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「完全な乱数」が、はじめて地球上に誕生した──量子もつれが解いた暗号の命題

2026年5月、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)の研究チームが、世界で初めて「数学的に証明できる完全な乱数」を生成することに成功しました。結果は権威ある学術誌『Nature』に掲載され、暗号研究の世界に静かな衝撃を与えています。


コンピュータはなぜ「サイコロを振れない」のか

少し意外に思われるかもしれませんが、普段スマートフォンやパソコンが生成している「乱数」は、本当の意味でのランダムではありません。

コンピュータは、トランジスタという電子スイッチの集合体です。あらゆる動作が物理法則に従って決定論的に進む——つまり、入力が同じなら出力も同じになる機械です。「スマートフォンやコンピュータといった従来の電子デバイスは完全に決定論的であるため、真にランダムな値を生成することが実際には非常に難しい」と、ETH ZurichのRenato Renner教授は語ります。コンピュータは「コインを投げる」という行為自体ができないのです。

では、量子力学を使えば解決するのでしょうか。光子をビームスプリッターで反射させる手法など、量子効果を利用した乱数発生装置はすでに存在します。ところが「そうした装置でさえ、系統的な誤差やバイアスから完全には自由になれない」という問題が残ります。一部の数字がわずかに出やすいという偏り——暮らしの中ではどうでもいい話ですが、暗号の世界ではその「わずか」が致命的になります。


30メートルの冷却管と、15億回のテスト

ETH Zurichのチームが選んだアプローチは、「乱数増幅(Randomness Amplification)」と呼ばれる独自の手法です。

実験の構成はこうです。超伝導チップを絶対零度に近い極低温まで冷却し、2つのチップを30メートルの冷却管でつなぐ。管の中をマイクロ波光子が往来することで、2つの量子ビット(qubit)の間に量子もつれが生じる。

量子もつれとは何か——少しかみ砕いて説明しましょう。コインを2枚用意して、一方が表なら他方は必ず裏、という関係を不思議な形で共有している状態を想像してください。しかも、その結果は「測定する瞬間まで決まっていない」のです。どちらが表になるかは、宇宙の法則が測定の瞬間にはじめて決める——これが量子もつれの本質です。

チームはこの装置を使い、約15億回のベルテストを実施しました。ベルテストとは、量子系が古典物理学の影響を受けていないかどうかを検証する試験です。この途方もない回数の試験を積み重ねることで、生成した乱数が「本物の乱数である」という数学的な証明書を発行できるようになりました。


羊の写真で証明されたこと

研究チームは実験の分かりやすい可視化として、一枚の羊の写真を使いました。

この写真のピクセルデータをシステムに通すと、元の画像に戻すことが量子コンピュータをもってしても不可能なノイズへと変換されました。これは単なるデモンストレーションではなく、生成された乱数の「解読不能性」を直感的に示す実証でした。

従来の乱数で暗号化した場合は、画像の輪郭がぼんやりと残ることがあります。しかし完全な乱数で処理すると、羊の影も形も完全に消え去る——この一枚の比較画像が、研究の意義を雄弁に語っています。


なぜ今、これが重要なのか

Renner教授は、暗号の不完全な乱数が原因で起きたハッキング事件だけをまとめたWikipediaのページが存在するほど、乱数の品質は現実の問題だと指摘しています。量子コンピュータが普及する未来の話ではなく、今日のネット通信や金融システムを守るための話です。

応用の可能性は広範囲に及びます。暗号・量子セキュア通信・ブロックチェーン・宝くじ、そして高い信頼性を必要とするあらゆるデジタルインフラが恩恵を受ける可能性があります。

以前の記事で量子コンピュータと暗号資産の関係について書きましたが、

量子コンピュータが既存の暗号を破る脅威とは別に、「乱数の質」という根本的な問題も現行システムの弱点として存在していました。今回の研究は、その弱点を塞ぐ側の技術的前進として読むことができます。

さらに、量子もつれを通信に応用する「量子ネットワーク」との接続も興味深いところです。

量子ネットワークの中核には「信頼できるエンタングルメント(もつれ)」が不可欠ですが、今回の実験はそのもつれを「乱数の証明書」として活用するという発想の転換でもあります。


「ランダムであること」を証明する、という逆説

この研究が持つ哲学的な深さも無視できません。

乱数とは本来、証明しようとすれば証明できない性質のものでした。しかし量子力学の非局所相関(ベル不等式の破れ)を使えば、「この数列は古典的な隠れた変数では説明できない、ゆえに本物のランダムである」という論理が成り立ちます。

つまり今回の成果は、「完全な乱数を作った」という話であると同時に、「ランダムであることを証明する手段を確立した」という話でもあります。乱数の生成と認証を同時に行う——これが「認証済み乱数増幅(Certified Randomness Amplification)」と呼ばれるゆえんです。

量子超越性の議論でよく語られる「量子コンピュータは何ができるか」という問いに対して、この研究は異なる角度から答えを出しています。

古典コンピュータには原理的にできないこと——それが「本物のランダムを生み出すこと」だったのかもしれません。


暗号の未来と「信頼」の設計

現時点では、この装置は研究室の産物です。2つの超伝導チップを絶対零度近くまで冷やし、30メートルの冷却管を通す——そのインフラは、まだ日常には遠い。

しかし技術の成熟とともに、こうした「量子認証乱数」がクラウド上のサービスとして提供される時代が来るかもしれません。銀行取引の一時パスワード、選挙システム、科学シミュレーション……「信頼できる乱数」を必要とする場面は、社会のあらゆる層に潜んでいます。

宇宙・生命・知能と並んで、「乱数」もまた、自然の最も深い謎の一つかもしれない。量子が切り開いたこの小さな扉の先に、どんな景色が広がるのか——これからも目が離せません。


参考記事

〇 Perfect randomness realized for the first time(2026年5月27日)

https://phys.org/news/2026-05-randomness.html

〇 A quantum computing system's perfect randomness could keep your secrets safe — Scientific American(2026年5月27日)

〇 量子コンピュータ時代が迫る!ビットコインや暗号資産の未来はどうなる?(2025年5月28日)

〇 量子ネットワークが拓く「重力と情報」フロンティア(2025年7月21日)

〇 量子超越性が暗号を揺さぶる日(2025年6月24日)


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