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そんな病気ないですよと笑われた


「そんな病気ないですよ。(笑)」
腹痛や全身の異変が何ヶ月もの間ずっと治まらずに続いており病院の内科を受診した時に医師にかけられた言葉です。
確かに私も1秒たりとも治まらない腹痛などが何ヶ月もずっと続く病気というのは聞いたことがありません。
嘘をついているとでも思われたのでしょうか。面倒くさい患者だと適当にあしらわれた気がして嫌な気持ちになりました。
ですが、嘘をついているわけでもなく医師をからかいたいわけでもなく実際に症状がずっと続いていて、どうにかしてこの謎の症状を治めることはできないものかと痛む身体を引き摺り通院してなけなしのお金を叩いてまで受診したのに酷い言われようでした。なけなしのお金というのも、働くこともできなくなり仕事も退職し、貯蓄しながら運用していた積立NISAも全て解約して引き出して生活費に充てなければいけない程であったので大事なお金をこんな人で無しの医師に使ってしまったのかと思うと尚更嫌な気持ちでした。この医師のフルネームの名前は今でも覚えているほど嫌な記憶として刷り込まれています。

この哲学的エッセイはそんな私のように理解されにくい病気で苦しむ方、他人に否定されて辛い気持ちをしたことのある方がたの心のささえになればと思い作りました。主に病気をテーマに取り扱っているので重たい印象を与える文章もありますが、少しでも前向きに心が軽くなり気持ちをいれかえられるような方向性で文章を構築していくのでどうぞご安心して最後までお読み頂けると幸いです。



・はじめに

まずはじめに私の病気の症状や経過についてもう少し詳しく記載していきます。2023年4月、私は30歳の時に新型コロナウイルスに初めて感染し、その後2〜3週間ですぐにコロナ後遺症を発症しました。原因不明の腹痛、胸の痛み、喉の枯れと痛み、手足の痛み、腰痛、倦怠感、めまい、脳疲労、音や光に対する過敏症などといった様々な症状が33歳になった2026年7月現在も痛みや不快感が一瞬たりとも途切れることなく3年以上も続いています。

病気や症状を特定するために病院にいって様々な検査をしました。腹部MRI、CT、レントゲン、胸部MRI、レントゲン、頭部MRI、大腸カメラ、胃カメラ、甲状腺エコー、心電図、採血など一般的に人間ドッグでも受けるような項目の検査は行ってきていますがどの検査でも特に大きな異常はないと診断されました。仕舞いには、「腹痛が24時間ずっと続いて、横になるとさらに痛みが増すようで辛いのですが。実は他にも…」と例の内科の医師に相談した際に、「勘違いですよ。そんな病気ないですからね。」と笑われました。コロナ後遺症(Long Covid)については厚生労働省もWHOも医学的に存在する病気として認めています。そんな病気があるからわざわざ重く苦しい身体を持ち上げて病院に来ていますし、どのような病気でも患者に寄り添って治療することが医師としての本分であるのに、心ない言葉のメスを刺されて私の身体と心は深く絶望しました。

現状では医学的にも社会的にもコロナ後遺症として診断書を受けて生活していくのは難しいため、最終的には10年ほどお世話になっている心療内科のかかりつけの医師の方に、精神疾患病である身体表現性障害(検査で異常が見つからないにも関わらず、痛みなどが長期間続く精神疾患)と診断してもらいました。厚生労働省に診断書を提出し現在は障害年金を受給しながら実家で家族の支えをもらいながら生活しています。

また、私は幼少期から10代の頃までは喘息を患っており、20歳の頃には精神疾患であるうつ病と強迫性障害を発症しており今現在も薬物療法などによる治療を継続しています。喘息もうつ病も日本人の発症率は約5%ほどといわれており、比較的珍しくあまり理解されにくい病気です。後程のセクションで併せて話をする際に、著者である私の実際の経験であることも踏まえて読み進めて頂けると幸いです。



・どこからが病気なのか

国家資格である医師免許を所有している医者に、何ヶ月も腹痛や異変が続いている状態の私がなんの病気でもないと診断されたように、病気というものはとても曖昧なもので判断が難しいものです。
では、具体的にどうのような症状があってどのような状態であれば病気と判断されるのでしょうか?

