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「使い切り」に挫折した管理栄養士ライターが、「生ごみゼロ」のレシピ本を出版するまで。

「書くの好きですか?」

執筆活動をはじめたのは6年ほど前。
ギリギリ20代のとき。

一本の電話がきっかけだった。

依頼されたテーマは「野菜の使い切り」。使い切りかあ…くらいの、ふんわりした感触をもった記憶がある…。

まさか、この依頼がきっかけで、人生が変わるとは思ってもみなかった。

***

「書くの好きですか?
記事執筆のお仕事があるのですが…」

わたしは驚きとうれしさで目を開き

「書くの、好きです!執筆やりたいです!」

と、即答した。(決して大きくないわたしの両目はこのとき、きらきらと輝いていた…はず。)

もともと、ライターや作家のする執筆活動に密かな憧れを抱いていた。

わくわくした気持ちが冷めぬまま、Webや書籍で数日かけ、「使い切り」に関する情報をかき集めた。それをもとに、使い切りのメリットや実践的なアイデアまで丁寧に紹介する初稿を一心不乱に書き上げた。

――それがわたしに書ける精一杯の「最高傑作」だった。

担当者さんから「これ全部、どこかで読んだことある内容だから、書き直して」と、メッセージが返ってくるまでは…。

***

「自称・最高傑作」は日の目を見ることなく、即お蔵入りとなった。

担当者さんからの再オーダーは忘れもしない、このひと言、

「自分の言葉で書いて」

調べた情報をきれいにまとめるのではなく、自分の言葉を書いて欲しいとのこと…。

「え?でも、それって、どうやって…?」

とは聞けず、「承知しました」と即レスした。(とりあえず承知するクセは今も治ってない)

とはいえ締め切りの迫るなか、「自分の言葉ってどうやって書くの?」と頭を抱えることになる。

「自分の言葉ってどうやって書くの?」

「そんなのわからない、書けない」

「わたしには、書けないんだ。どうしよう…」

そんな絶望のループに陥り、書くのを諦めかけた。…というのは建前で、本当は心のなかで一旦、諦めた。

それでも、一度依頼を受けたからには、責任をもってやり遂げたい。書けないことを認めたうえで、どうにかならないか?知恵を振り絞る。

書けない、書けない。書けないけど、
どうしたら、わたしでも書ける……?

――そうか…!!!その瞬間、アイデアがぽんっと浮かんだ。

「どうやって」を「どうしたら」に言い換えただけ。並べるとこんなに似てるのに、受け止め方は全く変わった。

「どうしたら、わたしでも書ける?」

「自分の言葉がないなら、作ればイイじゃん!」

「自分の言葉ってどうやって作れる?」

「使い切りをやってみたら、イイじゃん!!」

孤独な暗闇に、わずかな光が差した。

(さっきと何が違うかというと、ノリがいちばん違う気がする)

担当者さんには、こうメッセージを送った。「一週間、時間をもらえませんか?使い切り、やってみます!」

***

「一週間時間をかけても、その分の報酬は出ませんけど…?」

熱量マックスのわたしに対して、担当者さんからの返事はとてつもなく冷静だった…けれど、当然といえば、当然すぎる。

タイパ重視は当時も変わらず、わざわざ時間をかけることに乗り気なにんげんはそうそういない…。

でも、もうやるしかないんだ!

「それでも、やります!」

この決断が、わたしの人生を大きく変える。

さっそく週明けから、「野菜を使い切る!」とだけ決めて、キッチンに立つ暮らしをはじめた。

***

「使い切りなんて腰が重い」
「正直、めんどくさい」


そんな気持ちも、ゼロじゃない。

でも、やるしかない!やるぞーー!と自分を奮い立たせる。

まずはにんじんの皮をむかず、まるごと切って煮物の具材にした。じゃがいもは、皮ごとジャーマンポテトに。

玉ねぎの皮はさすがに食べられないだろう…と思いつつも、煮出してベジブロスにする方法をやってみた。

にんじんの皮→ふつうにおいしく食べられた。

じゃがいも→皮つきがむしろおしゃれ。

玉ねぎ→皮を煮出しただし汁(ベジブロス)は、色もうま味も想像以上。

――案外なんでもおいしく食べられるぞ。

にんじんのヘタを皿に並べ、水を差して葉を育てる「リボベジ(リボーンベジタブル)」にも挑戦してみた。

わずか数センチ残された根から水分と養分をぐんぐん吸い上げ、わたしがぼーっとしている間にも緑の葉がぐんぐん伸びる。よく見ると、根の断面のほうも少しずつぷっくりしてくる。

「野菜は生きている」
「わたしたちは、命をいただいている」

鍋底からゆっくり沸いてくる水のように、ぽこぽこと、自分の言葉が生まれる音がした。

***

「いつも捨てていた皮が、じつはおいしい」
「余さず使うと、気持ちいい!!」
「食材を余さず使う=食品ロスやゴミが減る」

やってみると、自分の言葉が次々に浮かんで、記事を無事に書き直すことができ、担当者さんからもOKがもらえた。

「自分の言葉を、書けた!!!」

「書くって楽しい、もっと書きたい」そんな気持ちに取り憑かれ、2年後にはライターを名乗るまでになった。

***

さらに2年後、33歳の夏。

レシピ本の「出版依頼」が届いた。

出版社の編集者さんからもらった本のテーマは、食材をまるごと活用する「使い切り」。「4年前の記事を見てご連絡しました」という。

「出版依頼」の4文字は心の底からうれしかった反面、「使い切り」の4文字には「ぎくっ…」と思ってしまった。

――4年間もあったのにわたしは、何をしていた???

