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生きるということは、

自分の持っている時間を、
何かに変えていくことだと思う。

人には、
産まれてから死ぬまで、
時間というものがある。

これは、誰にでもある。

長いとか、短いとか、
そういう違いはあるけれど、

それはたぶん、
あとからわかる結果でしかない。

今日も明日も、
当たり前に続くような気がしているけれど、

本当は、
そんな保証はどこにもない。

急に終わることだってある。

だから、

今、この瞬間に生きているということ。

今、この瞬間に何をするかを選べるということ。

今、この瞬間を、
どんなふうに感じて生きるか。

そこについては、
たぶん、みんな平等なんだと思う。

では、

産まれてから死ぬまでの間にある、
この時間を、

あなたは何に変えたいですか?

何に変えたいと思うか。

何に変えていくのか。

これは、自由に選ぶことができる。

人の喜び。
自分の欲求。
お金。
誰かとの時間。
人からの評価。
怒り。
悲しみ。
感動。
安心。
信頼。
愛情。
思い出。

何に変えてもいい。

自分で決めることができる。

たとえば仕事。

あなたが仕事に使った時間は、
何かに変わっている。

目の前のお客さんの安心かもしれない。
誰かの「助かった」かもしれない。
誰かの生活の一部かもしれない。

スーパーに並んでいる野菜も、
誰かの時間が形を変えたものです。

朝早く起きて、
土を見て、
水をやって、
天気を気にして、
収穫して、
運んで、
並べてくれた人がいる。

僕たちはそれを、
ただ「野菜」として買うけれど、

その背景には、
たくさんの人の時間がある。

コンビニで買うおにぎりもそう。

レジを打ってくれた人。
商品を運んだ人。
米を作った人。
海苔を作った人。
パッケージを考えた人。
夜中に工場で働いていた人。

そういう人たちの時間が、
一つのおにぎりになっている。

そう考えると、
世界は物でできているように見えて、
本当は人の時間でできているのかもしれない。

道路もそう。

何気なく歩いている道も、
最初からそこにあったわけじゃない。

誰かが設計して、
誰かが土を掘って、
誰かが汗を流して、
誰かが危なくないように考えて、

今、自分がそこを歩いている。

今見えている世界は、
過去の誰かの時間が、
形を変えて残っているものだと思う。

だから仕事というのは、
ただお金をもらうためだけのものではないのかもしれない。

もちろん、お金は大事です。

生活するために必要だし、
自分を守るためにも必要です。

でも、

自分の時間を仕事に使うということは、
自分の時間を、
誰かの世界の一部に混ぜることでもある。

自分がやった小さな仕事が、
誰かの一日を少し楽にすることがある。

自分がかけた一言で、
誰かが少し安心することがある。

自分では大したことないと思っていることが、
誰かにとっては、
今日を越えるための支えになっていることもある。

たぶん、ある。

見えないだけで。

そして、仕事で得たお金も、
また別のものに変わっていく。

そのお金で、
誰かにプレゼントを買えば、

それは誰かの喜びに変わる。

自分の好きなものを買えば、
自分の心を満たすものに変わる。

家族とご飯を食べれば、
そのお金は時間の共有に変わる。

誰かを助けるために使えば、
そのお金は安心に変わる。

だから、
お金の使い方には、
その人の生き方が出ると思う。

何に価値を感じているのか。
何を大切にしたいのか。
誰と、どんな時間を持ちたいのか。

そういうものが、
けっこう出てしまう。

たとえば勉強。

勉強に使った時間も、
何かに変わっていく。

テストの点数に変わることもある。
資格に変わることもある。
仕事に変わることもある。

でも本当は、
それだけじゃない。

自分が何かを学ぶことで、
見える世界が少し変わる。

今までただの空だったものが、
雲の流れに見えるかもしれない。

ただの言葉だったものが、
誰かの痛みに聞こえるかもしれない。

ただの問題だったものが、
誰かを助ける方法に見えるかもしれない。

勉強というのは、
自分の中に道具を増やすことでもある。

その道具は、
いつか自分を助けるかもしれないし、