明確にこれは病気だと判断できるものは、例えば癌などがあります。病変のある細胞の組織を採取し、そこに悪性の癌細胞が確認された場合は癌と診断されます。他にも骨折であれば、CTやレントゲンで骨を投影させて検査し実際に折れている事を認められれば骨折ということになります。

ですが、このように判断のつけやすい病気がある一方で、客観的には判断の難しい病気も多く存在します。私のコロナ後遺症もその一種で、精密検査や血液検査などを行っても医学的にも数値的も異常が見られず痛みや不快感といった症状が続くにも関わらず診断が付けづらく明確な治療法も確立していない病気もあります。
コロナ後遺症に似た症状で判断の難しい病気としてよく知られている、慢性疲労症候群(ME/CFS)という病気があります。症状としては、日常生活に支障をきたす程の全身の倦怠感や脱力感や痛みなどが6ヶ月以上に渡って続く病気です。コロナ後遺症と同じように精密検査や血液検査などでも異常が見られないにも関わらず患者本人の重い症状が長く続く病気です。1980年代から症例が増え始め公に正式な病気として認められました。症状の重さが伝わりずらいことが理由で改名を望む声が多く、2015年には全身性労作不耐症という疾患名が新しく提唱されました。また、ウイルス感染後疲労症候群と呼ばれる場合もあり、その名からコロナ後遺症も似た症状の重たい病気だということがわかっていただけるでしょう。
また、近年は一般的な病気として知られてきましたが、精神疾患病であるうつ病も判断の難しい病気のひとつです。学校や仕事に行けなくなるほどの日常生活に支障をきたす気持ちの落ち込みや意欲の低下が見られる病気です。心の病気としても知られているように、医学的検査で異常を見つけることが容易ではないことが簡単に想像できるできると思います。

前者の癌などのようなものであれば病院にいって早ければ即日のうちにその病名の診断が下りて病気の治療をしましょうとなることが多いでしょう。ですが後者のコロナ後遺症やうつ病のような長期間にわたっての検査でも判断が難しい病気は医師に否定されたら病気ではないということなのでしょうか。私は決してそんなことはないと思います。これまで普通に仕事や学校に行って社会生活を送りながら普通に食事などの日常生活を過ごせていたのに、心身の痛みや異変などにより今までの日常が普通に送れなくなるような状態であれば立派な病気であると言えるでしょう。確かに病院で医者に診断してもらって診断書を出してもらっている状態の方がこういう病気ですと公にもしやすいですが、病気や医学というのも未だに全てが完全に解明されているわけでもなく、新型コロナ後遺症のように新しい病気も世の中には出現してくるので病院での正確な診断をもらうというのにも限界があります。医学の知識のない素人がたった数日だけの少しの症状のみで勝手に診断を下すのことはもちろん危険ですが、できる限りの検査などもしてきて、明からさまに症状が自覚できているのであれば、医師1人に否定されたとしてもこの病気であると名乗る権利はあると思います。

実際私が病気を患ってから社会生活を送っていく上で、「今は病気で療養中です。」と説明しなければいけない場面が度々あります。そうすると「なんの病気なんですか?」と切り返されることも多く、わざわざ嘘をついてまでも似た病気の「慢性疲労症候群なんです。」というのも当病気の方に失礼ですし、私自身の事実でもあるので「新型コロナウイルスに感染してコロナ後遺症になりました。」と説明しなければ後々辻褄が合わなくなったりして損をするのは私自身なので、私は自分の病気に自信を持って(というのもおかしいですが)公にしています。ですがコロナ後遺症の認知度も歴史もまだ浅く、WHOによる調査ではコロナ後遺症が2ヶ月以上にわたって続く人の割合は感染者のうちでも約6%ほどの少数と言われており、そんな病気があったんだと思われることも多く大変な思いをしております。

少し違った角度から考えてみましょう。日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との記載があります。人権として健康に暮らせることは当たり前の権利として認められているという事ですね。ここでさらに注目すべき点は、健康である上に文化的な生活の営みもできるように定められているところではないでしょうか。文化的にという表現も抽象的なもので様々な解釈が生まれると思いますが、教育や労働を自由に受けられ、音楽や美術などの芸術を楽しむこともでき、ある程度の娯楽を享受できる状態を文化的な生活と捉えて良いかと思います。現代の最低限度の娯楽としては、スマートフォンとインターネットが制限なく利用できてYouTubeやSNSなどを楽しめることがスタンダードなラインではないでしょうか。そのような文化的側面を享受できるレベルでの肉体的及び精神的な健康状態でないのであれば病気という状態に該当するのではないでしょうか。