出版依頼が届いたのはちょうど、些細な出来事がきっかけで挫折し、使い切りの生活から遠ざかり自信をなくしていたときだった。

家族にピーマンの種を「何これ。おいしくない、食べたくない」といわれた、そんな些細な、どこにでもある出来事。

まさか、出版依頼が来るなんて。

わたしが4年間で使い切りを極め、その道のプロになれていたら、どんなに頼もしかっただろう。レシピストックがあれば、どれだけ進行がスムーズだっただろう。

本の著者=わたしでいいんだろうか?でも、だからといって出版依頼を逃したくはない…。

「使い切りは、4年前の実績しかありません」
「本当にわたしで大丈夫ですか…?」

担当編集者さんにも出版社の偉い人にも何度も確認して、依頼を受けることになった。

(よくこんなバカ正直で、現代を生きているな…と我ながらびっくりする)

編集者さんは、対面で会うと背が低く、声が小さく頼りないわたしを、会った瞬間に「よかった、イメージ通りの人」と言ってくれた。

そして、まっすぐ信じてくれた。

一生足を向けて眠れないほどの恩を受け取ってしまった…。

***

本を書くプレッシャーと闘う日々が、はじまった。

4年前のわたしにも書けたんだから、きっと大丈夫。過去の自分が背中を押してくれた。

挫折したわたしだからこそ書ける「言葉」があるかもよ?と寄り添ってくれる、わたしもいた。

本を作るなら、もっとおいしく、喜ばれるレシピを載せたい。

たまねぎ茶を飲みやすく改良し、編集者さんと二人三脚で、ベジブロスよりごみの出ない活用法(=たまねぎパウダー)も考えた。

約半年をかけ、約200品のレシピが本に載り、おかげでわたしは挫折から立ち上がり、自信を少し取り戻せた気がした。

…とはいえ、本作りというのは、とてもしんどい。

だって、わたしは凡人だ。

週7日フル稼働でレシピ試作と執筆を繰り返す日々が2ヶ月続いたころ、「これ本当に終わるの…?」と、終わりが見えず早々にくじけそうになった。

ストレスか?疲労か?体のあちこちも不調に見舞われた。

目がかすんで見えにくくなったり、文字がうまく読めなくなったり、歯の激痛におそわれたり、顎関節症になったり…。

身も心も、目に見えてすり減っていった。

でも、どんなことがあっても、はじめて本を書く喜びが勝った。

一冊の本が出来上がり書店に並んだとき、これまでの疲れがすべて吹き飛ぶようだった。台風のあとのさわやかな空気に近いものを、たしかに感じた。

間違いなく、人生で一度きりの達成感。

レシピ本制作を通じて見つけた自分の言葉は、食材を余さず使い切ると、

「健康にも家計にも環境にもやさしい」
そして、「心が晴れやかになる」

喜ばしいことばかりだ、ということ。

***

本の発売から1年以上が経過した、現在。

読者さんからは…

「皮を食べてみたら、おいしかった…!」
「生ごみが半分どころか、1/3になりました!」
「皮を食べ続けたら、なぜか体重が減りました!」

と著者もびっくり横転する感想が、届いている。

本の担当編集者さんもごみが半分以下に減ったというし、著者よりも読者さんのほうが優秀なのでは??と思ってしまうほど…。

一方、わたしは著者なのに本が発売してからも生ごみが減った実感がもてず、自信のなさは相変わらずだった。

何かしていないと落ち着かず、あらゆる挑戦や勉強(地域のイベントの参加、オンラインワークショップ開催、薬膳講座の受講など)をした。

本のPRで人前で話すことも、
SNSでの発信やアピールも苦手。

今でもXのフォロワーは378人。
インスタはやっと、1,037人。

――まがりなりにも本の著者なのにこの数字、大丈夫??

ある日突然「隠居したい…!!」とnoteに書き、早期引退を匂わせ、弱音を撒き散らかしながらも、メディア露出やレシピの発信を続けた。知人・友人のXのスペースやポッドキャストに呼んでもらい、人前で話す練習も重ねた。

その結果、東京都多摩市が主催する「TAMAサスティナブル・アワード2025-2026」を、まさかの個人で、受賞。
(わたし以外の受賞はすべて、一般社団法人やNPO団体だった)

思ってもいない出来事だった。
わたしが受賞して、本当に大丈夫??
(いつまでも自信がもてない…)

受賞を機に「捨てない」のプレッシャーは加速し、ついにダンボールコンポストもはじめ、どうしても食べられない部位や食べ残しなどは土に返す習慣をはじめた。

***

そして、ある日、ついに生ごみがゼロになった。

――あれ???

