noteを1か月毎日投稿した100日チャレンジの途中
noteを始めて1ヶ月が過ぎた。
午後17時までに投稿することを目標にし、午後の眠気に耐えつつキーボードに向かっている。
飽きっぽい自分をてなづけるために100日投稿すると宣言した。どうせ続かないだろうと自分が一番疑っていたものの意外に1か月はあっという間だった。
30日毎日投稿すれば、「何かが見えてくるのでは」という期待は、霧のように消えていった。
期待なんていうものが、現実の前でどれほど脆いものかを思い知らされる。
本棚に並ぶ文章術の本たちは無言の証人として私の迷いを見つめている。
「実践せよ」との圧力。けれど理論と実践の間には、深い谷が横たわっている。
Webライターへの挑戦は、3日という短い命で終わった。クラウドソーシングのサイトで眺めた無数の案件たち。選び抜いたはずの初心者案件はきな臭かった。
過去の記憶を掘り起こそうとする試みも、また挫折に終わった。記憶の扉は重く、錆びついている。その向こうにある痛みや喜びと向き合うには、まだ私は準備ができていない。
自分自身を受け止めるということの困難さを、改めて思い知る。
こんな記事も書いて過去と向き合ったが重すぎて有料にしてしまった。
それでも、小さな一歩は踏み出した。
公募への応募だ。
キャッチコピーや短いエッセイに託した想い。
テーマを持って書くのは難しくも愉しい。
投函した封筒の重みは、希望の重み。結果がどうであれ、行動することの意味を噛み締めている。
図書館で借りる本は文章術の本ばかりになっていた。司書の方の笑顔と共に手渡される本たち。これもまた活かせてない。
変化は確かに微々たるものである。けれど、微細な変化こそが、やがて大きな変革の礎となるのではないだろうか。
今の小さな努力が未来の私を形作っていく。
100日という数字の魔力を信じている。それは単なる時間の経過ではなく、鍛錬の期間であってほしい。
毎日文章を紡ぐということは、自分自身と対話し続けることに他ならない。
時には苦しく、時には喜びに満ちたその対話を通じて、私は変わっていけるだろうか。
強制力という言葉には、冷たい響きがある。しかし、100日書くぞと宣言した強制力が、私の怠惰な心を律してくれる。
約束という名の鎖に繋がれることで、逆説的に自由を手に入れるのかもしれない。
淡い期待を抱きながら、今日もまた書く。午後のリビングに響くキーボードを叩く音。
その音は、まるで心臓の鼓動のようだ。生きているという証拠。書き続けているという証拠。そして、変わり続けているという証拠。
1ヶ月はあっという間だった。しかし、その短い時間の中に込められた意味の深さを、私は今、ようやく理解し始めている。終わりのない旅路の、まだほんの始まりに立っている。
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