VR演劇は誰が演じているのか──アバター文化とVTuber
メタバースで上演される演劇──「VR演劇」。
そこには、現実の演劇では見られない、不思議で自由な表現のかたちがあります。
VTuber文化やアバター文化と交差しながら生まれる、新たな「演じる」のかたちとは?
※本noteでの「VR演劇」とは、メタバースなどのインターネット上の仮想空間で行われる演劇のことです。VR機器やPCを通じて上演され、観客もアバターとして観劇する舞台形式の総称として用いています。
1)VR演劇に見る「演じる」ことの多層性
VR演劇の最大の特徴は、役者が「アバター」であること。つまり、舞台上に立つのは現実の人間の身体ではなく、VR空間に存在するデジタルの姿です。
極端に言えばアニメや特撮のように、アバターと声が別の役者でも成立します。(実際に合わせるのは結構大変ですが。)
そして、ちょっと「メタい」話になりますが、VR演劇界には、一人の人間が異なる人格で複数の名義を使い、まるで別人として役者やスタッフを務める場合があります。
また、ボイスチェンジャーや女性アバターを使って活動する、いわゆる「バ美肉(=バーチャル美少女受肉)」の役者もいます。彼女らは現実には男性であっても、周囲からは“女性の役者”として自然に受け入れられ、演劇の中でも女性のキャラクターを演じることが多いです。
つまり、「演じる」という行為が二重にも三重にも折り重なる、不思議な現象が起きているのです。現実の演劇ではまず見られない、VRならではの構造です。
もちろん、現実の演劇にも劇中劇やジェンダーを超えた演出は存在します。ただ、VRではそれがアバターや複数の名義を通じて、より日常的かつ柔軟に行われているのが特徴です。
もっとも、それぞれの人格を「自分の一部」として扱っている人にとっては、「二重に演じている」という意識がないこともあります。でも、外から見ると、VRならではの二重演技の構造が浮かび上がってくるのは確かです。
演技とアイデンティティの境界が曖昧になっていく、この自由さは、VR演劇ならではの大きな魅力です。こうした複層的な「演じる」行為が、VR空間では受け入れられています。
2)VR演劇に溶け込んだVTuber文化
アバターを通じてキャラクターとして振る舞う文化は、「VTuber」が代表的です。VR演劇の中には、この文化がごく自然に溶け込んでいます。
たとえば、座長・ききょうぱんださんをはじめVTuberの在籍メンバーが多い「ぱんだ歌劇団」の舞台は、わかりやすい事例です。興味のある方は、ぜひ公演アーカイブをのぞいてみてください。
※追記:「ぱんだ歌劇団」は2025年7月29日に活動終了されました。
そして観客もまた、この構造を自然に受け入れています。もはや疑問を抱く人も、違和感を表す人もほとんどいないでしょう。
3)VTuber文化とアバターの暗黙の了解
VTuber文化では、基本的に「中の人」について語るのはタブーとされます。(もちろん、本人が公にしている場合は例外です。)
メタバース空間でも同様に、アバターを使った匿名性の高いコミュニケーションが行われています。リアルな性別や外見、年齢といった情報にあえて触れようとはしないのが普通です。本人が語らない限り、そこには立ち入らないというのが暗黙の了解です。
こうした「リアルのステータスに縛られない自由さ」は、メタバースの大きな魅力のひとつと言えるでしょう。もちろん、考え方には個人差がありますが、これは広く共有されている感覚だと思います。
4)VTuber≠メタバース? その違いと重なり
VTuberに象徴されるアバター文化が、メタバース上のVR演劇に影響を与えているのは確かです。しかし、だからといって「VTuber=メタバース」というわけではありません。
確かにメタバース空間にはVTuberも多く存在しますが、VTuberではない「バーチャル一般人」が大半を占めています。アバター姿で3D空間にいるからといって、配信をしたり、歌や踊りを披露したりする必要はありません。逆に、それらをしていても、自分がVTuberと名乗らなければVTuberではありません。
VR演劇の舞台に立つ役者や、それを鑑賞する観客だって、VTuberの人もいれば、VTuberでない人もいて、混在しているのです。
このあたりの感覚は、メタバースを実際に体験していないと理解しにくいかもしれませんが、アバター文化がいかに多様で、線引きの難しいものであるかが、ここに表れています。
5)境界に立つVR演劇
さて、そうした「バーチャル一般人」が皆、VTuber文化に造詣が深いかというと、そうとは限りません。メタバースで日々過ごしていても、VTuberはほとんど知らない、観たことない、という人もいます。
むしろ最近のメタバースにおいては、リアルとバーチャルを地続きに捉える感覚が強まりつつあり、これはVTuber文化の匿名性重視の傾向とは異なる部分です。
それでも、VR空間で行われる演劇において、目の前の役者を指して「現実で“誰”が演じているのか」「“中の人”は何者か」といったメタな構造に、わざわざ突っ込むような観客はメタバースではあまり見かけません。
それは、メタバースという土壌に、アバターの存在そのものをひとつの人格として認識する考え方が根づいているからだと思います。
「中の人」は“暴く”ものではなく、“滲む”ものです。声のトーンや呼吸、仕草、表面に出るすべての一挙一動は、その人の魂なのです。
VTuberとバーチャル一般人。演技と素。その間には明確な線引きはなく、グラデーションがあります。VR演劇は、その曖昧な境界の中で、独自のポジションを築いています。
VTuber文化の匿名性やアバター文化の自由度が、演劇の文脈と重なることで、メタバースにおける表現の幅を大きく広げているのです。
6)VR演劇は単なる演技の場ではなく、文化の交差点
メタバース上で行われるVR演劇は、ただ物語を語るための舞台ではありません。
中には、役者だけでなく観客のアバターまでもを舞台に巻き込むような試みもあります(こちらは、別のnoteで改めて紹介したいと考えています)。
それはVTuber文化やアバター文化、メタバース文化といった複数のレイヤーが交差する、新しい表現の場です。
この新しい表現の場は、ゼロから生まれたというよりも、現実の演劇やインターネット文化が持っていた要素を受け継ぎながら、それらが複雑に混ざり合うことで成立していると言えるでしょう。
「演じる」ことそのものの意味、ひいては「在り方」や「生き方」を問い直し、リアルでは実現できない自由な表現を模索すること──それこそが、今のVR演劇の面白さであり、未来を感じさせる部分でもあるのです。
※サムネイル画像:「ぱんだ歌劇団/おむすびころりん」clusterにて撮影(https://www.youtube.com/live/IAcy-124eNg?si=dEg_hkevKD0BuBxo)
※「VR演劇」という呼称に対しては、さまざまな立場やご意見があるかと思いますが、ここでは一般的な意味合いでまとめて「VR演劇」と表記することをご容赦いただけますと幸いです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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