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「わたしも、スパイダーマンなんだ」――売れない作家は、自分にそう言い聞かせる。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

――元祖『スパイダーマン』の実写映画を、おそらく24年ぶりに観た。

元祖といえば、ドラえもんの「のび太」を彷彿とさせる、冴えない眼鏡のピーター・パーカーが主人公だ。

日本公開は2002年。1991年早生まれのわたしは、当時11歳の小学6年生。映画好きの父に連れられ、家族で映画館へ観に行った。

あいまいな記憶…だったはずなのに、再生するとセリフの1〜2秒前に、次の言葉がするりと脳内に浮かぶ。

「あれ?わたし、このセリフ知ってる」

20年以上の歳月を経て、スパイダーマンの記憶はわたしの細胞や潜在意識にまで潜り込んでいたらしい。

一児の母となった35歳のわたしは、元祖スパイダーマンを、子どもが寝静まったあとの薄暗いリビングでひとり再生しながら、つぶやいた。

「……わたしも、スパイダーマンなんだ」

・・・

ある日。主人公のピーターは最強の遺伝子を持つ「スーパースパイダー」に噛まれてしまう。

具合がわるくなり帰宅後ベットに倒れ込むと、意識が朦朧とするなかでクモの遺伝子がDNAへと組み込まれていく…。

そして目覚めると、体はムキムキのマッチョ、視界はメガネが要らないほどクリア、手首から糸が出る「スパイダーマン」になっていた。

「わたしも、スパイダーマンなんだ」――大人になって久しぶりに観てそう思ったけれど、もちろん、クモに噛まれてなんていない。

ただ映画を観ただけだ。

・・・

わたしはフリーランスの料理家・ライターで、昨年、本を出す夢を叶えた。

出版不況といわれるなかで、30代での商業出版。見ず知らずの人から見たら、「順風満帆」の人生に見えるかもしれない。

でも、夢を叶えたらバラ色の人生が待っている、なんてことはなかった。

曲がりなりにも著者のひとりとなって覗き見たのは、「出版業界=魔の密林」だということ。

まさに、スパイダーマンの世界のようだった。

モンスター級の超人たちがうごめき、弱っちいわたしが一歩足を踏み外せば、あっという間に命を落としかねないほどの強い刺激にあふれている。

「本を出すのが夢」なんて、目を輝かせていたころのわたしが、どれほど無知で、幸せだったのか…と思う。

もっとも過酷なのは、「著者としての現在地」に毎晩打ちのめされることだ。ひと口に「著者」といっても、本が出た瞬間、天と地ほど運命が分かれてしまう。

重版しないとただの売れない作家、重版して1万部売れたらやっと一人前。その3倍の結果を出し、3万部でベストセラー作家。

10万部売れたら、周りがパーティーを開くほどの人気作家。本の売れない時代に100万部突破ともなると、超レジェンド級。

「重版でやっと一人前」の出版業界には超人たちがはびこっていた。加えてびっくりするくらい、本の売れない時代。

書籍全体のわずか10%しか重版できない、という情報も目にした。

そんな出版業界の密林の深い、暗いところで、うずくまっているにはきっと、わたしだけじゃないと思う。

・・・

出版依頼をもらったとき、真っ先に脳裏をよぎった「本が売れなかったら、どうしよう」という不安が、そのまま現実になってしまったら…?

「一週間で、重版しました」
「発売前に重版できました」
「おかげさまで3刷です…!」
「3万部を超え、ベストセラーになりました」

SNSに流れてくるそんなキラキラした報告を目にするたびに、「もう、だめだ隠居したい」「出版社さんにも申し訳ない」という気持ちにまみれる。

穴があれば入りたいくらい…。
そんな弱音を漏らしたとき、誰かが言った。

「出版業界ってマウントの世界」「数で殴り合う世界だ」と。

本当に、その通りだと思う。

本の売れ行きは、誰の目にも触れるAmazonランキングという数字がいちばんわかりやすい。ランキングは本の販売ページで誰でも見ることができ、その数字を偽ることも隠すこともできない。

何万部も売れている本はお金をかけてPRされ、広告が張り出され、メディアに取り上げられ……書店でもいつも山積みになっている。

いやでも目に飛び込んでくるその本は、すでに売れているほどいい本なのだから、手にとった人は迷わずレジに向かう。それで、さらに売れる……どんどん売れる。


・・・

わたしは、だめな著者かもしれない。

でも本は思うように売れないからといって、だめな本とは限らない。

そもそもわたしは著者として、売れる努力をどれだけしただろう?

