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【グローバルリテラシー】韓国人は、600年間包み続けている


僕の友人の韓国人は、焼いた肉をそのままでは食べません。

サンチュを一枚とって、手のひらに広げる。
肉をのせ、味噌をひと塗りし、ニンニクを一片添える。
そして、くるりと巻いてひと口。

いまでこそ見慣れた光景ですが、
25年前、初めて彼と焼肉を囲んだときは新鮮な驚きでした。

しかも彼が包むのは、焼肉だけではありません。

刺身も包む。
焼き魚も包む。
キムチも、ご飯も包む。
何を出されても、まず葉っぱを探すのです。

当時の僕に、その発想はありませんでした。
肉は肉として、刺身は刺身として味わうもの。
そう思い込んでいました。

韓国に「サム(包む)文化」があると知った瞬間でした。

故郷を包み、福を包んだ600年

この習慣はいつ始まったのでしょう。

すでに14世紀、元(モンゴル)の詩人が書き残しています。
「高麗の人は、サンチュで飯を包んで食べる」。
少なくとも600年、続いている計算です。

同じ頃、元へ連れて行かれた高麗の女性たちは、
宮廷の庭にサンチュを植え、飯を包んで食べたと伝わります。
故郷を思うための、ひと口でした。

肝心の「なぜ包むのか」は、記録から確認できませんでした。
ただ、この習慣が深く根を下ろしていったことは分かります。

18世紀。
李徳懋(イ・ドンム)という学者が書き残します。
「口に入らないほど大きく包んで、頬が膨れる醜い姿をするな」。
戒めが必要なほど、みな夢中で包んでいたのでしょう。

19世紀。
正月十五日に、菜っ葉や海苔で飯を包む風習が記録されます。
ポクサム(福裹)。福を包む、という意味です。
その年の豊作を願って、ひと口に福を閉じ込める。

包むという型が先にできて、
中身は後から入ってきました。
最初はご飯。
そこに肉が入り、刺身が入り、味噌が入った。

来るものを拒まず、
包み続けていたら、文化になっていたわけです。

では、日本はなぜ包まなかったのか

一つは、包む葉が食卓になかったから。

日本人がサラダのように葉物を生で食べるようになったのは、戦後です。
戦前は下肥(人の排泄物を肥料にする農法)が当たり前で、
生で食べれば寄生虫の心配がありました。
だから野菜は、煮るか、漬けるか。
包もうにも、葉が食卓になかったのです。

もう一つは、手が空いていないから。

日本は、茶碗を持ち上げて食べます。
置いたまま食べると、犬食いと言われる。
韓国は逆で、器を持ち上げるのは無作法とされます。
スプーンと箸で、置いたまま食べる。

包むには、両手が要ります。
韓国人の両手は空いている。
日本人の左手は、茶碗でふさがっている。

サムが根付く環境が、日本にはなかったのです。

「余白」は、日本文化だけのものではない

サムは、最後に余白をくれます。

サンチュにするか、エゴマの葉にするか。
味噌をどれだけつけるか。
ニンニクや青唐辛子を入れるか、入れないか。
ひと口をどのくらいの大きさにするか。

決めるのは料理人ではなく、食べる人。
料理は厨房では終わらず、
食卓の上で、各自の手の中で完成する。

手巻き寿司を思い浮かべれば、日本の食にも余白があります。
食文化以外に目を向ければ、俳句も枯山水も行間を読む感性もそう。
「余白」は日本文化の代名詞ですが、
日本だけのものではありません。

サムは、料理人との共同作業。
食卓で開かれる、小さなワークショップです。
だから味覚だけでなく、記憶にも残るのでしょう。

600年前はご飯でした。
いまは肉も刺身もキムチも入ります。
次に何が入ってきても、
サムはきっと拒まずに受け入れるでしょう。

そして、この25年。
かつて珍しかった光景は、見慣れたものになりました。
両国を「近くて遠い国」とも言わなくなりました。
距離が縮まったのだと思います。
うれしい変化です。

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