使い切りも、生ごみゼロも、あんなに難しいと思っていたのに。

その瞬間は、案外あっけなかった。

ダンボールコンポストだって、もっと難しいと思っていたのに。

期待を裏切られっぱなしだ…。

野菜の使い切りですら腰の重たかったわたしが、
レシピ本を出版し、生ごみゼロの日を迎える。

人生、何があるかわからない。

***

わたしの書いた本のタイトルは、
「捨てないレシピ」という。

――その名の通り、食品ロスや生ごみを極力出さず、健康にも家計にも環境にもやさしい…そんないいことずくめのレシピ本。

食べものを生ごみとして捨てたことがない人は、いないと思う。だから、本を手にとった瞬間、それぞれがそれぞれの気持ちを持つことになる。

ある人は「家庭でちまちま取り組んでも」と打ち明けてくれたし、またある人は「時間があればやりたいけど…」という。

「わたしには青臭くて食べられなかった」という感想だって遠慮なしに届く。

いちばんよくいわれるのは、「皮を捨てるときにこじまさんの顔が浮かぶ」というセリフ。(いつも脳内にお邪魔して、ごめんなさい…!!!)

「捨てないレシピ、わかっててもできなくて」

「レシピひとつも作れてないです…」

「本を買ったけど、まだ読めていなくて…」

といわれると、さすがにちょっと胸が苦しくなった。(積読はわたしもよくするから共感しかないのだけど)

もともと(いや、今でも)めんどくさい気持ちがゼロではないし、著者のわたしだって、全員に共感してもらいたいとか、強要したいとも思っていない。

(というかそもそも、手にとってくれただけ、一瞬でも興味を持ってくれたでありがたい)

にんげんってただ生きているだけで日々やることに押しつぶされている。

明日の自分だってままならないときがある。

ごみ問題のことなんて、考えてられない。

1日3食のごはんくらい、おいしいものを食べたい、ゆっくりしたいって思うのは、至ってふつうのこと。

いちいち罪悪感を抱いていたら、身も心も、もたない。

***

とはいえ、日本の食品ロス(※まだ食べられるのに、捨てられてしまう食べもの)は今もまだ年間約464万トンもある…。

家庭ではちまちましか取り組めないというのも、その通りすぎるのだけど、食品ロスの約半分は家庭で発生しているという矛盾が気になった。

なら、ちまちまを可視化してみようと思い立った。ここでも発想の転換。

「ちまちまは無意味なの?」

「わたしにできることは何?」

「捨てないレシピがある」

「なら、やってみたら、イイじゃん!」

のノリである。
(もうバレていると思うが、わたしはM!LK推し)

本作りではひとつひとつの食材にフォーカスして、廃棄率(捨ててしまう部位の割合)を算出し、どのくらいごみが減らせるかを%で示した。

次はきっと、もっと暮らしに寄り添う現実的な数字が求められるはず…。

ある週末に、ロス削減の記録をつけてみたら、少し希望が見えた。

捨てがちなブロッコリーの茎や野菜の皮でプラス2品を作ると、238gのロス削減ができた。これを毎週続けたら、月約1kg、年約10kgの食品ロス削減になる。

1,000人が実践したら、年1トン…!?

ということは…

「捨てないレシピ」読者さん1万人で実践したら、年10トン…!!?

「トン」が積み重なれば、
国の推計値「年間約464万トン」まで動かせそうな気さえしてくる。

「トン」なんて、机上の空論と思われるかもしれない。でも、たしかにわたしの生ごみは減った。だから、不可能じゃないんだ。

捨てないレシピの可能性に、わくわくした。
このわくわくをもっと、届けたい。

本を書いたときにも気づけなかったことは、きっとまだまだたくさんある。

忙しくても週1回ならできるかも?
1、2品なら、作れるかも?

みんなのちょっとを積み上げたら、世界は変わるんだろうか。

わたしが使い切りをやってみて本を出して、賞をもらって生ごみゼロになったみたいに。だれかの小さな一歩が、社会や環境や未来を、想像以上のものに変えるかもしれない。

***

◉さいごに

このエッセイはAIを使わず、ありのまま「自分の言葉」を書いたもの。AIに書かせたらそれは自分の言葉といえるのか?も最近よく考える…。

幸いなことに、わたしが執筆をはじめたときはまだAIが普及していなかった。当時AIがあったら、そのチカラに頼ってしまったかもしれない。

いずれにしても「自分の言葉」を諦めていたら、わたしはこのnoteに、一文字も書くことはできなかった。本を出すこともなかった。

「自分の言葉=自分の人生」

わたしには、この国の400万トン以上もの食品ロスをゼロにはできない。

「捨てない」に興味がない人の心を変えるほどの、影響力もない。

でも、ただ自分の人生を生きて、言葉を届けることはできる。わたしはせめてこれからも、自分の言葉を届ける努力だけは、続けていきたい。

管理栄養士・ライター 小嶋絵美

【参考文献】
捨てないレシピ皮も種も、無駄なく使ってもう1品|サンクチュアリ出版
食品ロスとは|農林水産省
(2026/06/10参照)

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