誰かを助けるかもしれない。

困っている人に出会ったとき、
「あ、これなら自分にもできるかもしれない」
と思えることがある。

そのとき、
過去に勉強した時間が、
目の前の人の安心に変わる。

そう考えると、
勉強は未来への投資というより、
未来の誰かとの関係性に向けた準備なのかもしれない。

自分のために学んでいたことが、
いつか誰かのためになる。

そういうことがある。

すぐにはわからないけれど。

人生は、
そういう伏線みたいなものでできている気がする。

あのとき読んだ本。
あのとき出会った人。
あのとき言われた言葉。
あのとき失敗したこと。
あのとき悔しかったこと。

そのときは意味がわからなくても、
あとになって急に、
「あれはこのためだったのかもしれない」
と思うことがある。

もちろん、
すべてに意味があるとは言わない。

そんな綺麗な話でもない。

意味なんて見つからない出来事もあるし、
ただ苦しいだけの時間もある。

でも、

自分が今どう生きるかは、
未来のどこかで、
何かの伏線になるかもしれない。

自分が今日使った時間が、
未来の自分を助けるかもしれない。

未来の誰かを助けるかもしれない。

あるいは、
誰かの中に小さく残るかもしれない。

そう考えると、
時間を何に変えるかという問いは、
自分だけの話ではなくなる。

自分の時間を、
世界のどこに混ぜたいのか。

誰との間に残したいのか。

何の背景になりたいのか。

そういう問いになる。

人は、
自分ひとりで生きているようで、
本当はたくさんの人の時間の上に生きている。

今住んでいる家も、
誰かが作った。

使っている言葉も、
昔の誰かが残した。

考え方も、
価値観も、
好きなものも、
誰かの影響を受けてできている。

自分という存在も、
完全に自分だけでできているわけではない。

親。
友達。
先生。
本。
映画。
出会った人。
嫌いだった人。
優しかった人。
傷つけてきた人。
助けてくれた人。

そういう人たちの影響が混ざって、
今の自分がいる。

そして今度は、
自分も誰かに影響を与えている。

自分では気付かないくらい、
小さな影響かもしれない。

でも、
たぶん、与えている。

何気なく言った一言が、
誰かの中に残ることがある。

自分が楽しそうにしている姿を見て、
誰かが少し救われることがある。

自分が黙って隣にいるだけで、
誰かが孤独じゃなくなることがある。

そういうことは、
数字にはならない。

評価にもならない。

お金にもならないかもしれない。

でも、
それもたしかに、
自分の時間が何かに変わった瞬間だと思う。

人の価値は、
成果だけでは決まらない。

どれだけ稼いだか。
どれだけ認められたか。
どれだけすごいことをしたか。

それも一つの形ではあるけれど、
それだけではない。

その人にしか見えない世界がある。

その人にしか気付けない痛みがある。

その人にしか拾えない言葉がある。

その人にしか感じられない美しさがある。

そういう視点があるから、
世界は少し立体になる。

同じ空を見ても、
人によって違う。

ある人は、ただの天気だと思う。
ある人は、懐かしいと思う。
ある人は、明日の仕事を考える。
ある人は、亡くなった誰かを思い出す。

同じ空なのに、
見えている世界は違う。

だから人は、
世界に奥行きを与える視点なのだと思う。

ただ存在しているだけで、
世界の見え方を少し変えている。

そう考えると、
生きる意味というのは、
どこか遠くにある大きな使命みたいなものではないのかもしれない。

もっと日常の中にある。

朝、誰かに挨拶すること。
ご飯を作ること。
仕事に行くこと。
本を読むこと。
誰かの話を聞くこと。
泣くこと。
笑うこと。
悩むこと。
立ち止まること。

そういう一つ一つが、
自分の時間を何かに変えている。

そしてその何かは、
自分の中だけではなく、
誰かとの間にも残っていく。

心は、
自分の中だけにあるものではないと思う。

感情だけが心ではない。

信頼とか、
愛情とか、
共感とか、
感動とか、

そういうものは、
人と人との間で育つ。

誰かとの時間の中で生まれる。

一人では作れないものがある。

自分の時間を誰かと共有したとき、
そこに心みたいなものが生まれる。

それは、
目には見えないけれど、
たしかにある。

