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『神様は遠くにいない』。。。自然と感謝が教えてくれた本質


神様って、本来もっと

“自然の気配”

に近い存在だったはずだと思う。


朝の空気がまだ冷たくて、
草の先に小さな露が光っているとき。  

風が木々の間を抜け、
葉がさわさわと揺れるとき。  

夕暮れの光が
山の稜線をやわらかく染めるとき。  

夜の静けさの奥で、
見えない生命がそっと息をしているとき。


そういう瞬間にふっと感じる、言葉になる前の“気配”。  

その静かな呼吸の中に、神様はいつも溶けていた。  

遠くにいるのではなく、
世界のあらゆる場所に散りばめられた光の粒のように、  
私たちと同じ高さで、同じリズムで脈打っている存在。


けれど、人間はいつの間にか
その神様を遠くへ押しやってしまった。  

不安や欲望が、神様の姿を
少しずつ変えてしまったように思ったからだ。


願いを叶えてほしい。  

守ってほしい。  

特別でいたい。


その気持ちが強くなるほど、
神様は“高い場所”に置かれ、  
上下関係の中に閉じ込められていく。  

まるで、手の届かないアイドルのように
“推し化”されてしまう。


でも、本来の神性はそんな形では存在していない。


風🍃は私より偉くないし、私も風より下ではない。  

光🌟は私を支配しないし、私は光に従属していない。  

水🏞️はただ流れ、私はただそこにいる。  

そこには上下も優劣もなく、

ただ“共にある”だけ。


そして、その“共にある”関係性の中心には、  

いつも” 感謝 “がある。


風🍃が吹いてくれること。  

光🌟が差してくれること。  

水🏞️が流れてくれること。  

大地🏜️が支えてくれること。  

胸の奥の灯り🕯️が今日も静かに揺れていること。


それらは誰かが“叶えてくれた願い”ではなく、  

ただそこにある“恵み”であり、  

自然界からの静かな贈り物だ。


だから私は、崇めるよりも先に、  

すべての存在に感謝したいと思う。


神様は、崇拝の対象ではなく、  

感謝と“共にある”存在。


私の中にも、  

風の中にも、  

水のきらめきの中にも、  

光の粒の中にも、  

そっと溶けている。

私は私の感じた違和感を無視せず、
私の感覚を大切に生きる。

その感覚に戻っていくことが、  

私にとっての“本質的な生き方”なんだと思う



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