で失敗した経験から、不安を感じていたようです😅
初めての仕事は新鮮でドキドキしましたが、初日に車で通勤すると、暗黙の了解として社長や役員、先輩社員が駐車場を利用するのが常識だと教えられました。心の中では「どうして?」と思いつつ、翌日からは電車で通勤するようにしました🚃。
工場での業務は、最初は新鮮だったものの、機械が動き始めると主な仕事は監視と多少の手作業で、かなり時間が余るものでした。「今この仕事をすることに意味があるのか?」と疑問を抱きながら、残業もほとんどなかったため、終業後には居酒屋でアルバイトを始めることにしました🍺。
ある日、居酒屋に友人が来て、「知り合いの社長が大阪に営業所を開くけど、面接を受けてみる?」と誘われました。「地元の人を探しているらしい」とのことだったので、しんもんは即座に「行く!」と返事をしました。
それが、今の会社です。
営業については未経験で、そもそも「営業」という言葉も耳にしたことがある程度でした。「何かを売る人でしょ?」という程度の知識しかなく、今から思えば本当に漠然とした理解で始まりました。会社から一方的に夢を語られ、「どう!? 一緒にやらないか?」と誘われた際、「やってみたいです!」と答えたのがきっかけで、ありがたいことに入社が決まりました。これが、SaaS系企業での営業職としてのスタートでした。
後日、上司に採用理由を尋ねたところ、「まっすぐな馬鹿だったから」と言われたのですが、それを褒め言葉として受け取っています。
1年目はほとんどネットサーフィンばかりでした。営業もパソコン操作も全く分からなかったため、最初の1年間は事務所でネットサーフィンをしたり、先輩の資料を印刷したり、たまに営業訪問に同行する程度の業務でした。それでお給料がもらえるとは、今思えば本当にありがたい話です✨。「仕事って案外楽なものなんだな」と、少し勘違いしてしまったくらいです。
工場でも流れ作業を淡々とこなしていましたし、この会社でも「こんな簡単なことをやっているだけで良いのか」と、世の中の優しさに少し驚いていました💧。
1年が経ち、初めて営業デビューしましたが、とはいえ説明要員のようなものでした。契約済みのお客様に向けて、サービスの利用方法を提案する業務が中心で、「営業とは概要説明をすること」と認識していたほどです。資料をもとにサービスのメリットを説明しても、なかなかお客様に響きません。研修を受ける機会もなく、独自のやり方で繰り返し説明しているだけでしたので、「たまに気が向いたお客様が使ってくれる」というのが当時の営業スタイルでした。
成績もそれほど伸びず、「まあ、こんなもんかな」と考えていました。最低限の目標は意識していたので、なんとなくの感覚でお客様の状況を尋ねたり、提案後にその内容について確認したりして、徐々に理解してもらえるようなやり取りができるようになってきましたが、仕事への姿勢は依然「最低限やっておけばいいか」というものでした。
一方、家庭は色々と大変な状況にありました。
父親の借金が原因で家族が解散し、母も父の実家を手伝う中で、家の支払いは父に任せきりでしたが、未払いが重なり支払いが滞っていました。家計は収入と支出のバランスが取れなくなり、固定費も払えない状況に…この結果、家族はバラバラに暮らすことに決まりましたが、その過程も一筋縄ではいきませんでした。
姉としんもんは一人暮らしを始めることになり(ちょうど車のローンも組んだばかりで…)、母親は実家に戻ることに。母も50歳前で大変だったと思いますが、「縁があって一緒になったんだから、縁は切らない」と言い、離婚はせずに立て直しを図ることにしました。正直、しんもんは離婚する方が良いのでは?と感じましたが、母は「夫婦は一心同体で、お互いを支え合うものだ」と。
その後、しんもんは仕事が少し忙しくなり、家族と会う頻度も減りました。
仕事は順調に進み、営業としても少しずつコツをつかんできました。
お客様の問題を解決できるとイメージしてもらえると、良い反応をいただけることが分かり、「相手の頭の中と自分のイメージをシンクロさせることが大事だ」と理解しました。
また、次第にお客様の事情や予算、競合の状況などもヒアリングするようになり、案件管理も少しずつ行うようになりました。
目標から逆算してどれくらいの活動が必要かを考え、初回訪問後のフォローも行うなど、行動管理も少しずつ取り組んできました。後に本やセミナーで知識を得た際、「ああ、これか!」と腑に落ちました。仕事には、自分なりに最低限の基準を持ちながら向き合っていたので、少しずつ成果も出始めましたが、この時点でも「周りに極端に劣らなければ良いかな」という程度の姿勢で取り組んでいました。
