「ライター」という肩書きについて
どうも私は、このカタカナ書きの「ライター」という言葉がしっくりこなくて悩んでいる人間である。
世には様々なライターがいる。Webライター、取材ライター(インタビューライター)、ブックライター(ゴーストライター)、コピーライター、シナリオライター、テクニカルライター等々。専門分野を持つ方は、メディカルライター、美容ライターなどと名乗っておられる。
私は主に、新聞の記事広告や企業発行の地域紙、企業HPの実績紹介ページなどを制作している。トップインタビューから町ネタまで手掛けるので、基本的には「ライター・エディター」と簡便に済ませているものの、どうも何かを十分に伝えきれていない気がして、最近ではコーポレートジャーナリストやエディトリアルライターと名乗ってみたりもしている。とはいえ、それらもまるでしっくりきている感じはない。
自分自身が何者であるかを「profess(公の場で名乗る、宣言)」できる者のことを、「professional(プロフェッショナル)」という。果たして私はプロなのだろうか。
一時期は専門領域を持たないことを悩んだこともあるが、人より得意な領域がない以上、無理に幅を狭めるのもどうかという気がしている。いまは、企業からの専門性の高い発信を、より広い読者に届けることのできる「翻訳者」のように自らを位置付けている。その意味において、その限りにおいて、私はプロのライターだ。
扱うジャンルが医療や金融、建設・不動産、食品云々と幅広くとも、結局のところ、どこまで専門用語を使わずに要素を届けられるかが重要だ。自分自身が理解できる範疇でしか原稿というのは書けない。自らの言葉の限界が、届けられる原稿の限界なのである。
もうひとつ、ライターを名乗ることの意味は、カメラマンやデザイナー、営業や代理店、クライアントなどと制作チームを組む際の「立ち位置の表明」にある。私がライターとして誰かに応答し、あるいは指示を出すということは、カメラマンやデザイナーに対して「私はこの制作物の筋書きに責任を持っている」と宣言することを意味する。
取材現場でカメラマンに「これを撮ってほしい」と頼む時、デザイナーに「こんなページを作ってほしい」と伝える時、私はただの希望やお気持ちを表明しているのではない。ライティングと組み合わさるべきものとしての写真やデザインを、彼らに求めているのだ。彼らもまた同等の熱量と圧をもって私に応答し、写真やデザインを返してくれる。
原稿を書くだけなら、取材をするだけなら、私はもっと違う名前で自分を呼ばなくてはいけなかっただろう。
私はどうやら、ライターらしき者なのである。