・理解されにく病気

これらのコロナ後遺症やうつ病などはとても理解されにくい病気です。医師や家族にはもちろん、本人でさえも簡単に理解することができない場合もあります。私の場合は新型コロナに感染してから2〜3週間ですぐに身体の様々な異変が出たので新型コロナに感染したことが主な原因であろうとすぐにわかったのですが、コロナ後遺症は人によっては感染後数ヶ月経ってから徐々に身体の異変が出始めることもよくあります。また、症状は腹痛、頭痛、喉の痛み、倦怠感、脳疲労などと多岐に渡り、研究によると200種類以上の症状がコロナ後遺症として確認されています。ですので本人も明らかな身体の不調があってもそれがコロナ後遺症だと気付けない場合も多いようです。
うつ病の場合は精神的な気分や意欲の低下が主な症状として見られますが、骨折や出血などのように外見的にすぐ見てわかるものでもないですし、気分の落ち込みやストレスがたまるということ自体は誰にでもあることなのもあり、なかなか理解されにくいです。

理解されにくいとは言いましたが、結局のところ病気というものはどんなものでも実際には経験した当人にしかその苦痛は100%分からないものです。
癌にしても胃癌やら乳癌やら血液癌やら様々な種類もありますしステージの進行度の違いや薬の聞きやすさの違いもあります。コロナ後遺症にしても200種類以上もの症状があり、痛みが長期間ある人もいれば短期間の味覚障害のみだったという人もいます。他の病気をとっても発症した年齢、性別、ライフスタイルなど千差万別なので痛みや苦しさの感じ方にもそれぞれ差があります。ですので99%までは理解することは可能だとしても完全に理解することはできません。



・理解するには想像力がいる

では、実際にその病気を経験したことのない人は病気の人を理解することはできないのでしょうか?
決してそんなことはないでしょう。理解するということは寄り添うということです。
寄り添うという言葉を辞書で引くと”相手の心に共感し、その立場や気持ちを理解しようと努めること。”と出てきます。ここで大事なのは想像力を使って相手の痛みや苦しみを理解しようと努めることです。
自分自身が癌になった経験がなくても、癌を患っている家族や友人を身近で看病をしていた経験があればそれだけでも癌患者の辛さにおおいに寄り添うことが出来ます。そのような機会がなかった方でも、今の時代ではスマホでYouTubeを開いて「癌 闘病」などと検索すれば様々な人が癌の闘病の辛さを動画で語っておりテレビで見るよりもリアルで間近に感じとることもできる素晴らしい時代になっています。このように想像力をよりよく駆使するためには物事をまず知るということもとても大事です。



・病は気からという誤解

よく病は気からということわざをネガティブな意味合いで使われている場面に出くわします。例えば、「いつも消極的だからうつ病になるんだ」、「病気が治らないのは気持ちが弱いからだ」などといった様に気が弱いということが原因で病気になるといった間違った意味合いでこの言葉が使われているのをよく耳にします。確かに実際のところ不安な気持ちで病状が悪化することはありますが、本来のこの言葉の使い方としては正しくありません。
このことわざは江戸時代にはすでに使われていたようで、人形浄瑠璃で“家族が元気に励もうとする気力に連れて、どんな病気もすっかり快復する。”といった一節が使われていました。それが転じて病は気からということわざになったとも言われています。このように元はといえば、病気は本人の心の持ちようにもよって症状は良くなる。といったポジティブな意味合いで使われていました。

現代の薬学用語でよく耳にするプラセボ効果と近い意味合いで使うことが本来の使い方なのでしょう。ちなみに、プラセボ効果の反対はノセボ効果と言い、吐き気の副作用があると渡された薬が実は偽薬であるにも関わらず副作用がでるかもしれないという不安から実際に吐き気の症状が出てしまうような効果の事を現しています。

ともあれ、病気というものが全て気の持ちようで根性論で治すべきだと誤解してその考えを平気で他人に押し付けようとする時代錯誤な人が未だにいることに驚きますよね。病気で苦しんでいる人に対してそんな心無い言葉をかけれるような人間にはならないよう気をつけたいものです。



・アドラー心理学的にみた病気

アドラー心理学をご存知でしょうか。オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーが20世紀の初めに提唱した心理学です。
日本では2013年に出版された岸見一郎さん著のアドラー心理学を解説した「嫌われる勇気」が大ヒットし、アドラー心理学が広く知れ渡るようになりました。私も発売当時うつ病だった時に拝読し、その考え方にはとても救われました。私自身アドラー心理学には大きく影響を受けており、その中でも目的論という新しく斬新なものの見かたを病気の目線を交えて簡単な解説と私なりの考察をしていきます。