その後、転機を迎えることになります。
ある日、母親から祖母の体調が悪いという知らせがありました。もともと乳がんを患っており、いつかその日が来るとは覚悟していましたが、それでも衝撃でした。特に、姉にとって祖母は特別な存在であり、その喪失感を受け入れるのに数年かかりました。しんもんはここで、人の命も仕事人生もいつか終わりを迎えるものだと改めて実感し、時間に対する考え方が大きく変わりました。すべての瞬間を大切にし、後悔しないように全力で取り組むことを決意。
それ以降、しんもんの仕事への向き合い方が変わり、目の前のお客様に対して全力で向き合うようになります。その結果、周りの方と比べても目に見えて成果が現れるようになり、自信が湧き、さらなる試行錯誤を繰り返すように。この成功の循環が生まれたことが、仕事へのモチベーションをさらに高めました。
30歳を目前にして、社長から「東京に来ないか?」と転勤の打診がありました。当時、家族の事情も複雑で、父親はALSを患い、母親は乳がんを宣告されていました。また、付き合っている方もおり、その支えを受けてここまで頑張ってきた背景もあります。しかし、家族や恋人と話し合った結果、しんもんは東京行きを決意します。仕事を通して有限な時間に向き合い、やり切りたいという気持ちが強かったからです。この決断に後悔はなく、何かあればすぐに戻ると約束して新たな道を選びました。
東京では初めてチームのリーダーを任されました。成績が低迷しているチームの立て直しを図り、チームビルディングと数値の改善という大きな課題に取り組むことになります。信頼と健全な競争を土台に、メンバーとのコミュニケーションを強化。1on1や少人数での対話、情報の共有を徹底し、チーム全体に一体感が生まれるようになりました。
大事なのは信頼する事だと思います。
しんもんが大切にしているのは「信頼」。人を責めるのではなく、仕組みを見直す視点を持つことが、チーム全体に好影響をもたらしました。メンバーは協力と共有をベースに行動を変え、成果につながる行動を自然に選ぶようになります。こうして成功体験が積み重なり、サクセス(伴走)という新たな要素を取り入れることで、数値の成長も加速しました。
一方で、しんもんの私生活には大きな変化がありました。支えてくれた彼女と別れ、彼女の夢を尊重しながらも、しんもんは人生最大の失恋を経験します。失意の中でも、メンバーの支えや成果維持に努め、数ヶ月後には立ち直ります。この経験は飛躍と別れの両方を経験し、より深い成長をもたらしました。
会社では新しい事業立ち上げの依頼を受け、「やります!」と快諾。この頃から、営業管理やマーケティングにも意識を向け、案件管理の精度を上げて漏れを防ぎ、成果を確かなものにしました。勢いに乗り、自信と行動のループが再び続きます。新たに加入したKさんの協力もあり、攻勢をかけて次々と新規案件を受注する体制が整いました。
しんもんはマネジメントの再現性を追求し、名古屋商科大学のPreMBAで学びました。未来の答えは誰も持っていないと気づき、未知の世界へ挑戦することの意義を深く理解しました。
そんな中、緊急の連絡が入ります。父親が階段から転落し意識不明で緊急入院。母親の冷静な対応に感謝しつつ、胸に湧き上がる不安を抱え、しんもんは再び家族を支える役割を意識します。この一連の経験は、しんもんにとって「信頼」と「限られた時間」の重要性をさらに深めさせることになりました。
すぐに休暇を申請し、大阪に向かいました。父親とはこれまでに本音で向き合い、多くを語り合ってきましたが、それでもまだ話したいことや聞きたいことが残っています。病院で父と対面し、言葉にできない重さが胸を締めつけましたが、時は止まらず、限られた時間は刻一刻と過ぎていきます。
気持ちを切り替え、再び仕事に立ち向かい、目の前の山を一歩ずつ登り続けました。
まとめ
振り返ると、しんもんの人生は多くの試練に満ちていました。しかし、家族や仲間、仕事に全力で向き合い、そうした経験を通じて多くを学び成長してきました。これらの経験が、今のしんもんを支える土台になっていると感じています。まだ書き足りないこともありますが、これがしんもんの歩んできた道です。
しんもんの過去にはさまざまな出来事がありました。その一端でも感じていただけたなら幸いです。興味を持ってくださった方は、ぜひ他の記事もご覧ください。
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