選択で生きるか、反応で生きるか?
選択か反応か。
なんのこっちゃと思うかもですが。
私たちの目の前におこる出来事って、生きていれば日々たくさんありますよね。
人はそこに対して、その都度いろんなことを感じて、行動をおこしていくわけなのですが。
その行動の下には、起こったことに対してその人が「反応しているのか」「選択しているのか」というベースがあるんですよ、という話です。
まぁ、どこの視点からの選択をするかすらも選んでいるんですが、まずは選択か反応か、について。
先日友人が「仕事上でトラブルに巻き込まれてさ、ちょっときいてくれん?」と連絡してきましてん。
お?ネタになるかな?なんだろ??と聞いてみることに。
実は、彼女が請け負っている仕事の中で「〇〇についてちょっと知りたい、あなたのほうが先方に詳しいので、お手数だが聞いてほしい」頼まれたことがあり、それに対して動いたら同じ部署の人から「こちらの都合も聞かずに一人で勝手に話を進めるとはどういうこと?」と怒られたのだそうです。
いくら何でもおかしいとおもわん?どうおもうよー?という相談でした。
そ、それはおかしいねぇ(;^_^A
で、彼女はそれに対してどう行動しようかと悩んで連絡をくれたのですが。
そこに選択か反応か、のヒントがあるわけですよ。
まず、なにかもやっとすること起こった時は、何はともあれ、物事を「事実」と「感情」を分けるといいです。
もやっていないならいいんですよ。
楽しいこと、うれしいことに関して深堀りする必要はあんまりないんでね。
自分がいやだと思ったこと、悲しくなったことや腹立たしく思ったことが起こった時はチャンス。
自分の内側と対話することで自分の行動のベースが必ず見えてきます。
そんなセッションよくやってます。
今回の場合「向こうから頼まれてたことをしていたら、勝手に話を進めるなと怒られた」という事実がありますよね。
それに対して彼女は「意味わからん!」「なんでやねん?」「そっちが頼んだんじゃん!」「そもそもなんでこちらが怒られるんや?」という怒りが発動してます。
その下に「ないがしろにされた」「悲しかった」「悔しかった」という感情もありますよね。
で、ですよ。
この感情のままに次の行動を起こすのが「反応で動く」ということになります。
いい悪いではなくて、事実として「反応で動いている」ということです。
今回だと反射的に「相手に対して抗議する」とか「相手のミスを責める」とか「そのまま上司に言いつけてやる」とか。
いろんなことができそうです。
要するに自分自身の「大切にされなかったという悲しみ」をそのまま相手にぶつけていく、という行動ですね。
ではぶつけられた相手はどうすると思いますか??
そもそも、人は自分の価値観が人よりも優先されるべき、という思い込みを持っています。
なので、その人の中にも「なんでやねん?」「大切にしてもらえなかった」という感情がわくと思いませんか?
これ「怒りをぶつけたら怒りが返ってくる」という原理原則に則ってます。
その人は自分が何気なく頼んだことを忘れて「なんでこいつはこっちに相談もせず一人で動いているんだ?」と思っているわけですから、いきなり自分を否定されることをされたら。
そりゃ怒るでしょうね・・・
で、お互い感情に反応して行動をしたら。
「そっちがわるい。」「いやそっちの方がわるいやんか!」みたいなけんかになるなり。
とりあえず大人としてその場を収めるために謝るなり?すると思いますが。
お互いなんかスッキリせずもやもやする、という現実が起こるであろうことが予想されると思いませんか??
思いますよねーーー。
では、選択するなら??
とりあえず、「腹を立てた感情をぶつける」という行動はやめておこうかな、と思うんじゃないですかね?
大人としてね、「どういう態度に出たら相手に届くかな?」と考えると思うんですよ。
脊髄反射みたいな行動を起こすのではなくて、とりあえず選択をして行動に移す。
これだけでもちょっと感情コントロールできているような、少し大人の対応ができていいそうな・・・
そんな感じがしますよね。
だから、私たちが行動を起こすもとにはその人が選択した行動の元があるという話なんです。
小さなこどもは感情のままに泣いたりわめいたり、即行動に移しますけど、大人は選択をすることができる、ということですね。
そして、大人なんだから、選択してからの行動のほうがよさげだなぁ、というのはご理解いただけたかな?と思います。
この、「反応」か「選択」か。ここをちゃんと押さえて自分の行動を俯瞰できると、余計なトラブルがまず減ります。
次にどんな選択からの行動があるのか、というお話をしようと思います。
