【日本リテラシー】ハローキティに口がないのは、あなたのためだった
先日、浅草に住んでいた頃の友人を訪ねました。
高橋さん夫婦。奥さんは韓国人で、お子さんが二人います。
久しぶりの再会で、一緒に食卓を囲みました。
来年小学生になる下の女の子が、宝物を見せてくれました。
ご当地キティのコレクションです。
京都の舞妓さん、大阪のたこ焼き、沖縄のシーサー。
箱にぎっしり、30体以上。
ちょっとした標本箱のようでした。
「よく集めたねえ」と感心していると、
横にいたお父さんが、こう言ったのです。
「おだじさん、知ってました? キティって、元々はイギリス生まれらしいですよ」
え、と思いました。
日本のネコじゃなかった
ハローキティといえば、おそらく日本で一番有名なネコです。
サンリオは日本の会社。だから当然、日本生まれだと思っていました。
その「カワイイ」の代名詞が、まさかのイギリス生まれ。
調べてみると、本当でした。
公式設定では、彼女はロンドン郊外の生まれ。
名前も Kitty White。れっきとしたイギリスの女の子です。
日本生まれでないどころか、公式には、そもそもネコですらないのだそうです。
なぜ、イギリスなのか。
キティが世に出た1970年代、日本にはロンドンをはじめ、西洋への強い憧れがありました。
その空気を映して、彼女は「イギリスの女の子」として生まれたのです。
では、なぜ女の子をネコの姿で描いたのか。
じつは、ここははっきり語られていません。
ただ、当時のサンリオは動物の愛らしさでファンシー雑貨を広めていました。
ネコは、その王道だったのでしょう。
口がないのは、あなたのため
それにしても、と思うのです。
なぜキティは、これほど誰からも愛されるようになったのか。
そこには、まるで先を見通していたような設計がありました。
キティの顔を思い出してみてください。
目と、鼻と、ひげ。でも、口がありません。
だから、うれしいときは笑って見え、悲しいときは泣いて見える。
見る人の気持ち次第で、どんな表情にもなるのです。
長年キティを担当したデザイナーは、口を描かないのは、見る人が自分の思いを重ねられるようにするためだと語っています。
感情を、あえて固定しない。
言ってみれば「余白」を残したわけです。
だから、まっさらだったキティが、いつのまにか「私の」キティになる。
まっさらだから、我が町の顔になる
この余白は、もうひとつの力を生みました。
ご当地キティです。
始まりは1998年、北海道限定の「ラベンダーキティ」。
紫の花畑をまとった一体がヒットすると、各地がこぞって続きます。
青森はりんご、名古屋はエビフライ、博多は明太子。
その土地の名物を着せるほど、キティはその土地の「顔」になっていきました。
やがて、舞台は日本を飛び出します。
ニューヨークでは自由の女神になり、
パリではエッフェル塔を背負い、
韓国では韓服に袖を通す。
その数、世界で3000種類以上。
多すぎて、正確には誰も数えられないそうです。
こうして、まっさらだったキティは、「我が町の」キティになりました。
おわりに ── 異国の種が、ご当地の花になる
考えてみれば、これは今に始まったことではありません。
日本はずっと、外から来たものを自分のものにしてきました。
漢字も、仏教も、洋食も。
異国の種がこの国の各地に根を下ろし、やがてご当地の花として咲く。
キティは、その一番かわいい最新形です。
イギリス生まれの、ネコに似た女の子。
それが日本を代表するキャラクターになり、
口を描かなかったおかげで、世界じゅうの誰もが自分だけのキティを見つけられる。
設計力でしょうか。翻訳力でしょうか。
それとも、洞察力か、編集力か。
ハローキティのカワイイ顔をまじまじと眺めながら、
日本が見せたこの力を、何と呼べばいいのだろうと、
わたしは今も、真剣に考えています。
あなたなら、何と名づけますか。
