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二つの人格を持つ私が『フレネミー』によってXをやめた話

このお話は、インターネットで活動する私が捨ての人生を選ぶまでを濃縮した、自己紹介替わりの文章です。


私は誰か

私は二つの人格を使いこなしている黒子のような存在である。
分かりやすく説明すると、現代の人気職業、VTuber兼イラストレーターとして活動する者。
二つの名義を使って異なる活動をしているだけに過ぎないのだが、
私はこの二つの違いをやけに重要視していた。

あっちの私はやさしくて、あっちの『わたくし』はエンタメが好き。
なんて風に、イマジナリーフレンドをつくる子供のように遊んでいた。

二人で一人?

そんなある日、二人の性格は同じだよと視聴者に指摘された。
他にもたくさんの批判を浴びたが、それが一番効いた。
私は深く傷ついた。
あの子と私が同じなはずがない。
あの子は魅力的で誰からも愛される存在なんだ。
この人は私を傷つけるモンスターなんだ。
そう思って、実際にその人と逢うことにした。

駅で待ち合わせをして、なんてことのない普通の人間がそこに立っていた。
いたって普通の人間、都会のイベントに浮かれてしまうような、こちらの体調を気遣ってくれるような、只の人間に過ぎなかったのだ。

なんだ、私が一人大げさに痛がっていただけだったのか。
その日を境に、私はVTuberとしての自分とイラストレーターとしての自分を同一視し始めるようになった。
そして、VTuberとして使用していたXアカウントを削除した。

人との付き合い

その後もイラストレーターとして、インターネット上で人との付き合いは続いていた。
VTuberとしても様々な人と出逢えたが、イラストレーターとしても様々な人と出逢うことができた。
人と付き合い、人と話すのは楽しかった。
それでも私は、桃の表面のようであった。
人と話すときに、人格を否定されたり、蔑むようなことをなんの前触れもなく言われてしまえば、また前回と同じように相手をモンスターだと思ってしまうのだった。

そこで私はある一つの言葉に辿り着く。
『フレネミー』である。
フレンド(友)とエネミー(敵)を合わせた言葉で、友のフリをした敵のことである。

その言葉を知って、私はとある考えが頭をよぎる。
普通は会話の中で、相手の人格を否定したり罵詈雑言を浴びせたりしないのでは? と。

フレネミーに気づいた後

気づきを得た私の行動は早かった。
自分の悪口を直接言ってくる人は全員関係を断ち切った。

自分の人を見る目のなさが怖くなって、Xに自分の考えを発信するのが怖くなった。
自分がXの投稿画面の前で震える手を押さえていたことに気づいた時、私はイラストレーターとしてのXアカウントも削除していた。

そこからの私は捨ての人生だった。
LINEのフレネミーであるフレンドも全て削除したし、お片付け本を読んで部屋のたくさんの物を捨てた。

それからの生活

Xをやめ、物を捨て、人とも物とも関係が薄れてしまった私。
寂しさをうめるようにVTuberとして動画を作ったり、イラストレーターとして絵を描いたり、以前より活動に割く時間が増えていった。
それ以外にも、学生時代本の虫であった私が、徐々に蘇り始めていた。
一日一時間、紙の本を読むことが苦痛ではなくなっていた。

Xを初めてからというものの、私の人生はずっとスマホとパソコンの中にあった。
Xをやめたら、私のすべてがなくなってしまう。
本気でそう思っていた。

でも実際には、X上でのやりとりがなくなり、人との会話がほとんどなくなったくらい。

今後禁断症状がでるかもしれないし、なんらかの形で報いを受けるかもしれない。
それでも私は、濁流のXより、川のせせらぎを楽しめるような場所で、
自分を表現したい。

そう思ってこのnote記事を綴るのであった。

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