感動もそうだと思う。

感動は、
ただ外から与えられるものではない。

映画を観て泣くとき、
音楽を聴いて動けなくなるとき、
誰かの言葉に救われるとき、

それはたぶん、
作品の中にあった誰かの心と、
自分の中にあった何かが出会った瞬間なんだと思う。

過去の自分の経験。
言えなかった言葉。
忘れていた寂しさ。
大切にしていたもの。

そういうものが、
目の前の出来事と結びついたとき、
感動が生まれる。

だから感動も、
人と人との間にある。

自分の時間が、
誰かの心に触れることがある。

誰かの時間が、
自分の心に触れることがある。

生きるというのは、
そういう交換の連続なのかもしれない。

自分の時間を、
何かに変えていく。

そして、
その何かがまた、
誰かの時間に影響を与えていく。

そうやって世界は、
たくさんの人の時間でできている。

たくさんの人の選択でできている。

今、目の前にある世界は、
過去の誰かの伏線回収なのだと思う。

そして、
今の自分は、
未来の伏線になっている。

だからもう一度、聞きたい。

自分の生きている時間を、
何に変えたいですか?

人の喜び。
自分の欲求。
お金。
誰かとの時間。
人からの評価。
怒り。
悲しみ。
感動。
安心。
信頼。
愛情。
思い出。

何に変えてもいい。

良い悪いも、
簡単には決められない。

周りが決める良い悪いもある。

社会が決める正しさもある。

でも、
自分の時間を何に変えたいのかは、
最後は自分で見つけるしかない。

人によって違う。

顔が違うように、
性格が違うように、
見えている世界が違うように、

変えたいものも違う。

自分の欲求を満たすことに、
時間を使いたい人もいる。

それも、その人にとっては大事なこと。

誰かの喜びのために、
時間を使いたい人もいる。

それも、その人にとっては大事なこと。

何かを作りたい人もいる。

守りたい人もいる。

知りたい人もいる。

愛したい人もいる。

ただ、静かに暮らしたい人もいる。

どれが上とか、
どれが正しいとか、
そういう話ではない。

ただ、

自分は何に時間を使うと、
少しだけ世界が愛おしく見えるのか。

ここは、
考えてみてもいいと思う。

愛というのは、
恋愛だけではない。

世界の背景にいる人たちに気付いたとき、
少しだけ世界が違って見えることがある。

道路を見て、
誰かの仕事を感じる。

ご飯を食べて、
誰かの時間を感じる。

言葉を受け取って、
誰かの心を感じる。

そういう瞬間に、
世界そのものが少し愛おしくなることがある。

自分はその世界の中で、
何に時間を変えていきたいのか。

何を残したいのか。

誰との間に、
どんな心を育てたいのか。

それが、
生きる意味に近いものなのかもしれない。

自分の生きる意味が何なのか。

つまり、

自分の時間を何に変えていきたいのか。

これを知らないまま時間を過ごすことは、
大海原に浮かぶ舟で、
ただがむしゃらにオールを漕ぐことに似ている。

漕いでいる。

頑張っている。

でも、
どこに向かっているのかはわからない。

もちろん、
それでも進んでいることはある。

迷いながらでしか見えない景色もある。

だから、
迷うことが悪いわけではない。

ただ、

自分の時間を何に変えたいのかが、
少しでも見えてくると、

それはコンパスのようなものになる。

完璧な地図ではない。

正解を教えてくれるものでもない。

でも、

「あっちではない気がする」
「こっちに進みたい気がする」

それくらいは、
わかるようになる。

それで十分なのかもしれない。

さあ、

自分の時間を、
何に変えて生きていきたいですか?

その答えは、
すぐに出なくてもいい。

変わってもいい。

昨日と今日で違ってもいい。

でも、
その問いを持って生きること。

それ自体が、
もう生きる意味に近づいていることなのかもしれない。

あなたの人生は、
今、この瞬間に、
どのような選択をしたかで出来上がっている。

そしてその選択は、
未来のどこかで、
誰かの世界に混ざっていく。

もしかしたら、
自分でも気付かないところで。

今日のあなたの時間は、
何に変わっていくのだろう。



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