仮に、あなたが引きこもりになったとしましょう。その原因が学校のクラスメイトの人達によるいじめだったとします。アドラー心理学の目的論では、いじめが引きこもりの原因になったわけではなく、あなたが単に外に出たくないという目的を達成させるために引きこもりになったと考えます。なぜなら外に出なければ対人関係で傷つく事もないですし、人生で色々と上手く行かないのは引きこもりになったせいだと自分を納得させられる材料にもなるからです。

これを病気に当てはめると、癌になったのもうつ病になったのも、仕事を休みたいという理由や人間関係から離れたいという理由を目的を達成させるために自らが望んで病気になったと考えます。

ただここで注意しなければならない点は、あくまでも目的論はものの見かたの一つであるということを理解しておくことです。自らが望んで不幸になることを目的として行動していると絶望するのではなく、人間は無意識的にも自分がその時に必要としてあえてその選択を取る可能性があるということを念頭に置いておくことが大事なのです。そのことを知っておくだけで、逆説的に自分が今病気になったのは、自分は今耐え切ることのできない痛みの中におり一時的にそこから逃れるために無意識的にも自然と病気が発症したのであって抗う必要もないと受け入れる心の持ち様ができます。
アドラー心理学でも大事なポイントですが、病気になったという過去の原因を延々と探すのではなく、病気になったことを受け入れて自分の本心の目的がわかった今どう生きてどんな意味を見出していくのかということに焦点を合わせた前向きな考え方をもつことが大切なのです。



・病気を偽ってはいけない

病気である人の注意しなければいけない心構えが一つあります。
それは絶対に病気を偽ってはいけないということです。「詐病」という言葉をご存知でしょうか。病気を偽って、障害年金や労災金など経済的補償の受給をしたり不当な休暇を取得して疾病利得を得る事を指した言葉です。

2014年には日本でもこの詐病を使った大きな事件がありました。佐村河内守という人が全聾で耳の全く聞こえない天才作曲家として活動していたのにも関わらず、実際には耳は聞こえる上に曲もゴーストライターが代作していたことで大きな問題となりました。本人曰く多少の難聴の症状は実際にはあったらしいですが、18年間もの間障害を偽って音楽という人々に感動を与える素晴らしいツールを使って様々な方面から利益を得ていました。私は学生時代にバンドをしていた経験もあり現在も趣味でピアノなどの楽器を演奏するほど音楽というものが大好きなので、芸術の価値を汚し、理解の得にくい病気への信頼性をも下げたこの行為には大きな憤りを感じます。

全聾というものも外見的には判断できずこのように簡単に詐病できてしまう事もあるように、先に述べた理解されにくい病であるコロナ後遺症であったりうつ病であったりというものも医師でも診断がつけ難く、検査をしても異常値などが特に出る事もなく外見的には健康そうに見えるといったことも多いため一通り検査だけしてコロナ後遺症やうつ病などの病気であると偽る事もできてしまいます。
ですが先に佐村河内守事件で例をとった通り、病気を偽ると社会的にも大きく信用を失うことにも繋がりますし、実際に当病気で苦しんでいる方々への侮辱にもなります。少し話が逸れますが生活保護の不正受給も大きな問題になっていますね。実際の経済状況や受給資格などを偽って利得を得るために生活保護を受給していることが少なからずあります。そのような不正受給のせいで審査が厳しくなり本当に支援を必要としている人々への援助が行き渡らないという問題もあります。自分のためにも他人のためにも病気を偽ることは決してしないようにしたいものです。

はじめにの章で述べましたが、私自身は現在障害年金を受給していますが、検査と月に1回の受診をして医師の診断書を提出して受給資格を認めてもらった上でのことです。私はいつか身体を治して働けるようになって社会貢献をしながら自分の夢も追いたいという気持ちがずっとありますので、病気が治った際には障害年金支給停止の書類を厚生労働省に提出して不当な受給はしないようにと心に留めておいています。ちなみにその際は「障害給付受給権者 障害不該当届」という書類の提出が必要になりますので、同じ境遇の方は是非お忘れのないようにしてください。



・悪い行いは必ず自分に返ってくる

日本では古来から「言霊」や「呪い」といった考え方が信じられて来ました。悪い言葉には悪い気が宿っており悪いものを引き寄せるし、悪い行いや言葉を他人にかけると不幸や災いが降りかかってきます。「因果応報」という仏教の言葉でもよく知られていますね。科学的にそれが解明されているわけではないのですが、7、8世紀の時代には万葉集で「言霊の幸はふ国」(”言葉には魂が宿りその霊力が幸福をもたらす国である”)との歌の記載があり、そのような概念はすでに人々に広く共通の概念として浸透していました。非科学的にも関わらず千年以上昔から変わらずそういった考え方が途絶えずに信じられているのにはおそらく人間が遺伝子レベルでその偉大な力に気づいているからではないでしょうか。読者の皆様も、あの時の悪い行いが罰としてあの時帰ってきたなというような経験がなんとなくあるのではないでしょうか。