100万部を売り上げたレジェンド級の著者はYouTubeもSNSも毎日のように投稿している。さらに毎月講演会をして、サイン本を手売りしている。

「重版」はわたしひとりでどうにかできるほど、簡単なことじゃない。けれど、100万部の著者がやっている努力を、わたしはやっていない。

努力をしていないくせに、比べるだなんておこがましい…。

10万部も100万部も。何もせず勝手に本が売れているわけじゃない。目に見えない誰かの努力、積み上げが、一冊一冊を動かしている…。

・・・

それからわたしは、せめてできることをやろうと、個人的なPR活動を始めた。

こんなふうに書くと、健気な努力家に見えるかもしれないけど、何もせずじっとしていることに耐えられなかっただけだ。

個人的なPR活動なんて、出版社が望むものかどうかは、わからない。そして、だれかが「がんばったね」と褒めてくれるわけでもない。

いっちょ前にひとりで抱え込んだ気になったわたしは、世の中に本を知ってもらう方法を「書籍PR」の本で独学した。本を知ってもらうきっかけをひとつでも多く作ろうと、新聞やラジオ、WEBの記事…

どんな小さな依頼も断らず、無償で取材を受け続けた。

そして、これが命がけの、修行のような日々の始まりだった――。

・・・

わたしはもともと、人前で話すのが大の苦手。

どのくらい苦手かというと、小学生のころから緊張で「場面緘黙(かんもく)」のようになったり、パニックで泣き出したりする子どもだった。

100人近くいる同級生のなかで、泣き出すのなんてわたしくらいだった。だからわたしは「話すこと」が世界一苦手なんだと、自覚していた。

今でも苦手は相変わらずだ。

メディアに出るときは、たとえるなら清水の舞台から飛び降りるような心境になる。「やるしかない!」「もうなるようになれ!」そんな気持ち。

そしていざメディアに出ると、本についてシビアな意見をもらったり、自分の容姿や声を客観的に見て落ち込んだり、トーク力がもっとあればと自己嫌悪に陥ったり…。

いつもへとへとになって帰るたび、「私は一体、何をしているんだろう」と我に返る。

「ご活躍ですね!」「最近、忙しいでしょ?」

メディアに出るわたしを目にした知人は、笑顔で声をかけてくれる。だけど、わたしはいつも、うまく笑い返すことができない。

成果はすぐに目に見えるカタチにはならない。
がんばっているのに、意味がない気がする。
何のためにがんばっているんだろう……。

もっと貢献したいのに、できない。わたしはわたしが、大嫌い。そんな「無力感」とつねに闘っている。

かといって立ち止まることもできずに、「隠居したい」とぼやきながらも歩み続けている……。

・・・

――その姿が、ニューヨークのビルの間をクモの糸で飛び回る、あの不器用なヒーローに重なった瞬間。

「わたしも、スパイダーマンなんだ」と思った。

だれかがピンチのときにいつも駆けつける。

強盗を捕まえ、事故を未然に防ぎ、火事のなかに飛び込んで子どもを救う。街の平和のために命をかけてがんばる元祖スパイダーマンだって、最初は悪党?と疑われていた。

「スパイダーマンなんて、自作自演」
「ヒーロー?それとも悪党?」

あれほどがんばっても、周囲は認めてくれない。感謝もされない。それどころかむしろ奇異の眼差しを向けられ、嫌われる。

ピーターはいつも傷つき、孤独と無力感に苛まれている。

それでも彼は、また街へと飛び出していく。自分が傷ついたとしても、目の前のピンチを放ってはおけない。

だれかの力になれないことのほうが、彼にとっては耐え難いんだ…。

映画の終盤、グリーン・ゴブリンとの闘いで満身創痍のスパイダーマンを、ニューヨークの市民たちが手助けし、口々に叫ぶ。

「スパイダーマンの敵は、ニューヨーク市民の敵だ!!」

そのひと言で、彼の孤独な闘いは、終わりを迎えた。

地道に、ボロボロになりながらも街を走り回っていた彼の姿を、見ている人はちゃんと見ていた。

わたしがやっている、交通費自腹の小さな取材対応も、びくびくしながら出演したラジオも、きっと巨大な出版業界の数字から見れば、クモの糸一本ほどの微々たる抵抗にしかならない…。

それでも、わたしは、お世話になった人たちに何の貢献もできないまま、諦めることはできない。もし、「もういいよ」そういわれても、歩みを止められないと思う。

・・・

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

そう言って、本が出てから弱音ばかりのわたしに「スパイダーマンを観て」とすすめたのは、実母だった。

わたしに、大いなる力はない。
ミジンコレベルにちっぽけで、弱っちい。

いつか、スパイダーマンのように、誰かのヒーローになれるか…は、わからないけれど。

それでもそんな弱いわたしが立ち向かうことに意味があると信じて。

今日もできることを、目の前の敵を、ひとつずつやっつけていく。

「わたしも、スパイダーマンなんだ」と、自分に言い聞かせて。

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