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僕がシドニーで店を開くまで:ビザ・英語・仕事探し、全部話します ,①


SYD

このブログでは、僕が日本を出てから約15年の道のりを、できるだけ具体的に、良いことも失敗も含めて書いていきます。最初の投稿では「なぜ海外を選んだのか」「なぜシドニーで店を開いたのか」をざっくりお話ししましたが、ここからはもう少し深掘り。ビザや英語の壁、ローカルでの仕事探し、働き方や収入の現実、開業準備や集客、スタッフ採用、家族との生活まで、実体験に基づいて等身大で綴ります。

これは“正解”のマニュアルではなく、あくまで一人の美容師のやり方・考え方の記録です。日本にいながら「いつか海外で働いてみたい」「自分の店を持ちたい」と思っている方に、「こういうやり方もあるんだ」と感じてもらえる一つの材料になれば嬉しいです。ヒントになりそうな具体例や、いま振り返って「こうした方が良かった」と思うポイントも、包み隠さず書いていきます。

肩の力を抜いて読める“現場のノート”として、ゆっくり更新していきます。次回からは、到着~ファーム~進路の転機、そしてメルボルンでの挑戦へ。どうぞ気楽にお付き合いください。

僕が初めてオーストラリアにやってきたのは2010年。今から15年前、28歳の時のことです。


サーフィンを始めてから「いつか海の近くで自分の店を持ちたい」という夢を抱くようになりました。そして、インドからの3ヶ月バックパッカーの旅を終えたある日世界地図を眺めていて「サーファーズパラダイス」という地名を見つけたとき、「これはもう運命だ」と思ったのを今でも覚えています。名前からして完璧。ここで店を出そうと決めたのがすべての始まりでした。


当時東京で美容師をしていた僕は、幸運にもお客様のつながりでゴールドコーストにお店を持つ方を紹介してもらいました。それをきっかけに連絡を取り合うようになり、「ビザが必要」ということを初めて知ります。英語は全く話せず、海外で暮らす知識もゼロ。けれどワーキングホリデービザがまだ取れる年齢だったこともあり、とにかく勢いだけでオーストラリア行きを決めました。



Gold Coast


ゴールドコーストでの最初の日々


ゴールドコーストに降り立った僕を迎えてくれたのは、日本人スタッフの多いサロン。右も左も分からない僕にとって、そこはとても温かい場所でした。スタッフ同士の仲も良く、みんなで前を向いて進んでいる。数ヶ月間そのお店で働かせてもらったことは、今でも良い思い出です。


ただ、そこで働いているうちに「このままでは永住につながらない」と知り、セカンドワーキングホリデービザを取るためにファームに行くことを決意しました。



Farm Job

ファームでの葛藤


行き先は、ゴールドコーストから車で40〜50分ほど山を登ったところにある農家。週5日その家で働き、週に1〜2回はサーファーズに戻って海へ行く、そんな生活が始まりました。


でも正直に言うと、毎日フラストレーションだらけでした。美容師として技術を磨きたいのに、気がつけば畑仕事に、動物たちの世話。オーストラリア人のお家にステイしながらの仕事だったので家賃0。食費0の代わりに家の掃除や子供達の世話まで。28歳という年齢で「夢に向かって進みたい」と焦る気持ちと、現実のギャップに悩む日々でした。


「英語漬けの3ヶ月にすれば、きっとすぐ伸びるはず!」と当初は期待していましたが、これも思った以上に難しかった。性格的に「間違えるのが恥ずかしい」と思ってしまい、自分から言葉を発することができなかったんです。夜ご飯は家族全員でのご飯。毎回1人ずつ今日の出来事で良かったことと悪かったことを話すんです。何を話すか辞書を開き文章にして暗記してました。<その家族は男の子が3人。5歳8歳12歳。>
覚えが悪くよく5歳の子に笑われていた思い出があります。
せっかくフレーズを覚えても、実際の会話では場面が合わず、結局使えない。頭の中で完璧な英文を作っているうちに、会話のチャンスを逃してしまう。そんな繰り返しでした。あの時は、覚えたセンテンスをそのまま使おーとばかり考えていました。



ベンチでの会話


それでも3ヶ月のファーム生活を終え、再びゴールドコーストに戻るときが来ました。当初の予定ではそのままサロンに戻るはずでしたが、心の中には「もっと英語の環境に身を置かないと、このままでは変わらない」という思いが強くなっていました。日本語を使わない環境にしないと英語が喋れるようにならない。


迷った僕は、ある日サロンのオーナーに相談しました。忙しい中、オーナーは時間を割いてくれて、お店の前のベンチで一緒に腰掛けながら話を聞いてくれました。そのシーンは、今でも鮮明に記憶に残っています。


僕は正直に「実はバイロンベイで日本人美容師を募集しているお店から声をかけてもらっていて、そこで働こうと思っている」と伝えました。するとオーナーは静かに、けれど真剣な表情でこう言いました。


「Koji、もし英語を学ぶのにローカルで働きたいなら、バイロンベイじゃ小さすぎる。バイロンベイで働くのはもっと先だよ。今はもっと大きな街に行った方がいい。シドニーかメルボルンに挑戦してきな。」


その言葉を聞いた瞬間、僕の中で迷いが吹き飛びました。素直な性格なので、オーナーの言葉をそのまま受け止め、バイロンベイで働く話を断ることを決めました。


Melbourne


メルボルンへの決断


ではシドニーか、メルボルンか。どちらも行ったことはなく、知り合いもいない。けれど、なぜか「メルボルンの方がオシャレらしい」という噂をどこかで耳にしたことがあり、その理由だけでメルボルン行きを決めてしまいました(笑)。


誰も待っていない街に飛び込むのは不安もありましたが、「迷わず行けよ行けばば分かるさ」という気持ちでチケットを取り、そのまま2年目のワーキングホリデーをメルボルンで過ごすことにしました。


今振り返れば、あのベンチでの会話がなければ、僕はバイロンベイで働いていたはずです。そうなっていたら、きっと今とは全く違う人生を歩んでいたでしょう。だからこそ、あの日のオーナーのアドバイスは、僕の人生における大きなターニングポイントだったのです。


Melbourne編へ 続く

https://www.instagram.com/kokotokyo_0117/


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