先ほどの例をとると、全聾を偽った佐村河内守は結果的に数千万円の損害賠償金を支払うことになりました。
また、呪いの1つとして有名なものを紹介すると、日本三大怨霊として語り継がれている菅原道真の祟りがあります。平安時代に貴族の家に生まれた菅原道真は幼い頃から多才で神童と呼ばれ才能を認められており、やがて朝廷のトップである右大臣に就任しました。しかし当時権力を持っていた左大臣の藤原時平はその出世を快く思っておらず、無実の罪を着せて地位を失脚させて太宰府へ左遷し幽閉させました。2年後左遷先で失意の念を抱きながら菅原道真は亡くなりました。菅原道真が亡くなった後に、突如として藤原時平が急死し、皇族の病死も相次ぎ、疫病の流行や落雷による事故なども起こりました。人々は「これは菅原道真が無念の死を遂げた祟りが起こしているものだ」と信じ、この怒りを鎮めるために北野天満宮や太宰府天満宮で天神として祀るようになりました。やがて時が経つに連れて祟りは弱まっていき、学問の神様として現在でも崇められるようになりました。

このように悪い行いは場合によっては大きな呪いとして返ってくることもあり、その場合は自分だけでなく周りの人々も巻き込むということを常に心にとどめておくことが大事だと思います。



・優しさも必ず返ってくる

悪い行いが返ってくるように、善い行いや優しさというのも同じように自分に返ってくるものです。
古くから現在もよく知られていることわざに「情けは人の為ならず」というものがあります。「親切な行いは人のためだけではなく巡り巡って返ってきて自分のためにもなる」という意味を含んだことわざです。よく誤用されていることが多く、「親切は人のためにはならない」と勘違いされることも多いのですが、前者が正しい使い方です。

また、心理学用語で「返報性の原理」という言葉があります。人は誰かから親切なことをしてもらうと何かお返しをしたくなるという心理作用を表した言葉です。さらに返報性の原理は、不安な気持ちの時などに受けた際の親切さに対してはより好意が大きく働くというデータが示されています。裏を返せば、不安な時にかけられた嫌な言葉や行いも、よりその人に対して大きな恨みや憎悪にもなりやすいということにもなりますね。

私たち日本人にはあまり馴染みのない言葉ですが「pay it forward」という言葉があるのをご存知でしょうか。2000年に公開されたアメリカ映画の「Pay It Forward」という映画に登場する少年トレバーが、「世界を変えるにはどうしたらいいか」という学校の先生からの質問に対して、「自分が受けた善意を別の3人へ繋げていくペイフォワードという行いをする」と答えました。人々がその理念を実行していけば、1人の善意が3人、9人、27人、81人…。と指数関数的に増えてゆき優しさの連鎖が瞬く間に広まっていくことになります。返報性の原理では親切を受けた人に対して親切のお返しをする考え方なのでその2人の間だけの話になってしまいますが、pay it forwardの原理では親切の輪が無限に広がってゆく考え方な点がとても素敵ですよね。日本人的に言うと一日一善ならぬ一日三善という言い方がしっくりくるのではないでしょうか。



・さいごに

最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
私がコロナ後遺症というまだ新しく世間的な認知度も低く理解されにくい病気を患い、医者にもその病気を否定された経験や考えを誰かのために使えないかと病気のさなかに思い心を込めて書いたので、自分自身でも思い入れのあるエッセイになりましたのでお読みいただけたことを非常に嬉しく思います。

改めて内容を簡単にまとめておくと、病気になることは辛いことであり、それを医者や家族などにも理解されないことは尚大きな苦しみになります。病気ということに限った事ではありませんが、他人の心と体の痛みを平気で嘲笑い、想像力を使って理解しようとしないことは相手に深い傷を残すことになり時としてそれは恨み呪いとなって自身に返ってくることもあります。誰もが優しさをもって人と接するように常に心がけておけば、余計な争いや負の感情を無駄に生む事もなく平和で幸せな日常の輪が広がってゆくことでしょう。

私は世の中が少しでも多くの優しさと他人を気遣う想像力で溢れ、それが病気などで苦しむ人々の心身の癒しとなり、苦しみの少ない平穏な日常を皆が過ごせるように心からお祈りしております。

2026年7月

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