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血液が「水あめ」になる宇宙──物理定数の数%が握る、生命のギリギリの窓

私にとって、毎朝の目覚めのコーヒーは一日を彩る重要な習慣です。そんなとき、もしお湯がシロップみたいにトロトロだったら・・・豆に染み込まないし、カップに注いでも流れてくれません。おそらくその日は絶不調でしょう。

これとよく似た「困った」が私たちの体の中で起きていたら──たとえば血液が水あめみたいにベタついていたら──、我々の生命というシステムはそもそも成立しません。

ところが、この当たり前すぎて普段は意識すらしない「ちょうどよい粘りけ」は、宇宙の最も根っこにある物理定数によって、ギリギリの綱渡りで支えられているらしいのです。クイーン・メアリー・ロンドン大学のコスティア・トラチェンコ教授らの研究が、5月8日付のサイエンスデイリーで改めて取り上げられました。

細胞は「流れ」が止まったらおしまい

生命とは何か、と問われると答えはいくつも出てきますが、物理屋に聞けば「とにかく動いていること」と返ってくる気がします。栄養が細胞に運ばれ、タンパク質が折りたたまれ、分子が拡散していく。どれも液体の中での「流れ」が前提です。

その流れやすさを決めるのが粘度(viscosity、ねばりけ)。蜂蜜はとろみが強くて流れにくい、水はサラサラ。粘度が高すぎれば栄養は届かないし、低すぎても必要な構造が保てません。

トラチェンコ教授らがまず示したのは、「液体の粘度には宇宙が決めた最低ラインがある」という結果でした。温度や圧力をどう変えても、ある値より下にはならない。そしてその下限の中身を分解していくと、プランク定数、電子の質量、陽子と電子の質量比──この宇宙のいちばん基本的な定数たちが、ちょこんと座っているのです。

https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adh9024

たかがコップの水のとろみが、宇宙の設計書と地続きになっている、というわけです。最初に聞いたときは正直、出来すぎでは?と疑いました。

「生命に優しい窓」はどれくらい狭いのか

ここからが今回の話の肝です。

粘度に物理的な下限があるなら、「細胞が機能できる粘度」にも上限と下限が当然あります。そしてその範囲をきちんと満たすためには、根っこの定数たちが極めて狭いレンジに収まっていなければならない──そんな主張です。

教授の言葉を借りると、プランク定数や電子の電荷が数%でもずれれば、私たちの血液は濃すぎたり薄すぎたりして体を維持できなくなる。水がタール並みに粘っていたら、今の形の生命はそもそも存在しないわけです。これは詩的な比喩ではなく、計算が示すありえた別世界の話です。

「物理定数が生命に都合よく調整されているように見える」という議論は、いわゆるファインチューニング問題として古くから知られています。2年ほど前にも、このテーマで書きました。

そのときの主役は、星の中での核融合のバランスや、宇宙定数(真空エネルギー)の異様な小ささでした。なかでも宇宙定数は、理論値と観測値のあいだに10の120乗ものズレがあって、いまだ解けない物理学史上最大の謎です。

今回の研究の面白さは、議論の舞台を「星のなか」から「細胞のなか」に引き下ろしたことだと思います。仮に星はちゃんと光って、重元素も合成されたとしても、その先で液体が流れない宇宙だったら、結局のところ生き物は立ち上がらない。微調整は二段構え、ひょっとすると多段構えなのかもしれない、ということになります。

教授は論文の終盤で、進化のように複数段階の選別が起きた可能性にまで踏み込んでいます。さすがに思弁的ですが、「物理法則」と「生き物の設計」が想像よりも絡み合っているという直感には、それなりの重みを感じます。

ティーポットと超伝導と細胞と

同じグループは、室温超伝導のテーマでもよく似た議論を展開しています。超伝導が起こりうる温度の上限もまた、電子の質量、電子電荷、プランク定数の組み合わせで決まり、その上限がたまたま「惑星表面の温度帯」に重なっている、というのです。

教授のジョークが秀逸で、もし定数が少しずれて超伝導の上限が100万ケルビンだったら、ヤカンの導線が抵抗なしに電気を流してしまい、お湯がいつまでも沸かない。「お茶を淹れるのが難しい宇宙」というのが彼の言い回しでした。

室温超伝導の探索、血液の流れやすさ、細胞内の分子拡散。バラバラに見える話題が、たった数個の定数で結ばれている──そう並べて見せられると、自然のしたたかさのようなものを感じます。

ちょっと立ち止まって

この話は、向かう先によっては「だから創造主がいる」という結論にも、「無数の宇宙のうち、たまたま液体が流れる一個に私たちは住んでいるだけ」というマルチバース説にも転がります。どちらが正解か、いまの私たちには分かりません。

ただ、ひとつだけ確かなことがあります。今朝も自分の血液は静かに流れ、コーヒーは無事にカップに注がれた──それは、いくつかの定数が小数点以下のところで「ちょうどよい」値をとっているからです。

この当たり前すぎる事実の足元に、宇宙の最深部とつながる細い糸が一本通っている。そう思いながら飲む一杯は、なんだかいつもより味が濃く感じます。


参考記事

〇Scientists make stunning discovery that could change our understanding of the Universe(2026年5月8日)

〇Constraints on fundamental physical constants from bio-friendly viscosity and diffusion(Science Advances、2023年8月23日)

https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adh9024

〇宇宙はファインチューニングされているのか?その1(2023年8月27日)

〇The quest for room-temperature superconductors(2025年3月5日)


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